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コロコロコミックとコロナ禍のコミックな人間

川北貴明(30才、芸術家、大阪府)

 

 今も子供、特に小学生男子に大人気な、『コロコロコミック』(以下、『コロコロ』)という漫画雑誌がある。昔掲載されていた作品で有名だったものは、『ポケットモンスター』と『うちゅう人 田中太郎』だ。
 
 漫画には現代の風刺なり世相を反映しているものが少なからずある。そうではないと思いたいが『コロコロ』もそうなのだろうか。というのも、このコロナ禍の日本人及び日本社会を数か月眺めて、杞憂ではあるがそう考えたからである。小林秀雄は生きている人間は「鑑賞にも観察にも堪えない」と述べているが、規準無き「コミック人間」がどうも目に付くようになったのだ。
 規準とは物事を考えるための根本であり基礎であり、持たなければならないものだ。それなしではモノはもちろん判断や思考、価値観を形作ることはできない。『コロコロ』には、子供たち(小学生)へばかばかしく面白いものをという規則がある。ゆえに、そこの作品はそれに則ったものである。

 対してコロナ禍のモンスター人間はルール無用だ。1日の感染者数を重視したかと思えば重症者数で判断する。最近は聞かなくなったStay home、Stay at home、おうちにいよう、のどれを「標語」にするのか、未だ不明。家に居ろといいながら家庭内感染が広がっている現在、家にいてはいけないのか。コロナ蔓延の危険度は5段階評価なのか3段階なのか。数字で表現するのか色で表すのか。「東京アラート」って何だったのか。対コロナ政策の規準は政府(中央)なのか地方自治体が持っているのか。どこもかしこも、何もかもが日によってコロコロ変わる。

 医療従事者には慰労金をあげブルーインパルスを飛ばし花火をあげ建造物をライトアップするのに、流通・運送業や小売業には何もしないのか。実際に大阪では「最前線で働いている医療従事者のみなさまに敬意を表し、感謝の気持ちを表すため、大阪城天守閣において、ブルーライトアップを実施」と公式が声明を出している。大阪のトップたちは青い顔の宇宙人が占めているのだろう。
 対して、「非常事態宣言」下でマスク不足のなか恐怖におびえながらも、「経済のため」の名目で働かされていた非医療従事者には何もない。その判断の規準はどこにあるのか。そんな彼らへの対応をよそに、休業に応じた店には補償をする。あの宣言下で仕事ができなかった人への減免処置もあるらしい。まさに正直者が馬鹿を見る社会である。働けと言ったり働くなと言ったりする首長たちの漫談は、滑稽だろうか。

 「自粛」ということばを命令や指示の意味で濫用していい規準はあるか。社会的距離を英訳した「ソーシャルディスタンス」を使用しているが、それは物理的な人同士の2mの距離を指す単純な言葉なのか。それならば「フィジカルディスタンス」が適当だ。加えてこの機に社会とは、世間とは、輿論と世論の違いなどを深く考えた「大人」がどれほどいただろう。恐怖を煽る時間を、少しは思考に充ててほしい。
 アフターコロナにウィズコロナ、ニューノーマルに「新しい生活様式/日常」などのバズワードが溢れそれに一喜一憂する日本人。そもそも有事から平時へ移ったのだから、日常や生活様式は「創造」ではなく「回復」されるべきものである。「新しい」ものはコロナで十分だろうに。まったくこれは喜劇かそれとも悲劇か。

 規準のなさが政治や仕事、言葉の表現と多岐にわたって露呈しているのである。そしてこの文章を執筆している折に、新型コロナの感染症法に基づく分類を、「2類」から最も危険度の低い「5類」へ引き下げる検討が始まった。どうして分類を規準があって決めたと言うことができようか。「5類」から上げていくとかではなく、「なんか怖そうだからとりあえず2類」だったのだろう。嗚呼、元凶のコロナにさえこの体たらくなのだ!