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農業技術、社会政策において共通する「全体観」

飯田秀樹

 

 私は18年から埼玉県で農業を独立開業しました。今年の19年で農業経験歴が6年目になりますが、その経験を通じて蓄えた農業技術を振り返ると、その巧拙は社会政策の巧拙と重なる所があると実感しております。

 高い農業技術を有している技術者には、栽培環境の全体を俯瞰しながら栽培することが出来る視野、「全体観」が備わっています。具体例をあげますと、ピーマンの葉が黄緑色に退緑し、肥料切れの症状が出ているとします。全体観の無い栽培者は、退緑する葉を見るなり多量の肥料を追肥します。苗木を植え付ける前に十分に施肥したにも関わらず、です。

 しかし、全体観を有する技術者は違います。植え付け前に肥料は十分に施肥したことを考慮し、肥料不足とは考えず、肥料が吸えてないのだと考えます。だとすると、土壌の乾燥が考えられ、乾燥具合を確認します。普段の水やりが問題なのか、直射日光による根傷みが原因なのか…。このように、上手な技術者は短絡的に追肥をせず、全体状況を俯瞰し問題解決に臨みます。この全体観が栽培の巧拙を決める需要な要因だと思います。

 この事は社会政策でも重なると思います。問題があれば条件反射的に叫ばれてきた規制緩和や地方分権、種々の改革論は全体観を欠いた栽培技術の姿に重なります。肥料が吸えない状態で更なる追肥をされると作物の根は根焼け状態になりますが、全体観を欠いた政策の連続により疲弊しきった今日の日本社会はまさに根焼け状態。今日本に必要なものは全体観を持った思考、つまり真の保守主義思想です。

 2019年も更なる根焼け政策が断行される予感ではありますが、全体観を持った言論及び営農を展開し、少しでも全体観を欠いた拝金主義思想を農村より排撃できるよう戦いたいと思う所存です。