改題第2号(通巻第80号) 読者からの手紙

世界遺産とお茶漬け

 私はユネスコの世界遺産が非常に嫌いです。そしてそれを有難がる世相にも酷く違和感を覚えます。登録を喜ぶ報道を見るたび、前号で浜崎先生も指摘されていた三島由紀夫の「お茶漬けナショナリズム」というエッセイを思い出します。

 三島由紀夫は、海外へ逗留した日本人がその国の食事に飽きたり口に合わなくて日本食が恋しくなり「お茶漬けばかりは思想を斟酌しないとみえて、外国へ一歩出たら、進歩的文化人も反動政治家も、仲良くお茶漬けノスタルジーのとりこになってしまう」と、日本文化や伝統を軽視しながら、イデオロギーや理念などとは異なり、お茶漬けという食文化に自身の血肉と切っても切れない切実なノスタルジーと、それにつられてナショナリズムを実感するような事を批判しています。とても52年も前に書かれたと思えない鋭いエッセイです。

 確かに「世界遺産」として私達の文化や遺産が他所様から評価をいただけるのは、結構なありがたい事なのでしょう。しかし例えば、世界遺産登録が決まってから(あるいは候補になってから)その遺産や文化の保護活動がにわかに活発化し、再評価が始まるような事は主客転倒ではないでしょうか。先人が大事な物を大切に受け継いできたから価値があるのであって、他者から評価を頂戴した事に価値があるわけではありません。これでは帰国して掻き込むお茶漬けにナショナリズムを感じるほうが、よっぽど風流さがあるとさえ言えます。今の私達は他人からお褒めいただいてから、ようやく自身の文化の価値を再認識するという有様なのです。

 そしてしばしば標榜される「文化を大切に守り伝えましょう」という言葉が既に異常にしか感じられません。伝統や文化が日本人自身と不可分なものでありさえすれば、「自分の体を大切にしましょう」などと言うまでもない様に「文化を守りましょう」という言葉も成り立たない筈です。つまりもはや私達は、遺産や文化を自身の血肉と切り離した「他者」と見なしている為に、大切にしましょうと呼びかける必要が生じているのだと考えます。自分自身の体を当たり前のように労わるようには、日本の文化や遺産を大切にする事ができなくなっているのではないでしょうか。

 そうして私たち自身であったはずの文化を自然保護区のような「過去文化保護区」とでも呼ぶべき檻にいれて観光地化し、あるいは見世物として海外の方々に「消費」されてしまってはいないか。観光地化するということは必ずその価値は日々消耗せざるを得ません。人が立ち入れば土地は踏み荒れ、落書きや破損もしばしばニュースになります。決して観光産業を否定するものではありませんが、ただ文化や遺産を飯の種としか見做さない事を批判します。遺産に触れる事でその文化を自らの血肉として受け継ぎ、「保守」するのではなく、ただ「消費」しようとする事を批判します。

 そこで消費されているものはかつて私達自身であったものではないでしょうか。自分たちと切り離した「過去の遺物」として世界遺産という名前をユネスコ様から賜り、観光地として利用する。その価値を削り取ってインバウンドと呼ばれる日銭に換金する浅ましい行為にしか私には見えません。

 権威依存、他者から頂戴した箔付けを自身の価値の拠り所とし、ナショナリズムの脆弱な土台にしてしまう。文化的な帰属を軽視し消費するエニウェアーズでありながら、その文化が評価されることをにわかに誇るサムウェアーズであるというその欺瞞。

 三島由紀夫の指摘するように、ただ「お茶漬けは実にうまいもんだ」とだけ誇るべきなのだと思います。あるいは世界遺産なんてものは少しだけ居丈高に、頂けるのであれば謹んで頂戴いたしましょう、とフンと鼻を鳴らしながら受け取るぐらいが丁度良いのではないでしょうか。

投稿者 : 

  • 谷川岳士(大阪府、36歳、会社役員)

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