父の書棚から何気なく、夏目漱石の随筆集を引っ張り出してページをめくっていると、そのうちの一抄『愚見数則』を読むように、父から薦めてもらいました。
ほんの僅かの分量ですが、書いてあることはずっしり重く、というより、漱石の小説はここから出発しているのだと納得させるような力強さ、広さ、包容力をもつ文章でした。
読み終えて、父に本を返すと、これを現代の自分の言葉に訳してみることを提案され、再び、本は私の手元に戻ってきました。海外の文章でもなければ、現代からかけ離れすぎた言葉を使っている文章でもないため、大変な苦労はありませんでしたが、漱石が間髪入れずに書き連ねてゆく訓示に自分のことを照らし合わせていると、自分を省みなければならないことの、あまりの多さに気が付きます。
例えば、
言うものは知らず、知るものは言わず、余慶な不慥かの事を蝶々する程、見苦しきことはなし、いわんや毒舌をや、何事も控えめにせよ、奥ゆかしくせよ、無闇に遠慮せよとにはあらず、一言も時としては千金の価値あり、万巻の書もくだらぬ事ばかりならば糞紙に等し。
お喋りな私にとって、これほど耳を塞ぎたく、目をつむりたく、また、これほど身に沁みて分かる言葉はありません。文化や生活について考え、喋ったり、文章を書いたりしている私は、この文を、いつも心に留めておかねばならないと思います。
また、
命に安んずるものは君子なり、命を覆すものは豪傑なり、命を怨むものは婦女なり、命を免れんとするものは小人なり。
初め、私はこの「命」というのを単に生きているという意味での生命と訳そうとしました。しかし、それでは、君子や豪傑、婦女、小人がどういうものなのかよくわかりません。
私は「命」という言葉が表すものを、さまざまに想像しました。そして、命とは使命や宿命、運命などの意味を持つものなのではないか、と思いました。命とは、託されるもの、授けられるもの、役割、責任….
それで、君子や豪傑、小人についての説明は納得がいくように思いました。けれども、「命を怨むものは婦女なり」だけがしっくりこないのです。私は婦女を想像しました。母、祖母、曾祖母、あるは叔母、学校の先生、友人、そしてわたし。生命を生むものが、どうして、生命を怨むことがあるでしょうか。また私たちが、さして使命を怨んでいるとも思えません。が、夏目漱石が書いていることです。私が簡単に文句をつけられるようなものではないであろうと、再びその一文を見つめました。
二十八歳の漱石が愚見数則を記したのは明治の世、そしてこの文章は『坊ちゃん』の舞台にもなった松山中学の男子学生たちのために書かかれたそうです。それを知り、私は、単に漱石は「使命を怨んでいて、それでも男と言えるのか」と若い学生たちに喝を与えただけだったのではないかと気が付きました。
そして、私はこの文章をこう訳すことにしました。
授けられたものを遍く受け止め、託されたものを全うするのが君子です。授けられたものを打ち倒し、託されたものを覆すのが豪傑です。授けられたものや託されたものに不満を抱くのは男らしくない。授けられたものを避け、託されたものから逃れようとするのは小人です。
どのような時代に、どのような場所で、誰に向けて語られたことかを鑑みることが、文章を読むときに大切なことで、例えば、「命」も「婦女」も、現代の感覚だけではその真意にたどり着くことは難しいのだと気付かされます。
私たちは、授けられたものから、託されたものから逃れようとすることが少なくありません。自らの役割や仕事や、それだけでなく、健康や幸福など、授けられているものだけでは物足りず、こんな暮らしはごめんだ、こんな場所はごめんだといつも違うところへ逃れようとしていはしないでしょうか。与えられているものがたくさんあるにも関わらず、そういうものには目もくれずに、私たちは新しいことや刺激的なものを求めているところがあるように思います。
君子の如く、授かったものをそのまま受け入れるためには、身の回りや、あるいは、授かりものに、託されたものにまず、気づかねばなりません。それが「命に安んずる」ために、授かったものに満足するために必要なことではないでしょうか。私は、君子になろうなどとは思いませんが、君子を敬います。それゆえ、その授かりものを発見したいと思います。
日本語を日本語に訳すという、一見意味のなさそうな作業の中で、言葉の意味はもちろん、その人の生きた時代や文化という大きな文脈にも触れることができました。いろいろな先生方のお話を聞いたり、本を読んだりするときにも、そうしてじっくり向き合うことで、より一層学びは深められるのではないかと思います。一つひとつの言葉や文に、自分の体験や言葉をかざして訳していると、思いがけず、自分という人間にも出逢うことができます。
『愚見数則』に記されている、漱石の数多の教えは決して身の処し方にとどまらず、どの様な時にも素直さ、潔さをもち、いつでも中庸を歩むことを伝えてくれています。
この短い文章で、漱石は「胸裏の利刀を揮って」、間違いなく、美事に、私たちを真っ二つに割ってしまいます。
割られてはじめて、私は自分がどのような人間か気づき始めます。
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