『表現者criterion』メールマガジン

【藤井聡】西部邁氏の「幇助自殺」を考える ~西部言説の適切な理解のために~

From 藤井 聡(表現者criterion編集長・京都大学教授) 

西部先生の自殺における2人の幇助者の逮捕報道の翌日、
本メルマガで当方の見解を公表しました。
https://the-criterion.jp/mail-magazine/20180406/

この記事では、自死についての生前の数々の言葉が、
実際の「死に様」と食い違い、
ツジツマが合わなくなっている様子を指摘しました。

これは西部邁先生を尊敬し大切にしてこられた方々にとっては
耳の痛い話かもしれませんが、
むしろ筆者は、尊敬していればこそ事実から目を背けてはならないと考えます。

そもそも西部先生がおっしゃったように「死に方」は「生き方」なわけで、
それを自覚しながら演じて見せた「死に方」の問題を看過していれば、
結局は、我々の生の規準=クライテリオンまでもが溶解しかねません。

西部先生は「死生論」を声高に語り続けた「言論人」であった以上、
残念ながら死してもなお、
その死について語られる「べき」責務を、負っているのではないかと思います。

ついては、未だ、西部先生の死のショックから
立ち直っておられない方々も少なくない状況下ではありますが、
今日は敢えて、言論誌『表現者クライテリオン』の編集長として、
この問題を改めて論じてみたいと思います。

(1)自殺幇助は、本当に必要だったのか?
西部先生は「入水自殺」しました。

その際、自らの亡骸を遺族にスグに届けるため、
ロープを木にくくりつけていたのですが、
そのロープをくくり付けるのに第三者に幇助させたと言われています。

しかし、幇助者が要らない自殺の方法は様々に考えられます。

例えば江藤淳が採用した方法も考えられますし、
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%9F%E8%97%A4%E6%B7%B3
西部先生がかつて自分が「薬物自殺」する事を前提にした記事を書いています。
https://blog.goo.ne.jp/akira2215/e/468137f1521e6e5cf0a33e9077276f53

だから今回、他者に「幇助」を依頼せねばならない、
やむにやまれぬ絶対的必要性は特に無かったと言わざるを得ません。

だとすると西部先生は、
一人で死ぬ事もできたのに、そうしなかった、のではないでしょうか。

(2)西部先生は、幇助者達のその家族の人生をどう考えていたのか?
もちろん、西部先生は「逮捕」はないと踏んでいたのかもしれません。

それはいわゆる「完全犯罪」であり、
迷惑はかからないと判断したので幇助を頼んだ、
ということかもしれません。

しかし実際、彼らは逮捕されました。

防犯カメラにも映っていたそうですから、
警察は、事件「直後」に容疑者を把握していた可能性すらあります。
https://www.j-cast.com/tv/2018/04/06325559.html

