今野 元 著 『マックス・ヴェーバー――主体的人間の悲喜劇』 岩波書店/2020年5月刊 の書評です。
書評者:田中孝太郎
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マックス・ヴェーバーが没して百年になる今年、新たなヴェーバー像を提示する評伝が登場した。本書はヴェーバーの個々の作品解釈ではなく、主として書簡に焦点を当てることで、その思想や人格がどのように形成されたのかを読み解いていく。こうした手法を著者は、ヴェーバー研究の「伝記論的転回」と呼ぶ。
従来の研究では、ヴェーバーの「現代的意義」を説こうとするあまり、研究者の理念や時代ごとの知的流行が過度にヴェーバーに投影されるきらいがあったという。西洋近代に懐疑の目を向ける者にとって、近代的な官僚制の弊害を指摘し、資本主義の行き着く先に「精神なき専門人、心情なき享楽人」が登場するのを予見したヴェーバーは「近代批判者」として映る。
一方で、西洋近代を進歩的であるとして理想視する者にとってのヴェーバーは、抑圧的な国家からの個人の自立を説く「思想的導き手」と見なされる。
だが、「伝記論的転回」を経て浮かび上がってくるヴェーバー像は、どちらにも当てはまらない。
ヴェーバーが官僚制を批判したのは、それが個人の「主体性」=「近代的自我」を失わせるからである。伝統に固執するカトリックを劣等視し、合理的なプロテスタンティズムに敬意を払う姿勢からも、ヴェーバーを近代の批判者と見るのは無理がある。
また彼は平和主義を忌避し、個人が国家のために主体的に行動することを求める熱烈なナショナリストであった。国家から解放された個人という、戦後民主主義的な意味での「近代人」を想定していたわけでは決してない。本書で強調されるのは、西洋を文化的中心地とし、ドイツ国家の繁栄や自身の信念を貫徹するためには闘争をいとわない、「主体的人間」としてのヴェーバーの生き様である。
ヴェーバーの強烈な「主体性」は、数々のすぐれた業績を残し、教え子を熱心に指導し、言論活動を通じてドイツ国民を鼓舞する上で不可欠の要素であった一方で、
自己中心的で攻撃的な面も持っており、意見を異にする他者に対しては容赦ない非難を浴びせた。さらに、強者が弱者を淘汰することで社会は進歩するという「社会ダーウィニズム」や、西洋人の優位を謳う人種論も、闘争を是とするヴェーバーの思想と無縁ではなかった。
終章ではヴェーバーとヒトラーの思想が比較される。生い立ちは全く異なる二人であるが、闘争的政治観やドイツ・ナショナリズムの重視、カトリックへの批判的態度、西欧中心主義、強い個人が国家を担うことへの期待など、思想面での共通点の多さには驚かされる。
「主体性」=「近代的自我」を何よりも重んじたヴェーバーの思想に、ナチズムにつながり得る危うさが見られるのであれば、近代という時代そのものにも危うさが潜んでいるとは言えないだろうか。ヴェーバーを「近代批判者」と見なすのは誤りだとしても、ヴェーバーという「近代人」を通して、近代の矛盾を考えることは無駄ではないはずだ。
(『表現者クライテリオン』2020年9月号より)
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