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【書評】「正解」への懐疑 ~仲正昌樹著『悪と全体主義 ハンナ・アーレントから考える』(NHK出版新書)~

From 啓文社(編集用) 

『悪と全体主義 ハンナ・アーレントから考える』 評者:堀内賢人

「正解」への懐疑

 外から与えられた「正解」にすがりついたとき、人は自ら「思考」する能力を失う。この事実を確かめるべく、仲正氏は二十世紀初頭のドイツへと眼差しを向けた。
 全三巻にわたるハンナ・アーレントの『全体主義の起源』を解説する本書は「反ユダヤ主義」、「人種思想」、「民族的ナショナリズム」といった概念を用いて、まさしくその「起源」が何であったかを詳細に分析する。
何故あれほどまでに当時の人々は「正解」へと引き寄せられていったのか。またその過程でどのようにして「思考」する能力を奪われていったのか。
仲正氏はこう問いかける。全体主義が招いたあの悲劇とは、もはや現代の私たちにとって何の関係もない事柄になってしまったのだろうか、と。

 実際、「全体主義」下におけるユダヤ大虐殺には、二十世紀前半に初めて誕生した「大衆」── 階級から解放されて「自由」である反面、自らの生きる基準や指針を失った人々──の存在が不可欠であったという。
一見、近代の個人主義を謳歌しているように見える彼らは、しかし第一次大戦後に深刻な社会的不安と緊張に晒された。
そんなとき彼らの前に、この苦境を一挙に打破してくれるような解決策が差し出される。「劣等人種」である「ユダヤ人」を「浄化」しさえすれば、我々は再度この国の栄光を取り戻すのだ。
そんな「正解」へすがりつくように人々は熱狂していった。

 確かに現代の日本で、さしあたって大きな「人種」問題が噴出している訳ではない。
とはいえ先の定義を踏まえれば、私たちの中で「大衆」的な要素を持たない人はいないと言っていい。
あらゆる前近代的しがらみに囚われず、何をするにも個人の「自由」が認められている私たちは、むしろ当時の「大衆」よりも「大衆」的だとは言えないか。
ならば注目すべきは、土壇場に追い詰められた途端、容易に「正解」へと飛びついてしまう「大衆」の心理的メカニズムの方である。
私たちが「思考欠如」に陥る条件は、十分に整っている。

 もちろん、かつてのドイツとは歴史的条件が異なるために全く同じような「全体主義」が起こるとは言い難い。
しかし、あたかも真綿で首を絞められるかのごとく私たちは全体主義的発想に蝕まれてはいないか。
無意識のうちに「正解」に固執して現実に即した「思考」能力を欠いてはいないか。本書はこの問題に重要な示唆を与えてくれる。
とはいえ本書には、その全体主義的状況に抵抗する「思考」の能力が具体的にどのようなものであるかまでは示されていない。
強いて言えば、以前ハーバード白熱教室で有名になったマイケル・サンデルの教育メソッドを学校教育に取り入れることで「思考」の力を鍛えることが可能だと、仲正氏は提案している。
が、「思考」とは果たしてそういったものなのか。いずれにせよ耳触りの良い「正解」では何も解決しない。その後の身の処し方は、私たち読者に委ねられている。 
(『表現者クライテリオン』2018年7月号より)

堀内賢人

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