『ゲッベルスと私 ナチ宣伝相秘書の独白』 評者:堀内賢人
「凡庸」な彼女の「非凡」な運命
ヒトラーの右腕ヨーゼフ・ゲッベルスの秘書を務めたブルンヒルデ・ポムゼル。その彼女の回想録と聞いて人は一体何を想像するだろう。そこで語られるのは、ナチに加担してしまった悪人の自己弁護か。あるいは、あの暗黒時代を知る最後の人間の証言か。人によっては、もう一度現代に全体主義を生まないための重要な教訓を期待するかもしれない。が、本書を読み進めていくにつれて、答えがそのどれでもないことに読者は気付いていくことになる。若かりし彼女は「凡庸」であった。ナチの中核を担っていた人物の秘書、という肩書きから私たちが想像する姿とは裏腹に、当時の彼女は至極ありふれた人物である。恋人に紹介された職に就き、そこで能力が認められてナチの国営放送局に誘われた。党員になったのは思想的な理由からではなく、ただ職場で波風を立てないようにするためであった。もちろんその当時、ユダヤ人大虐殺の事実はまだ世間で明るみになっていない。確かに強制収容所の存在は知られていた。が、飽くまでそこは刑務所に入る程ではない軽度の犯罪者が集められた場所だと認知されていたに過ぎない。彼女は出世し、ゲッベルスの秘書の一人となる。とはいえ彼と直接話す機会などは滅多に無く、また同僚も皆ほとんどが思想的にも普通の人たちであった。彼女の言葉を信じれば、ユダヤ人大虐殺に彼女は一切の関与をしておらず、またその事実も戦後になって初めて知ったという。多くの読者は、自分が彼女と同じ立場にあっても彼女と同じ行動を取るだろうと感じるのではないだろうか。
しかし本書の後半に付いている解説は、彼女を「底知れぬ無関心と政治意識の低さと無力感」から「独裁の成立を黙認」した『凡庸な悪』として批判する。これはかつて哲学者のハンナ・アレントが、数百万人のユダヤ人の強制収容所送還を指揮していたアドルフ・アイヒマンを形容する際に用いた表現であった。人類史上類を見ないその「悪」を彼が実行できたのは、その行為の「非凡さ」とは対照的に、後の裁判で「ただ上官の命令に従っただけだ」と執拗に繰り返す彼の無思考さ故に他ならない。とすればブルンヒルデ・ポムゼルとは、そのアイヒマンの「凡庸さ」とは全く異なる意味で──すなわち一般的な語の意味で──「凡庸」な人物でしかなかったのだろう。が、そんな彼女が巻き込まれたのは、抗いようもない大きな歴史の運命であった。
憶測かも知れないが、戦後、その立場が故に多くの心無い非難を浴びただろうにも関わらず、この回想録の中で彼女はそれについて語っていない。そんな彼女へ、事後的な結果を既に知っている私たちが批判を向けることは一体どの程度可能なのか。半世紀以上の沈黙を敢えて破った彼女の語り口を前にして、私はただ彼女の宿命の重みを噛みしめることしかできなかった。
(『表現者クライテリオン』2018年9月号より)
堀内賢人:93年東京都出身。日本大学芸術学部卒業。現在、日本大学文理学部哲学科修士課程に在学。
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