ゾンビ企業という言葉がどうやら国際的な定義を獲得したらしく、新聞その他マスメディアで多くその増加が憂いをもって課題として取り上げられている。
二〇二〇年四月八日コロナ禍で初の緊急事態宣言が発令され、多くの企業がリモートワークや接客業においては営業の自粛を推奨され、大型テナントに入る店舗は政府の要請を受け営業を停止せざるを得ない状況になった。
営業権を停止したわけだが、これは憲法に保障される財産権の一部を構成する為、本来であれば粗利補償を実施し企業存続を図り、取引先、雇用を守るべきだという声は与党からもあったが、財政規律を重んじる我が政府の決定により資金繰りを守るというお題目の下実施されたのが「新型コロナウイルス感染症特別貸付」であった。
当時においても、経済活動が再開した際の返済については疑念が持たれていた。借金の返済が始まれば、支出が増加するわけだから元々の売上よりも一層高い売上が必要になるからだ。一部議員は、このコロナ融資に対して「返済免除、劣後債化」の声を上げていたが、これは残念ながら選挙対策であったというほかないだろう。このような中でゾンビ企業と言われるのは経営者としては心外というほかないだろう。
なぜこれほどまでに世間の認識と経営者の現状に乖離が生じてしまうのだろう。かつて伝説のコンサルタントと呼ばれた一倉定は数々の金言を経営者に残しているが、社長には表現力が必要であると伝えている。
経営者は孤独になる。何をすべきか、は自分で決めなければならない。いくら副社長であっても、社長の考えることとは必ず隔たりが生まれる。しかし、やらねばならぬことは企業の存続の為に絶対必要であり、一人で仕事ができぬ社長はそれを幹部社員に伝え、協力を得ることは同様に必要なことであるからそこに「表現力」が欠かすことのできない要素となるということだ。
いつの時代も経営者はこの試練に揉まれているから高度経済成長時代もバブル崩壊の時も現在のゾンビ企業の試練にも変わらず必死にもがいていると私は思う。しかしながら、どの時代とも違う現状が横たわっているのもまた、事実である。それは、「失われた三十年」という低成長・後進の状況である。
未曾有の長期不況の中、企業は大きく二つに分かれた。大企業は利益確保の為に、如何ともしがたい歴然とした力関係を背景に、下請けに流していた仕事を内製化したり、資産効率を上げる為に持てる資産の切り売りを行う。中小企業はというと、切り売りする資産も早々に限度を迎え、かかる費用を抑える為に人件費の削減、将来投資の削減に大企業よりも早く手を付けざるを得なかった。そんな状況の三十年がほぼ間違いなく有史以来、初めてこの日本に訪れてしまったのだ。
いまこそ、経営者はその持てる「表現力」を存分に発揮して、私たちがこの野蛮な嘘まみれの世界の中で礎として機能することがこの社会にとっていかに有益であるかを示し、「公益資本主義」の実現を真に現実のものにしていくほか、この大きな流れに抗うことは不可能であると感じた。
前田一樹(信州支部、39歳、公務員)
2024.07.25
奥野健三(大阪府)
2024.07.25
たか(千葉県、41歳、イラストレーター)
2024.07.25
長瀬仁之介(16歳・学生・京都府)
2024.07.25
北澤孝典(信州支部、50歳、農家)
2024.07.25
前田 健太郎(49歳・東京都)
2024.07.25
浅見和幸(東京都、54歳、システムエンジニア)
2024.07.25
柏﨑孝夫(東京都、38歳、自営業)
2024.07.24
北澤孝典(農業・信州支部)
2024.05.31
清水一雄(教員・東京支部)
2024.05.30