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関係性の安売り

松原雪乃(35歳、介護従事者、大阪府)

 

私が所属する介護業界では、利用者の食事はどうあるべきかという議論が以前よりよく交わされるようになった。
ある施設で、利用者がおやつを喉に詰まらせて亡くなってしまう事件があった。こういった窒息事故は珍しいことではないものの、施設の職員が、個人として刑事責任を問われ、罰金という有罪判決を受けたことが、業界に大きな衝撃を与えたのだ。

人は、加齢とともに物を食べる力が衰えてくる。嚥下機能低下は、要介護認定を受けて介護サービスを利用する方によく見られる減少だ。私達が日々当たり前に行っている食事という行為は、生活に潤いを与え、生きる活力をもたらしてくれる。その食事が人間の命を奪うこともあるのだから皮肉なものだ。
窒息事故の有罪判決の報を受けて、施設での食事のリスク管理により慎重にならなければならないと考える関係者もいれば、強気な態度を崩さない者もいる。

ある経営者は自信ありげにこう語った。「うちは利用者や家族との関係性を大事にしている。万が一事故が起こっても、関係性がしっかり出来ていれば訴訟にはならない」とのことだった。
しかし、この発言に私は違和感を抱いた。確かに関係性は介護業界に限らず、事業の基本だ。関係性を大事にするのは結構なことである。だがそれは商売として当たり前のことを述べているに過ぎない。

そして関係性とは、一朝一夕で構築出来るような、簡単なことだろうか?
私の卑小な体験で恐縮だが、私が現在所属する組織との関係性は、当初たいへんに険悪なものだった。直属の上司とも、同僚とも、年齢が大きく離れており、地方から出て来て社会人経験の乏しい私には、関係性構築の取っ掛かりさえもどうやって見つければよいかわからない有様だった。人間関係に日々悩み、上司からの言葉に落ち込み、誰に助けを求めてよいかもわからない。袋小路であった。

だが、勤続3年を超えた辺りから、流れが変わり始めたように感じる。徐々にではあるが、この組織の中にいて、自分がどう振る舞えばよいのかが、なんとなくであるがわかるようになってきたのだ。上司は言葉数の少ない人であるのだが、少ない上司の発言の中から、私に何を求めているのかが汲み取れるようになってきた。その手掛かりから、私は仕事の取り組みのヒントを得た。
そうした流れの中で、今の私は周囲との関係性をようやく良好に保てるようになっている。もっとも幾ばくかのぎこちなさは、今でも残っているのであるが。上司も私の意図をずいぶんと汲んでくれるようになった。

そのような体験をしたからか、関係性とは長期に渡る双方向の働きかけによって、徐々に構築されるものであるという認識を強くするに至っている。
だから、一介の事業主が、関係性を大事にしているのだ!と息巻いているのを見ても、それは関係性の難しさを理解した上での発言なのか疑わしいと思ってしまう。
仮にも経営者に対し、偉そうに述べてしまったが「関係性」という言葉を安易に語る人間が、関係性を一方通行で構築するものと捉えていたり、長期的に構築される関係性の複雑性を理解していないかのように見える振る舞いをしているのを、幾度となく目にしてきた。皮相な関係性など、吹けば飛ぶような脆いものだ。安易に使われるこの関係性という言葉の重さを、よく理解しなければならないのではないだろうか。