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日本の政治に蔓延する無責任な態度について

居間にゐるカント(26歳、学生、神奈川県在住、)

 

 ある日、ゼミの教授がある学生に対して以下のように問いかけた。「十万人に一人の確率でガンが発生する食品添加物が開発されたとしよう。あなたはこの添加物の使用の合法化に賛成するか?それとも反対するか?」と。これに対して、彼は「賛成します。なぜならば、その程度のリスクであれば許容して、経済的利益を享受した方が良いと考えます」と答えた。そこですかさず教授は「その結果、あなたがガンになるとしたらどうする?」と追求すると、学生はたちまち「合法化には反対します」と意見を翻してしまった。私はその身のこなしの速さに唖然とするとともに、その無責任な態度に非常に腹がたった。

 仮に彼が自身の主張を真剣に述べていたのであれば、教授の追求を以下のように跳ね返すことができたはずだ。「私はこの合法化に伴う帰結を真剣に検討した結果、非合法のものとしてこれを退けるよりも、全体の利益になると考えたので先ほどの意見を申し上げたのです。この決定で私がガンになるならば、それは仕方ないことです。どんな政治的決定にもリスクはつきもので、それは誰かが必ず引き受けねばなりません。私たちはそうしたリスクを予防ないし軽減するために必要な政策をさらに議論すれば良いのです」と。彼が主張を撤回せざるを得なかったのは、主張を行うにあたって問題の検討が不十分であったか、もしくは、政策で生み出される利益は受け取りたいがそれを実現するためのコストを自分が支払うのは嫌だというフリーライダー的な発想を彼が持っていたからだ。どちらの場合でも、政治に参加し、国家の将来を決める者としては無責任な態度である。前者の態度は国家が人々の思いつきによって左右されることを許し、また後者の場合は政治的論議を単なる自己利益追求の手段に変えてしまうからだ。そして驚くべきことに、彼の後者の態度に共感を覚えるゼミ生が多かった。その時の私は「あなた方には道徳的観点から参政権の不行使をしてもらいたい」と思わずこぼしそうであった。

 私のこうした体験を安易に一般化するべきではないかもしれない。しかし、このような政治に対する無責任な態度は、戦後日本の政治において頻繁に目にされたものではないだろうか。平成生まれの私でも幾つかの例をあげることができる。2009年の政権交代を決定づけたのは「一度やらせてみよう」という思いつきであった。他にも、米国を中心に包囲網が形成されつつあるにも関わらず、未だに中国と商売をしようとする日本企業が沢山ある。新型コロナ流行後も習近平の来日を実現しようと躍起になっている日本政府と彼らは結託しているように見える。彼らは日本が将来直面することになる潜在的リスクを増加させることで金を得ているのだ。現在の動向が続けば、今手に入った金も将来行われるリスクの後払いによって恐らく帳消しになるだろうということは彼らの頭の中にはない。
 ところで、香港国家安全法の可決に伴い、『香港は死んだ』という7月1日発売の産経新聞の報道が話題になったが、私はこの表現に同調しない。というのも同法案が施行されてもなお、自由と民主主義を求めて今後も可能な形で活動すると香港の人々は決めているからだ。香港の自由と民主主義の精神は未だ生きており、またそれは存分に発揮されている。それに対して、日本では上記のような政府や経済界の無責任な所業に対して、国民の多数が批判の声をあげることもない。思いつきや自己利益の追求に満ちた日本の方こそが、実はもう既に「死んでいる」のではないか。

 民主主義といえば、新型コロナ禍の第二次補正予算における真水32兆円の確保を民主主義の成果だと評価する識者もいる。そうした見方も可能だとは思うが、以下のような悲観的な見方もできるだろう。実は新型コロナの拡大と自粛で経済的に困窮した大量の個人が単に量的に多数派を形成しただけにすぎない。よって、彼らは日本の将来や同じ国民である同胞の生活に思いを馳せて政治に働きかけたわけではない。このような見方をする根拠が二つある。ひとつは新型コロナ禍の休業補償や給付金の対象範囲を限定すべきだという主張があったこと。もう一つは、これを機会に憲法に緊急事態条項を作るべきだという主張に対して、いつもの護憲論的な反対が(Twitterのトレンドに食い込んだほどの勢いで)なされていたことだ。両者に共通しているのは、日本のナショナリズム的価値を取り戻す動きの拒絶である。同胞意識や他者との協働がない政治は、既に述べたような単なる自己利益追求の手段と化す。そして競争に国民の目が逸らされることで、財政出動派は今後も緊縮派と新自由主義派の抵抗をこれまでと同様に受け続けるに違いない。

 このような状況を変えようと必死に活動されている人々の存在を私は知っている。この度、私がこのような投稿を行ったのも、そうした人々と共闘して日本を取り戻したいと考えたからだ。