だとすると、もしも本気で真剣に考えてさえいれば、
彼らの逮捕可能性は、容易に予期できた筈です。

にも関わらず西部先生はそれを怠ったのではないでしょうか。

それは結局、
彼らが逮捕されるかどうかに、
西部先生自身が重大な関心を寄せていなかった、
との解釈を、どうしても否定することができません。

そうであるなら、
この西部先生の、二人の幇助者に対する態度、
とりわけ、そのご家族に対する態度は、
無慈悲なものだったということになってしまいます―――。

(3)西部先生は、どういう規準で幇助者二名を選んだのか?
ところでこの西部先生の態度は、「圧倒的立場にある主人の態度」にうり二つです。

一方で、幇助者達の西部先生に対する態度もまた、
その「逆」の態度にうり二つだとも思えます。

例えば当方なら、(1)で述べた「幇助の必然性」一つとっても、
どれだけ説得されても納得できるとは思えません。

おそらくは他の言論人達についても同じではないかと思います。
だからこそ、西部先生は言論人の弟子筋や仲間達には依頼しなかったのかもしれません。

一方で万一、当方が幇助依頼を受け入れることがあるとすれば、それは、
当方が思考停止に陥った場合に限るのではないかと思います。

だとすると西部先生は、知人達の中から、
そうした傾向を持つ者をピックアップし、
その精神につけ込み、自殺を手伝わせた、
ということになりはしないでしょうか。

もちろん、幇助されたお二人は、
信念に基づき、逮捕すら覚悟の上で、
「主体的」に行ったのだと拝察致します。

しかし、そうであればこそより一層、
そのお二人のお気持ちを「上手に利用」した、
という解釈が成立してしまうことになります。

実に「嫌な解釈」ではありますが
この解釈は否定しがたいのではないかと―――筆者には思えてならないのです。

(4)結論
以上の西部先生の「幇助」にまつわる諸判断について、
どの様にお感じになりますでしょうか?例えば、

「自殺するなら人を巻き込む必要など無い筈なのに、巻き込んだ。
 幇助を頼むならせめて配慮だけでもきちんとすればいいのに、
 その配慮すらなかった。」
 
と、感ずる方もおられるも知れませんし、
あるいはもっと別の達観した解釈をされる方もいるかもしれません。

そしてこうした「解釈」に基づく「感想」については、
さらに多様なものがあるように思われます。例えば、

「西部先生も最期は晩節を汚されたのか―――」

「そうかもしれんが、もう死んだ人のことなんて、
 どうでもいいじゃないか」

「西部は最低だなぁ。何が保守だよ。
 普通に考えて、とてつもない不道徳だよ、これは。」

「そうかもしれんが、師匠のことをとやかく言うのはもう、やめようぜ」

「結局西部って、見せかけのエエカッコしかできない
 単なる偽善者だった、ってことだな」

「だけど人の迷惑顧みず、なりふり構わずやりたいことをやり遂げた西部って、
 メチャクチャだけど、やっぱスゴイじぃさんだなぁ(笑)」

「西部や法律はともかく、二人は先生をお支えしようとしただけだ。
 だから、その二人に罪なんてないよ。
 そんな二人を捕まえるなんて、なんて警察は無粋なんだ。」

「西部さんの最期の振る舞いは、<世俗>の常識から言うと最悪だろう。
 だけど、それは、その<世俗>自身の俗悪性に向けた、
 先生からの最期のメッセ―ジであり、一撃だったのかも―――。」

「・・・だとしたら、<世俗>を無視した<保守思想>って一体何――?」

・・・こうした「自由な感想」は
まずは全て読者各位にお任せしたいと思います。

ただし、少なくとも「西部言説」に関して言うなら、
次のような結論を導かねばならないのではないかと、筆者は考えます。

『西部邁氏の言説には、
分析や論理については学ぶべきものはあるとしても、
彼が遺した「死生論」や「実践を伴う保守思想」
に接するにあたっては、慎重であらねばならない。』

この結論は筆者にとって、とりわけ、
「保守思想誌」である表現者クライテリオンにとって、
極めて重大な意味を持つものです。

なお、この結論は今回の件だけでなく、
これまでの「師弟経験」全体を踏まえたものであることも、
あわせて申し添えておきたいと思います。

(つまり筆者は、「今回の件に象徴される西部邁の傾向」との対峙の仕方こそが、先生との師弟関係において何よりも重大であるとかねてから自認していたことを、本報道がでる「以前」の時点でとりまとめた、表現者クライテリオン特別号『永訣 西部邁』への筆者の寄稿文を改めて今、読み返し、しみじみと———感じています。)

本記事の筆者の上記の「結論」をより深くご理解頂くためにも、
是非ともそちらの原稿もご一読いただけると幸いです。
https://books.rakuten.co.jp/rb/15417602/

・・・とはいえこうした結論が受け入れ難い方も少なくないと思います。

しかし、西部先生の言葉と最期の振る舞いに敬意を払うなら、
その徹底解釈は、我々の「義務」なのではないかと思います

そもそもあれだけ派手な自殺劇を演じた西部先生自身が、
それを望んでいなかった筈はないとも言えるでしょう。

本記事はそうした認識に基づくものです。

ついてはこの原稿が、西部先生の「言葉」の適切な解釈を促し、
それを通して、我々の日々の生の実践に僅かなりとも貢献できる事を、
心から祈念したいと思います。

追伸:表現者クライテリオン第二号は、こうした「死に様」を演じた「西部邁」に一冊分の誌面をまるまる捧げた「西部邁・特別号」。西部邁とは一体何だったのか―――ご関心の方は是非、ご一読下さい。
オフィシャルHP:https://the-criterion.jp/
楽天:https://books.rakuten.co.jp/rb/15417602/
アマゾン:https://www.amazon.co.jp/%E8%A1%A8%E7%8F%BE%E8%80%85-2018%E5%B9%B4-05-%E6%9C%88%E5%8F%B7-%E9%9B%91%E8%AA%8C/dp/B07B64T9H8/

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