グローバリズムに関連して思うこと

城野隆史(82歳・元造船設計技術者)

 

 いつのころからか、グローバリズムという言葉が多用されるようになりましたが、私には、その意味が大変あいまいに映ります。Globalな現象があることは分かりますが、そうだからと言ってからと、globalismとは何を指すのでしょうか?-ismと聞けば、資本主義とか共産主義とかいうように「~主義」のように受け止められますが、地球主義なんて主義はそもそも存在するのでしょうか。

 地球温暖化、地球規模の異常気候、サイバー空間の拡大、国際交易の拡大等々、アメリカの西部開拓がついに太平洋に到達したように、人類発生以降、人間活動は次第に地球全体を覆うようになった結果がもたらした必然的現象で、考え方の問題ではないのに、これを主義として論戦を挑むのは、いささか、quixoticに見えます。

 このようなグローバルな条件下で国民の福祉向上をはかるためには、経済の国際競争力を向上させなければならない。そのためには岩盤規制を緩和し、民間の自主的活動の余地を拡大し、研究開発費を拡充し競争力の源泉たる技術力を高め充実させるとともに、世界に共通する公正な貿易ルールを作り上げるべしという輸出主導の主張もあれば、日本には資産はあるのだから、プライマリ・バランス(PB)にとらわれるな、国債を増発して内需拡大せよ、防災対策に向ければ国土の安全は高まるし、資金が渋滞することもないという主張もある。需要の国外依存型企業と、国内依存型企業で主張が違うでしょう。私のように造船業に携わってきたものにとっては、財政出動型は、土木建築業のような国内依存型の業界が国民の安全を盾にとっての利権回復のための主張のようにも受け止められます。戦前、おおよそ8000万人の日本の人口は、2005年ころピークに達し、戦前の5割増加。2060年ごろには、9000万人、ほぼ終戦直後のレベルに落ちるといわれています。増減の勾配はほぼ同じように見えるということは、減少は急速に進むということを意味するように見えます。この傾向は、待機児童解消などの目先の対策で変えられるものではないでしょう。行け行けドンドンで、全国にトンネルを掘り、橋を架け、道路を通し、今になってその補修に頭を痛める。低地を埋め立て宅地化し、山際ぎりぎりまで家を建てたが、過疎化と老齢化が進んで、災害時には特に高齢者に被害者を多数出しました。人口減少問題は、社会のあらゆる面に影響を与え、国土整備問題についても例外ではないでしょう。人口減にいかに対処するかの構想なしに、ただPB緩和せよ、治山治水に力を入れろといっても財務省を説得できるとは思えません。
 私の働いていた造船業は、世界市場が相手でした。そしてついに供給過多に陥り塗炭の苦しみを味わいました。そんな私が昔リオデジャネイロに出張した時のこと、当時のブラジル経済は破綻状態でしたが、それでも一般のブラジル人はアッケらかんとして、見かけは一向に深刻さは感じられません。現地駐在員は、ブラジル国民は、国が赤字なら広大な国土の一部を切り売りすれば済む話だと思っているようだと冗談めかして述べたことを思い出します。その時、私はそんな考えもできるのかと驚いたことを覚えていますが、PB無視派の議論と重なるところがあるように思います。PBのタガを緩めることには一理はあるのでしょうが、しからば何故に、いかほどの緩和が妥当なのか私には納得できる説明を聞いたことがありません。

 現今のような単年度決算で、省庁の補佐官クラスが起案する積み上げ式予算を主計局が審査するという旧態依然たる縦割り行政システムの下で、財務省が自らの権限を維持しようとするかぎりは、どうにもならない問題のように思います。経年疲労した行政システムを根底から見直す必要があります。日本では、outward democracyの議論が不足しています。