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勇ましさを失った日本人

辻井健太郎(京都府、会社員、29歳)

 

 現代日本で発生している不正や犯罪や偽善を見るにつけ、私は思う。死に対する緊張感を失い、平和の有難さを忘れ、思考停止に陥った日本人が氾濫するようになってしまった。そのうえ、家族と一定の友人以外の同胞の運命には無関心になってしまい、とうとう自己の保身しか願わなくなってしまったのである。そして、政治家は「もはや国境や国籍にこだわる時代は過ぎ去りました」と云って日本国の解体を何の躊躇もなく行うようになったのである。しかも、そんな卑劣な売国行為に知らず知らずのうちに加担する国民も増えている。かつて現代日本人が失ってしまったものをもっていた偉人に内村鑑三がいる。彼の著作『後世への最大遺物』には次のような一節がある。

「それならば最大遺物とはなんであるか。私が考えてみますに人間が後世に遺すことのできる、ソウしてこれは誰にも遺すことのできるところの遺物で、利益ばかりあって害のない遺物がある。それは何であるかならば勇ましい高尚なる生涯であると思います。これが本当の遺物ではないかと思う。」(『後世への最大遺物・デンマルク国の話』、岩波文庫)

 現代日本人から勇ましさというものはおよそ失われてしまった。というのは、戦後教育における生命尊重主義に加えて、損得勘定でしか物事を判断しない日本人だらけになってしまったからである。そのうえ、すべての努力を笑い、ある物事に対して一所懸命にやっている人間のこっけいな欠点を見つけ出しては徹底的に馬鹿にする態度をわれ知らず身につけてしまったのである。勿論そうでないものもいるがいかんせん少数である。

「金を遺すものを賤しめるような人はやはり金のことに賤しい人であります、吝嗇な人であります。」(同)

 現代では金と権力のためには人を騙そうが裏切ろうが何をしても構わないと根底で考える人間が増えている。そして、礼節や作法を失い、モラルが蝕まれ、とうとう人間が崩壊してしまったのである。さらに、日本は近代イデオロギーがもたらす猛毒に侵されてしまい、もはや取り返しがつかない症状が現れているにもかかわらずいまだにこの問題を放置し続けている。近代イデオロギーがもたらす急進的な自由化、平等化は格別恐るべきものである。なぜなら徹底した自由は無秩序に、徹底した平等は全体主義に辿り着くからである。畢竟、大部分の日本人は歴史からなにも学ばなかったのである。これは、異常事態である。

「しかしそれよりもいっそう良いのは後世のために私は弱いものを助けてやった、後世のために私はこれだけの艱難に打ち勝ってみた、後世のために私はこれだけの品性を修練してみた、後世のために私はこれだけの義侠心を実行してみた、後世のために私はこれだけの情実に勝ってみた、という話を持ってふたたびここに集まりたいと考えます。この心掛けをもってわれわれが毎年毎日進みましたならば、われわれの生涯は決して五十年や六十年の生涯にはあらずして、実に水の辺りに植えたる樹のようなもので、だんだんと芽を萌き枝を生じてゆくものであると思います。けっして竹に木を接ぎ、木に竹を接ぐような少しも成長しない価値のない生涯ではないと思います。」(同)

 残念ながら現在では内村鑑三の願いとはまったく真逆のことが行われている。たとえば、 東日本大震災後の消費税の増税、種子法の廃止、水道事業の民営化、TPP、入国管理法の改正など後世のためとは思えない愚策が推進されている。先人達の積み上げてきたものを破壊するその忘恩行為はやがて日本国を蝕み、日本的な特質を失わせ、亡国へと至らせるに違いない。