戦後日本は大衆社会化が急速に進行してしまい、自分が一番よく知っていると思いこんでいるにもかかわらず世間における喧伝、マスコミの言葉に踊らされて判断を誤っている大衆により良識のない人々が次々と議員として選ばれ、とうとう政治までもが大衆化してしまった。かつてアレクシ・ド・トクヴィル(一八〇五〜一八五九年)は次のように述べている。
「平等は仲間のことを忘れさせ、専制は無関心をある種の公徳に仕立て上げる。専制はいつの時代にも危険だが、民主的な世紀には格別恐るべきものである。」(『アメリカのデモクラシー』)
現代日本はトクヴィルが云うような民主的な専制、いわば全体主義の国になりつつある。というのは、政府があらゆるメディアを利用することで世論を操作し、巧みに大衆を煽動しているからである。二〇一九年七月に行われた参議院選挙においてもそれは如実に現われている。消費税の増税が敢行されれば日本国は危殆に瀕するということを多くの学者や専門家達が警鐘を鳴らしているにもかかわらず、ほとんどのメディアがそれをたいして報道しなかった。もはや日本のメディアはメディアとしての役割と使命を放棄しさらには、思考停止に陥り、巨悪に加担しているといわざるを得ない。そのうえ、問題は国民側にもある。ハンナ・アレント(一九〇六〜一九七五年)は次のように云う。
「(前略)徹底した自己喪失という全く意外なこの現象であり、自分自身の死や他人の個人的破壊に対して大衆が示したこのシニカルな、あるいは退屈しきった無関心さであり、そしてさらに、抽象的観念に対する彼らの意外な嗜好であり、何よりも軽蔑する常識と日常性から逃れるためだけに自分の人生を馬鹿げた概念の教える型にはめようとまでする彼らのこの情熱的な傾倒であった。」(『全体主義の起源』)
現在の政府が東日本大震災後の消費税の増税や入管法の改正、種子法の廃止など日本国民を貧困化し、日本国を他国に切り売りし解体する政策を推進しているのは明白であるが、一定の国民がいまだに政府を支持するというのはまったく恐るべきことである。この現象はかつてナチスを擡頭させたドイツ国民に近いものを感じる。もはや戦後はじまって以来の危機的状況といえるのではないだろうか。無知で愚鈍な人々がナチスを支持した結果、ナチスが政権を掌握し、全体主義国家を樹立した。そして、全体主義には必ず随伴される言論統制、秘密警察、強制収容所により多くの人々は虐殺され、人間として生きるのに必要な最低限の自由すら抹殺された。そんな人類の歴史があるのだが、残念ながら多くの日本人はそのことからなにも学んでいないようだ。近代の病は日本人の脳髄をかけ巡り、とうとう治療困難な状態に至ってしまったといえる。もはや現代日本人は未来にしか目を向けず、自分達がどの時代の人間達よりも最上の存在だと思いこんでいるのだろう。これはほんとうに危機的状況である。エドマンド・バーク(一七二九〜一七九七年)は云う。
「すなわち、かれらは、自分たちの思索的なもくろみを、無限の価値のあるものとみなし、国家の現実の装置を、尊重にあたいしないものとみなすのだから、最善のばあいでも、それについて無関心なのである。」(『フランス革命についての省察』)
もはや現代日本人は自分の意見だけを声高に主張し、他人の意見を認めて注意深く耳を傾けることを放棄してしまった。MMT(現代貨幣理論)に対する批判もその一つである。MMTが日本国を救う可能性を秘めているということを何一つ理解しようとせずに支離滅裂な批判ばかりをする人々がいる。そして、その批判をする人々は自分の無知を少しも反省してみようとしないのであった。さらに現代日本では自分の言論に対するつつしみ深さというものが忘れられてしまった。現実を直視せず生温かい世界に閉じこもり思考停止した人々がしらずしらずのうちに悪に加担し、悪を増長させている。したがって究極の悪(全体主義)が出現し、日本の歴史、文化、伝統が終焉を迎えるのももはや時間の問題なのである。日本のほんとうの問題は「近代」をまったく理解していないことである。日本人はまず「近代」について理解を深める必要がある。
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