ソ連に抑留された少年志願兵・続編

冨久山与志雄(75歳・埼玉県・無職)

 

 その一方で、こうのたまう中上芳夫看守に「兵隊さん」の渾名を贈ってやった。

 その兵隊さんが、急に叱り声をはなってくる。

「この親不孝者めがっ! 自分の生きてきた道をかえりみよ」

 そう言いはなつと同時に、強い力で木扉がとじられた。

 昼すぎになると、またまた、扉ごしに声をかけてくる。

「一七六番、きさまは漢字を知っとるか」 

「少しは読めます」

 そうこたえると、食器孔から一枚の書が投げ込まれ、

「本官がおまえのねじまがった精神を、道義心から鍛えなおしてやる」

 ひくいが聞きとりやすい声が、耳元を突いてくる。

「おねがいします」

「まず手はじめに、五徳を学ぶように。本官の至上命令である」

 との軍令が下る。

 読めば『教育勅語・一二の徳目』より選んだ五徳を守れ、と認められている。

 二時間後には、扉がひらかれた。

 顔をのぞかせた兵隊さんに、まなざしをあげる。

 威儀を正して、教えをこう。

「教育勅語とはなんでしょうか」

「よくたずねた。学問とは人に問い、みずからに問うことである」

 学びのいろはをたれてから、教育勅語とは、

「明治大帝が国民にむかって発布された、教学の規範書である」

 との主旨を講じてくる。

「ご教示ありがとうございました」

「声をだして読みあげよ」    

 腹の底から声を絞りだし、読みあげる。

「その一、孝行。子は親に孝養を尽くそう。その二、謙遜。自分の言動を慎もう。その三、博愛。勉学にはげみ職業を身につけよう。その四、遵法。法律や規則を守り社会の秩序にしたがおう。その五、知能啓発。知識を養い才能を伸ばそう」

 五徳を読みおえ、正しき人の道をしっかり学んだ。

 兵隊さんが、強面の頬をゆるめるかのようにして、

「本官は明治大帝のフアンではないぞ。軍に志願したのは愛する祖国を守らんがためであった。だがなあ、教育勅語は日本人の精神融合を醸し、青年の未来を育む聖典である」

 と、言って、五徳の勧めをおえた。

 つぎに、切り口をかえて本質にせまってくる。

「五徳を守りきれば、おまえは、まともな人間に更生可能だ」

 ところが、わたしには、この意味あいが分からない。

 というのも、あちこちで、耳が痛くなるほど『更生』という言葉を聴かされ続けてきた。

 しかしながら、だれからも「更生とはこうなのだ」と、分かりやすく教わったことが一度もなかった。

 それゆえ、更生の意味をぜひとも知りたいと、念じ続けてゆくことになる。