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セカンドオピニオンのすすめ

小田嶋鷹哉(秋田県、26歳、医療従事者)

 

 医療に従事して5年目となり、前後は何とか左右はまだまだといった状態であるが、一丁前に健康とは何かということを考えるようになった。

 医学の目指す最終地点は全人類が健康に生きることであるということへの反論がどうしても思いつかないのである。

 おそらく健康と聞いて医療に従事するものであれば、WHOの定義を思い出すに違いない。筆者はこの定義こそ健康を診断するクライテリオンであると理解している。

 その定義は直訳すれば、「身体的・精神的・霊的・社会的に完全に良好な動的状態であり、たんに病気あるいは虚弱でないということではない」となる。

 ここにある「社会的に完全な良好な状態」とは経済・文化など様々な面において政府の適切な介入なしに達成されうるものではない。このことが筆者に医学のみならず、社会に目を向けさせる端緒となった。

 精神的・霊的にどうかという点については他に任せるとして本稿ではサルコペニアと痛みという2つの語を用いて国家の身体的健康について論じてみようと思う。もちろん例え話であり人体と国家は異なるので論理の飛躍があることはご容赦頂きたい。

 サルコペニアとは一言でいえば体の筋肉量が減少する病気であり、結果として筋力の減少を招き能力が低下していく。原因は加齢によるものと二次性のものに分かれ、二次性の原因とは不活発な活動や栄養失調、または疾患に付随するものである。

 強靭さが失われることにより転倒による骨折や様々な疾患を引き起こす原因になると共に回復力も失われるため重篤化もしやすく、生命を脅かす問題として世界的に研究されている。対策は筋肉量を増やすことであるから適切なトレーニングと栄養管理が基本となる。

 この話をしているのだから日本国はサルコペニアだと言いたいのであるが、原則として国家は老衰しないとすれば国のサルコペニアは二次性であり、原因は不活動や栄養失調である。

 国家に当てはめたときに“筋肉”とはなんであろうか。

 様々なことが当てはまりそうだがここではインフラを想定してみたい。

 脆弱なインフラは国家のパフォーマンスを低下させるとともに、一度災害が起こると、復興にも難渋するだろう。

 そういう視点でみると不活動、栄養失調はなんであるか自ずと明らかになる。

 2つ目は痛みについてである。

 痛みについては医学的な説明を省くとして、政治家が痛みを伴う改革が必要なのだと声高に叫ぶのを耳にするが、それは正しいのであろうか。

 思えば日本人は痛みを美徳としてとらえている節がある。

 国民的アニメであるドラゴンボールの主人公は死の淵から復活するとパワーアップするし、世界恐慌を乗り越えるために、時の総理大臣浜口雄幸は「明日伸びんがために、今日は縮むのであります」といってしまう。

 ここで痛みについてあるデータを紹介したい。

 WHOによる国別の医療用麻薬の使用量のデータが2010年に出されたのであるが、それを見ると適正使用量に対して実使用量が米国は229%、オーストラリアは106%、英国は66%であるのに対し日本はなんと15%である。

 では痛みを我慢した先に何があるのだろうか。

 2010年にNew England Journal of Medicineから肺がんの一般的な治療と早期からの緩和ケア(苦痛を取り除くケア)を行ったものとの比較が発表された。

 これまで手を尽くした先の緩和ケアと思われていたものだったが、早期から苦痛を取り除くことでQuality of Lifeが向上するのみならず、生命予後も改善していたのである。

 正しい検査がなされ、納得のいく説明を受けたうえでの手術が痛みを伴うことは致し方ない。しかし現在の我が国は痛みを甘んじて受け入れなければならないのだろうか。

 1つ目のサルコペニアと併せて日本に適切な処方がなされているかについて、セカンドオピニオンが必要なのではないかと強く感じている。