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珠洲ボランティア所感

北新太郎(46歳・自営業・石川県)

 

 5月5日こどもの日に奥能登で発生した最大震度6強。その月末の31日、硝子組合青年部の仲間たちと珠洲市へ、ボランティアに行ってきました。地震で割れたガラスの復旧工事を無償で行うものです。総勢17名で終日、10軒40枚の板ガラスを交換してきました。

 早朝の往路では、笠智衆の声真似で「い〜ちばん〜乗りを〜や〜るん〜だぁと〜」と軍歌「戦友の遺骨を抱いて」を口ずさみ、青年部初めての試みにワクワクドキドキの興奮状態。

 

 前日も 続く余震は 震度4

 武者震いして アクセルを踏む

 

 ちょうどその頃、正恩がミサイルの発射実験を行ったものですから、Jアラートが鳴り響くラジオ中継をBGMに、まさに戦場へ赴く気分でありました。

 

 ところが珠洲に来てみれば、震災ボランティアのベースキャンプでも割とのどかな雰囲気で、県外からの車両もいくつかはありましたが、少しずつ復旧も進んでおり、往時の危機は過ぎ去ったのかなとの印象を受けました。

 午前中で作業が終われば、午後は一般ボランティアのお手伝いでもしようか、などと打ち合わせていたところ、地元市議さんの協力で、思いのほか大好評となってしまい、準備していたガラスが足りなくなる始末となるも、輪島市で店を構える仲間が材料を急遽融通してくれて、なんとか日暮れの時間いっぱいで、ご希望の皆さんに納めることができました。

 

 一見穏やかだったのは主要な幹線道路沿いだけ。一歩古い街並みが残る界隈へ立ち入ると様相は一変しました。特に被害が大きかったという正院町では、瓦屋根にブルーシートがちらほら。危険、要注意と書かれた赤や黄色の貼り紙、ひしゃげた家屋、カラーコーンで隔てただけの瓦礫が散見されました。被害に遭われた方々はこれまでの4週間、終わることのない片付けに追われ、いつ傾くともしれない我が家で寝起きしていたとのことです。

 

 たかだかガラスの割替ですが、泣いて喜んでくれた方もいました。玄関で正座し三つ指をついてお礼のお辞儀をしてくれた、老いてもなお美しい女性がいました。神様だぁ…神様が来たぁ…と呟いたおばあちゃん。諦めていたけど人生が変わった、もう一度立ちあがろうと奮い立った、と握手を交わしたおじいちゃん。ここで小さい頃に隠れん坊をしたんだよと、崩れて放置されたままの納屋の前で85歳が笑っていました。珠洲が好きねん、だから帰ってきてん、と言った方もいました。

 

 解散式で再会した仲間たちはそれぞれ、汗と埃に塗れてはいましたが、清々しい表情と満足感、心地よい疲労感を漂わせていました。先の市議さんは涙を拭いながら、声を震わせ感謝の弁を述べてくれました。戦友の遺骨ではなく我々は、珠洲の皆さんの感謝の言葉と笑顔、涙とともに、万感の思いをも胸に抱いて、帰還の途についたのであります。

 

 地べたに近い我々ごときでも、皆の力を合わせれば、なんと大きな力になろうか。それぞれの得意分野を持ち寄り、ひとつの大きな有機体のごとく働く我々は、傍から見ても輝いていたように思う。その瞬間は、冗談でなく、神様だったのかもしれない。

 

 復路では一転、ラジオもつけず、私はただ黙って泣いていました。

 何かできることはないか?寄付金か?ボランティアか?ふるさと納税か?しかしそんなものは何にもなりません。心が圧倒的に足りていない。さいはての被災地には何も届いていない。私はそう感じました。

 

 過疎化。都市への一極集中。これが重大な問題であり、止まることを知りません。政治の怠慢、行政の不作為、司法の冷酷な論理、そしてこれらの凡庸な悪。ナチも真っ青の無関心が世間を覆っています。寄付とかボランティアといった一時の優しい気持ちだけではどうにもならない。珠洲に限らず我々の故郷、全国の津々浦々が今、なくなろうとしている。心が足りていない、という抽象的だが誠に単純な理由で、取り返しのつかない事態を招来しているように思う。

 

 自前の憲法も軍隊も持てず。信仰もなく、哲学も政治も語らず。社会的な目標も外国人に決められ、加えて、連合国からのお墨付きを得られなければ、自国の自然や文化の価値にも気がつかない。今や老人から小学生まで、お金の大小でしか価値を判断する基準を持っておらず、値札や通帳、給料明細に記された0の桁数でのみ、善悪や正しさ、人品骨柄はむろん、美しさや美味しさ、楽しさまでをも決めてしまっている。世界遺産に登録されれば観光客で賑わい儲かる、ときたもんだ。ここは卑屈な貧乏人と傲慢な小金持ちの住む三流の国。

 

 硝子戸を直すだけでは全く足りなかった。このまま心を寄せず、さいはての方々がなくなり、家々もなくなり、集落がなくなれば、やがて珠洲がなくなる。しまいには金沢も東京も日本もなくなるに違いない。これほどの愚挙が続けばもはや、神々に見捨てられるのも無理はない。

 

 のと里山海道の道のり、日本海に沈む夕陽を眺めながら、母国の黄昏を強く深く感じた。今回のボランティアも、大勢に影響は与えない、ほとんど無駄な努力であるのだろう。だが十死零生の負け戦も、やらなければならないことはある。この塹壕を死守する。役割を全うする。真剣に生きる…。なんと卑小なことしかできないのか!

 

 壊れかけた花壇に小さな蝶が羽ばたいていた。けれどもバタフライエフェクトの希望にすがるつもりはない。それでもあの時、僕たちは漂う汗のにおいと埃が舞い散る中にひととき、目では見えないものの存在を感じた。きっと昔はもっと、もっと大勢の神様がいたのだ。その時私は、そう思った。