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インドネシアの“半”知識人

尾上和希(28歳、山口県、無職)

 

一昨年の晩秋、災害復興の調査業務でインドネシアのバンダ・アチェ州を訪れた。
この地はスマトラ島の北端に位置し、13世紀にはイスラーム流入の結節点となった。
2004年に発生したスマトラ島沖大地震により、甚大な被害を被ったのは誰もが知るところだろう。

厳しい暑さの中、現地の通訳が復興後の市街地を案内してくれた。
彼は写真家でもあり、震災直後から街の様子を記録し続けてきたという。
その集大成として出版された写真集を眺めていると、ある写真が目に留まった。
あらゆる構造物が断片と化し、汚泥にまみれ散乱する中で、ただ一つ、整然と佇立する純白の礼拝堂がある。
インドネシアで最も美しいモスクと名高い、バイトゥラフマン・グランドモスクである。
この清澄な白色は、瓦礫の山と明晰な対称を成しており、荒漠たる熱帯地に突如として白妙の雪が顕れたようだった。
まさにイスラーム(Aslama)の字義通り、”絶対者への服従”という感覚が否応もなく体現された一枚であった。

この写真の印象はあまりにも鮮烈で、引き込まれるように眺めていると、彼は不思議な話をしてくれた。
「津波がこの街を襲い、モスクに到達した途端、真っ二つに裂けたんだ。だから、モスクだけが無事だったのだよ。」
同伴した日本人が、冷笑を浮かべた。「きっと、耐震基準を満たした建物だったのでしょう。」と吐き捨てるように言う。
通訳は狼狽した様子だった。慌てて「それを見たという人がいたらしい。この地域の人は信心深いから。」と付け加えた。
だが、先ほどの口ぶりからすると、目撃者は彼自身に違いないのだ。
彼は、インテリとして尊厳を保ちたいようだった。その一方で、実感と解釈の断裂を縫合しかねて、途方に暮れた様子でもあった。
後でこっそり、こう聞いてみた。「モスクだけが津波から助かったのは、なぜだと思う?」
彼はかぶりを振って、こう答えた。「分からない。ただ、私は、自分の経験から、神の存在を信じている。」

我々は、思議すべからざる驚異に打たれることを、確かに恥じている。
皆が理解するのと同じように理解する、こうして”生の意味”の問題を回避するのが、現代の処世術であるからだ。
この時、科学的解釈が経験を平板化する道具として悪用され、実感は居場所を失う。
その意味で、我々の現実は、経験の戯画といっても差し支えないだろう。
これでは、生きる甲斐が無い。だが、戯画に頼らねば、生きる場所が無い。
このジレンマにおいて、彼の気持ちが分かるような気がしたのだった。

同伴者のように、経験を専門知の枠組みに矮小化してみせれば、知識人という名の意匠の奴隷が出来上がる。
意匠は世論によって流行し、時代の空気を反映するものであるから、彼らは”空気の奴隷”であるとも言える。
だからこそ、彼らの生には、その背骨を貫く物語がない。あるのは、経験の戯画に対する、驚く程の従順さのみである。
世の中を、戯画を通して見れば、さぞ明瞭に見えるのだろう。こうして、彼らは現実と相対することを放棄したのだ。
そして、彼らは主流派のパラダイムに身を委ね、”凡庸な悪魔”と化す。

こうした事情から、政策的実践の大半が、実際には問題を構成する一部になる。
その結果、既に”日本”は亡くなったといってよい。
それどころか“富裕な、抜目がない、或る経済的大国”は、“貧寒な、脇が甘い、或る植民地”へと凋落しつつある。
ここで私の心象を点検すると、彼ら知識人と同じ傾きがあることは、決して否定できない。
しかし、私は何ら宗教も信仰しないにも関わらず、真・善・美から成る”絶対”は存在すると、己の経験から信じている。
切実な瞬間との邂逅が、”絶対”という呼称を必要とした。そして、その再来を信ずるからこそ、生きてみようと思えた。
全てが攫われ、己を失うあの瞬間を信ずることで、私は絶望に堪え、自分の持ち場を守るのだ。これ以上、望むことはない。
平成最期の年に、以上を自戒の言葉としたい。