改題第2号(通巻第80号) 読者からの手紙

静謐という日本の伝統

 留学先の英国から帰国して数週間になる。3年ぶりに故郷に戻った感慨はやはりそれなりに深い。

 日本の都市の街並みの清潔さや美しさが欧州に比して際立っているというのは、訪日経験のある欧州系の友人らから度々聞かされてきたことではあるが、羽田空港から品川駅まで来た時、知らず知らずのうちに欧州に慣れつつあった私が最初に気づいたのは「人々の静けさ」であった。私品川駅に到着したのは夜の8時頃で人出も決して少なくはなかったが、それでも同程度の人数が集まる欧州のどの都市と比べても圧倒的に「音」が少ない。ある意味神々しいとさえ言えそうな「静謐」がこの極東の島国に遍在しているかの如き印象を受けた。

 他方で、SNSや人伝に聞くことで知り、読みたいと思いながらも敢えて帰国するまでは読まずにいた様々な分野の話題の新刊などに改めて眼を通すと、日本と欧州を隔てる壁の厚みが殆ど肉体的に体感される。

 しかしそこには必ずしも肯定的な差異があるだけではない。

 曲がりなりにも英国で分析哲学の薫陶を受けた私の眼から見て、英米基準に基づく学術的価値を高水準で有していると言える日本語の人文・政治的言論は非常に限られている。なぜこの惨状が野放しになっているのかどうか、その点は明らかでない。だが、幾ら欧米諸国で政治的正しさが猛威を奮っているとは言え、そこで展開されている議論自体は決して日本のものほど雑でもなければ空疎でもなく、それなりに現実の欧州の社会問題、それもいまや何人もその存在を否定できないような際立った社会問題を背景に成立している。

 ところが日本語の言論空間においては、右を向けば根拠がさほど明らかでない自画自賛的文章が際限なく生産され氾濫する一方で、左を向けばまるで題目のように保守政権の政策を悉く批判するのみにとどまらず、保守政党を指導する立場にある個人を様々な理由で弾劾している。こういった知的に不毛な活動に大衆メディアが精を出すのも、(仮令本来の趣旨から逸れているとはいえ)現代において認められた立派な言論の自由の行使であると言われれば確かにそうなのかもしれない。だが、そうした大衆メディアが「高級紙」を自称したり、あるいは事実上そのように社会的に扱われたり、「知性」を代弁するかの如く振舞ったり、または人文系の学者や研究者がこれに加担したりするという目下生じている事態は、結果として日本社会が実際に抱えている問題点を見えにくくしてしまうという点で、懸念すべき問題ではなかろうか。

  それとも、そんなことを問題だと思うのは私が古典的意味における悪しき欧米中心主義の陥穽に陥っているからであろうか?だとすれば、日本において保守すべき伝統とは何なのだろうか。

  斯様な私の煩い思考を、あの神聖なる静謐が包みこむ。もしかするとこの静謐こそが、日本の知的伝統そのものなのかもしれない。その中に煩く佇む私もまた、畢竟静寂に価値を認めてしまっている。

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  • 神谷匠蔵(26歳、愛知県)

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