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言葉を大事にすること

辻井健太郎(28歳、京都府、会社員)

 

 「言霊の幸はふ国」と呼ばれるほどかつて日本人は言葉に対して敬意を払っていた。とこ ろが、現代の日本人は言葉というものを誰でも自在に扱えるという錯覚に陥り、言葉に対 する尊敬を失ってしまった。新聞や雑誌でみられる粗雑な、無神経な、下卑た、不透明な 文章とテレビで流れる浅薄な流行語の氾濫がそれを如実に現わしている。文豪である谷崎潤一郎は『文章読本』(新潮文庫)を世にだし、「われわれ日本人が日本語の文章を書く心得」 について述べている。

「文章のコツ、即ち人に『分らせる』ように書く秘訣は、言葉や文字で表現出来ることと 出来ないこととの限界を知り、その限界内に止まることが第一でありまして、古の名文家 と云われる人は皆その心得を持っていました」(『陰翳礼讃・文章読本』一四〇頁)

 人間の感情や思想を何でも言葉で表現できるという幻想が現代人の頭を支配している。谷 崎氏の説明によると、たとえば鯛を食べたことのない人に鯛の味を分らせるように説明し ろと云われてもどんな言葉を以ても云い現わす方法がない。故にたった一つの物の味です ら伝えることができないくらい言葉は万能なものではないと述べている。言葉に対する尊 敬が失われた日本では多くの言葉が軽くなり、一つの概念を用いて別の概念が隠されるよ うになってしまった。そして、多くの言葉には偽善がしみ入ってしまったのである。最近 では言葉の混乱が政治に利用されている。たとえば移民を「外国人労働者」、家族制度の解 体を「女性の活用」、戦争に巻き込まれることを「積極的平和主義」など言葉のごまかしが 散見される。かつてナチスはあらゆる言葉の意味内容をナチスにとって有利なように変更 し、言葉の本来的な意味を政治によって自由に変えていった。政治における言葉のごまか しはいずれ全体主義にいきつくだろう。

 ところで、日本では最近小学生に対する英語教育の急進的な改革が進められようとしてい る。日本語よりも英語を学ぶことに力をいれるという常軌を逸した政策が行われようとし ている。

「われわれは、古典の研究と併せて欧米の言語文章を研究し、その長所を取り入れられる だけは取り入れた方がよいことは、申すまでもありません。しかしながらここに考うべき ことは、言語学的に全く系統を異にする二つの国の文章の間には、永久に踰ゆべからざる 垣がある、されば、折角の長所もその垣を踰えて持って来ると、長所がもはや長所として の役目をせず、却って此方の固有の国語の機能をまで破壊してしまうことがある、と云う 一事であります」(『陰翳礼讃・文章読本』一五八頁)

 われわれ日本人の魂である日本語が失われれば、間違いなく日本の歴史、文化、伝統は消 失するだろう。したがって日本を守るためには日本語を守らなければならないのである。

「われわれは今日までに、泰西のあらゆる思想、技術、学問等を一と通り吸収し、消化 しました。そうして種々なる不利な条件を課せられながら、或る部門においては先進国を 追い越して、彼等を指導せんとしている。時代はもはや我等が文化の先頭に立って独創力を働かすべき機運に達しているのである。故に今後はいたずらに彼等の模倣をせず、彼等 から学び得たことを、何とかして東洋の伝統的精神に融合させつつ、新しい道を切り開か ねばなりますまい」(『陰翳礼讃・文章読本』一七七頁)

 言葉に対する尊敬の欠如も西欧化の弊害の一つである。よって、西欧思想を絶対的に崇 めるのではなく、吟味し、優れたものは少しずつ吸収し、東洋の伝統的精神を融合させ、 練磨することで西欧思想に対抗する思想をつくりあげることが急務である。