対米従属の「リスク」――インドの外交方針から日本が学べること

田尻潤子(49歳・翻訳業・東京支部)

 

 本題にたどり着くまで少し回り道になるが、私が個人的に深く関わってきたインドという国の外交方針を私の現地での体験に絡めてお話したい。

 同国は近年その経済発展ぶりと国際社会における存在感の高まりが注目されている。しかしインドの人々は、現在のような大国になるずっと前から自分たちの国は偉大であると自負していた(※1)。

 昔、私はインド人のご家庭に「ホームステイ」させていただいたことがある。それからもう28年になるが、そこでお世話になった人たちと未だに時々連絡を取り合う。その長い年月のあいだ私が訪印したり、彼らのほうが家族旅行で来日したりした。今もカルダモンやターメリックの香りを嗅げば砂埃の舞う市場の雑踏の風景、座り心地の悪いリキシャ、風にはためく色とりどりのサリーを思い出す。あの清濁ゴチャまぜになったようなインドの雰囲気には独特のものがある。

 滞在中に私は色々インド人たちに率直な質問を投げかけてみた。まずは「カースト」についてだ。これには「差別なんかではない。親の稼業を継ぐのは自然なことだ」などの返答。また、生理中の女性の寺院入場の禁止について指摘したら「それも、女性を不当に扱う意図はない。生理中の女性が例えば植物を持つと、その植物はしおれてしまう。何か良くないものが身体から発せられているんだよ」と真顔で返答された。これは全く受け入れられないと思ったが、このインド人は素晴らしい人物で、その発言だけで人格を疑うなんて馬鹿げていると思った私はそれ以上追求するのはやめておいた。しかし、いまツイッターなどでこのような発言をしたら炎上か袋叩きだろう。

 カーストについては、ヒンドゥー教の経典の一つ「バガヴァッド・ギーター」4章13節にこう書いてある。

 

自然界の三性質とカルマに応じてわたしは人間社会を四つに区分した。この四階層(カースト)はわたしが創ったのだが、わたしは全ての行為を超越している(※2)。

 

 なるほどカーストは神が定めたとされているわけだ(※3)。これではたとえ法律上では「禁止」されていても、人々の心の中からこの概念が完全になくなることはないかもしれない。モディ政権は「ヒンドゥー至上主義」を掲げているので、なおさらだ。欧米の目線や日本の感覚で「それは間違いだ」「それは差別だ」のような言い方をすれば、彼らは信仰を侮辱されたように思い、余計に頑なになってしまうだろう。特に宗教に対する理解の乏しい日本人は、その辺がよくわかっていない。私もそうだった。

 日本政府はインドのことを一緒に中国に対抗してくれる心強い「仲間」と思っているかもしれないが、誇り高きバーラトは長きに渡り実利主義に徹して特定の陣営に属するのを避けたがる。「クアッド」に対する姿勢も日米豪とはかなりの温度差があり、インドが離れていかないよう知恵を絞る必要がある。また、西側先進国が指摘する人権問題についても(人権が大事なのは言うまでもないのだが)、西側の価値観を一方的に「上から目線」で押し付けるべきではないし、日本がそれに漫然と追従するのもよくない。上に述べたような、宗教絡みの事情もあるからだ。言うべきことは言うべきだが、伝え方には工夫が要ると思う。

 

 インドの大家族の男たちは口角泡を飛ばしてアメリカの批判をしょっちゅうしていた。アメリカの悪口を言い合っているときの彼らのくっきりとした目はますますギラギラ輝いて、何やら楽しそうでもあった(一方、日本に対しては好意的だった)。一般人レベルだけでなく、国家レベルでも「親米」とは言い難い。2012年(当時の首相はマンモハン・シン氏)に作成された外交戦略の報告書「非同盟2.0(Nonalignment 2.0)」によると、インドは「中国が脅威だからといって、安易にアメリカと関係を深めすぎることには否定的な立場」であり、「アメリカに近づきすぎれば、支配―従属関係が構築され、モノが言えなくなってしまうと恐れた」というのである(※4)。そのスタンスはモディ政権となって少し緩和され、現在の戦略は非同盟というより多同盟(multi-alignment)となっているようだが(※5)、それでもなお自主独立外交への強いこだわりは「党派を超えてどの政権にも共通する(※6)」ということだ。6月下旬に米印首脳会談が行われた際に各種メディアは専門家らのコメントを取り上げたが、ざっと見渡すかぎり、今後両国の関係強化が深まるという見解もあるものの、南アジアの大国を自分の陣営に引き込みたいアメリカの思惑とは異なりインドのほうは(基本的にこれまで通り)あくまで「利害が一致する分野においてのみ」アメリカと手を組むだけだろうという冷めた見方がやはり根強くあるようだ。

 日本はアメリカにべったりくっついているが、どうやらインドは特定の国と密接な関係になることを「リスク」として捉えているように見える。その国が経済力や軍事力で自国を上回るなら先ほど述べたような「モノが言えなくなってしまう」リスク、逆にその国が弱体化したり国際社会で叩かれるような状況になったら共倒れ或いは道連れにされかねないというリスクである。インドと日本では地政学的事情や歴史的な背景などが全く異なるし、日本はまず食料とエネルギーの自給率を上げるところから始めないといけないが、外交に関してはインドを少し見習ってもよいのではないかと私は思う。

 

 

■引用・参考(著者敬称略)

 

(※1)「インド 厄介な経済大国」(エドワード・ルース著)338~339頁、「インド2020」(A.P.J アブドゥル・カラム著)35頁など。

(※2)「神の詩 バガヴァッド・ギーター」(田中嫺玉 著/訳)より。クリシュナ神が戦士アルジュナに語っていることば。「わたし」は同書内では太字ではなく圏点つき。

(※3)カーストの起源はバラモン教の経典「マヌ法典」だとする説もある。

(※4~6)「インドの正体」(伊藤融 著)154~155頁。”Multi-alignment”について伊藤氏は「多同盟」というより「多くの国との連携」だろうと述べている。