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ソ連に抑留された少年志願兵

冨久山与志雄(75歳・無職・埼玉県)

 

脚やくるぶしの痛みにたえかね、思わず正座をくずす。その動きを待っていたとばかりに、木製のぶ厚い扉がさぁっとひらかれる。目にもとまらぬ速さで、樫の警棒を鳩尾に突きあてられてしまった。両の手を床につき、前かがみで苦しみもだえる。その姿を冷然と見つめた看守が、荒々しくなじってくる。「軟弱者めが」黙ってうつむくと、いきなり二一年ほどまえの話をきりだしてくる。「昭和二〇年八月まで、満洲国に関東軍が進出していたのを、学校で教えられたやろ」「うろおぼえでしかありません」もどかしげな表情となり、「本官は昭和二〇年二月、少年志願兵として満洲の関東軍第一二五師団に配属され、炊事係に就いた。終戦直後の九月五日、ソ連軍に通化省で捕まって抑留された」と、強い口調でまくし立て、以下の説明をつけたした。――この師団は、満洲の防備を目的として昭和二〇年一月に、編成された。が、ソ連が、わが国との不可侵条約(日本とソビエト連邦が昭和一六年四月に締結した日ソ中立条約)を破る。一五〇万のソ連兵が満洲に侵攻してきたのは八月九日。わたしは日本が、ソ連に裏切られた史実を聴かされて、大きな衝撃を受けた。「約束ごとをドブにすてたソ連は、仁義破りのヤクザにも劣る国や」と、心の奥で叫んでいた。少年兵は同年一二月、モスクワの南東約四〇〇キロにあるマルシャンスク収容所に、捕虜として収容されてしまう。が、すぐ重労働にかりだされる。

ソ連の南西、ボルガ河畔にあるサラトフ市で数年まえに発見された天然ガス。これをモスクワに送るための輸送管(総延長七八八キロ)を敷設する作業であった。厳寒の中、凍った地面を工具代わりの鉄片で突き崩そうとするが、穴はまったく掘れず。少年兵は、翌年二月から伐採作業や鉄道敷設作業の現場にまわされた。真冬となり氷点下二〇度にもなる極寒と、木の皮も食べるほどの飢えに苦しんだ。「多くの仲間が栄養失調のため病死してしまったのだ」顔をこわばらせ、抑留時代のみじめなさまを、しゃべり続けた。「平地においた板に二〇センチほどの穴があいている。ここで排便をするが、紙の代わりに雑木林でひろい集めた枯れ葉で尻をふいた」ここで一呼吸すると表情をやわらげ、説教口調となる。「おまえが食える今日の昼食は、温かい麦飯に鯨肉のカレーだ。じつにありがたいと感謝するしかないぞ」と、さとされた。 元少年兵が、うれし涙にむせびながら故国の土を踏めたのは、昭和二二年(一九四七)一月三〇日。ナホトカ港からの帰還船「栄光丸」は、冬晴れの中、波穏やかな舞鶴港にすべり込んだ。出征した日から約二年を経て、満二〇歳となっていた。現在三九歳の看守は、昭和二年(一九二七)七月生れ。いま一八歳のわたしがこの世に生を受けたのは、昭和二二年一一月であった。看守は、祖国のために身命を賭し、生死の境をさまよった元少年兵。かたや、自分ごとで少年刑務所に収容され、懲罰房で苦しんでいるわが身とは、くらべようもなきこと。

看守の左手に目をやると、中指の第一関節の先が欠けている。目の動きをとらえると、「この指は抑留中、重度の凍傷に冒され、自分の手で切り落としたのだ」とのしわがれ声が心に突き刺さった。「きさまは犯罪少年」と、言葉の槍が胸を刺してくる。それにくわえて、「本官は一七歳で少年志願兵となり、本土で一年間の訓練を受ける。一八歳で祖国防衛のため戦地におもむき、最前線でロシア兵と戦った愛国少年であった」との情念を一気に吐露する。が、両眼から一筋の涙が流れ、石の床に落ちた。看守が口にした「祖国・愛国少年」と言う言葉に、ひたむきさを感じ、心を打たれた。が、この兵隊さんは、みずから志願して満州の最前線に配属されていった、少年二等兵であった。