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文化防衛としての経済再生

金澤直哉(32歳・地方公務員・群馬県)

 

 先日上京した。大学時代の集まりがあって、久しぶりに大学のある街に出かけた。その街は近くに大型テーマパークがあったり、古本屋街があったり、皇居があったりと比較的繁華なところだ。大学卒業が約10年前で当然だが、この10年で懐かしいその街も大きく変わっていた。とにかく外国人が増えた印象だ。

 大学時代よく通っていた寿司屋があった。お金のあまりない大学生でも通えるくらいの値段設定だったが、板前さんが目の前で握ってくれる回らないタイプの店だった。いつもサラリーマンや家族連れ、学生で賑わっていた。よく友人と通ったが、庶民が気軽に入れるいい店だった。

 久しぶりに大学の街に来たのだから、ついでにその寿司屋の様子も見てやろうと行ってみた。店舗の入れ替わりの激しい地域だが、その店は昔と同じ場所にちゃんとあった。あいかわらず繁盛もしているようだ。しかし、かつての面影はなかった。

 まず、フロアの店員が外国人だった。今どき珍しいことではないが、10年前の記憶だと日本人のおばさんかおねえさんだったし、外国人の店員自体そこまで一般的ではなかったので10年という月日を感じた。

 さすがに外国人の板前さんはいないかなと思ったが、板前さんどころではなく、タッチパネル式の回転寿司になっていた。板前さんの姿は見当たらない。

 値段も大きく上がっていた。以前は大学生でもそれなりの量が食べられる値段だったが、この値段だとサラリーマンや学生は気軽に入れまい。客の大半も外国人観光客だった。品書きも「禍々しいザ・筆字で日本風」の日本語に加え、英語と中国語が添えられていた。

 ここ10年で急増したインバウンド需要を当て込んだ変容なのは明らかだった。入ろうとは思わなかった。むしろ、私のほうが場違いな気がした。

 少子高齢化に経済の低迷。所得が長年増えない日本人をターゲットにするより、成長を続ける外国の観光客なり富裕層なりをターゲットにしたほうが利益が大きくなるのだろう。円安も後押ししている。停滞する日本人と成長する外国人では落としてくれるお金の量が違うし、値段設定も高くできる。そのために外国人観光客向けのレイアウトに変える。経営判断としては正しいのかもしれない。

 この小さな寿司屋にかぎらず、こういう動きは全国でじわじわ拡がっているように感じる。

 経済の起爆剤としてインバウンド政策は期待され、ここ最近強力に推進されてきた。コロナ禍を除き、毎年訪日外国人は過去最多を更新してきた。そのうちまた更新するだろう。たしかに経済効果も無視できない。

 所得も増えず年々減少し続ける日本人を相手にするより、成長し拡大し続ける外国の観光客なり富裕層を相手にする。インバウンド需要を当てこむ個々の経営判断は正しいと思う。政府も国としてこの動きを推し進めている。

 しかし、どこか腑に落ちない。一庶民として疎外感を感じてしまう。

 政府は長年デフレを放置し、日本人の所得を増やすことを怠ってきた。財政をケチり、消費税を上げさえした。少子高齢化にも有効な策をとれなかった。

 その失敗をよそに政府はインバウンド政策を推し進めている。もう成長し続ける外国の富を取り込むしかない、そのおこぼれにあずかるのだと。インバウンド政策に外国人労働者の受け入れ拡大、外国資本のための規制緩和、ライドシェア、民泊解禁などすべて軌を一にしている。自ら招いた惨状を糊塗する安易な選択ではないか。

 政府がまっさきに考え、まっさきに行うべきは、長年の失敗を認め、日本人の所得を増やすために全力をあげることだ。もちろん外国の富をうまく取り込むことも必要だ。が、まず日本人を富ませることが正道ではないのか。財政をケチっている場合ではない。日本人が富めばインバウンド政策や外国人労働者の受け入れ拡大などの評価も変わってくる。

 変わってしまった寿司屋を後にしながら、日本人の所得がしっかり上がっていれば、寿司屋はあの懐かしい姿のままだったかもしれないと思った。「横町の蕎麦屋を守ること」が重要であるのなら、「横町の寿司屋」が「外国人向けの日本風の回転寿司」になることも、「横町の土産屋」が「外国人向けの日の丸鉢巻きや侍Tシャツだらけの土産屋」になることも受け入れられないはずだ。

 日本人が貧しくなれば文化は守れないのだ。