今回は、『表現者クライテリオン』バックナンバーを特別に公開します。
公開するのは、「菅義偉論 改革者か、破壊者か」特集に掲載の、本誌編集部の浜崎洋介の記事・第二編です。
第一編から読みたい方はこちらから
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以下内容です。
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まだ水道も来ていない雪深い秋田の農家の長男として生まれ、殆どの子供(八割)が中学卒業と共に東京に集団就職するか、家業を継ぐかしかなかった田舎で育ち、地元の「少数者」として高校進学を果たした菅は、
その後に、「違う世界を見てみたい」、「東京には何かいいことがある」との思いから、高校卒業と共に家出同然で上京することになる。
その後、板橋の段ボール工場に住み込みで働き始めるものの、数か月で離職。「やはり大学に行かないと自分の人生は変わらないのではないかと考え」た菅は、教師だった姉からの仕送りと築地市場でのアルバイトで何とか食いつなぎながら、二年遅れで法政大学に入学する。
学生時代は、政治運動に熱を上げる同級生を尻目に、日劇の食堂、NHKのガードマン、新聞社での雑用などで生活を支えながら、レポート提出と空手の日々を送っていた菅は、大学卒業と同時に建電設備株式会社(現・株式会社ケーネス)に就職。
そこで、「もしかしたら、この国を動かしているのは政治ではないか」、「自分も政治の世界に飛び込んで、自分が生きた証を残したい」との思いを抱き、法政大学の学生課を訪ねて、母校出身の政治家を紹介して欲しいと頼み込む──
ここで注意して欲しいのは、菅が、目の前の現実の必要に迫られて「政治」を志したのではなく、単に「国を動か」すことの権力に憧れて、あるいは、単に「自分が生きた証を残」すために「政治」を志している点である。
その後、大学の紹介を通じて小此木彦三郎衆議院議員の七番目の秘書(書生)となった菅は、その「マメで仕事が早い」性格も手伝ってか、次第に周囲からの信用を集め、ごぼう抜きの出世で小此木彦三郎通産大臣(第二次中曽根内閣)の大臣秘書官に抜擢される。
こうして、この伝手なき「よそ者」は、自分自身の力だけを頼りに、故郷=秋田から遠く離れた異郷の地=横浜で「政治」の世界へと踏み入り、
先に述べたように、横浜市会議員から国会議員、政務官から大臣、そして、官房長官から総理大臣までの道を駆け上っていくのである。
しかし、こうして見てみると、菅義偉の実務面における政策の悉くが、共同体(公助)なき「よそ者」(自助)のフィールド(市場)を拡大することに集中していることの意味も仄見えてくる。
つまり、「よそ者」として政治闘争を勝ち抜いてきた菅義偉は、その身を拘束してくる日本的共同体と、そこに生きられる生活習慣を破壊したいのである。いや、もっと言えば、自分がそうであったように、日本国民に対して「よそ者」として生きよと言いたいのである。
たとえば、夜間割引によるETCの普及や、携帯電話料金の値下げにしても、その動機は、規制によって守られたETCメーカーや携帯電話会社の「既得権」を奪い、それらを「競争」に晒す点にこそあったことには注意したい。
ETCに関して言えば、最初はETC車載機の国内価格がアメリカの十倍であることに驚いた菅が、国内のETCメーカーを、より厳しい世界の「市場競争」に引きずり出そうとしたことにはじまった話だったし、
携帯電話料金の値下げにしても、大手三社による寡占状態を問題視した菅が、格安ケータイ会社の参入も含めて、国民に「選択の自由」を拡大しようとしたところにはじまった話なのである。
そして、この「競争」への意志は、そのまま前例主義の打破を旗印にした「改革主義」と手を結んでいくことになる。
副大臣時代に、地方首長の高額退職金と地方公務員(清掃員やバス運転手など)の高給に目を付けた菅は、早速そのコストカットを要求し、総務大臣になると、能力主義による省内改革を進め、受信料の値下げに難色を示すNHKに「改革意欲のある民間人」(よそ者)を送り込み、
さらに「ふるさと納税」や「頑張る地方応援プログラム」によって、地方を税収獲得の「市場競争」に巻き込んでいくのである。
しかし、ここで問い直すべきなのは、政局での駆け引きで示された、あの「無鉄砲さ」もまた、菅の「既得権への破壊衝動」に基づいたものではなかったのかということである。
「旧い政治」の象徴である小渕派(経世会・平成研)への反逆にしても、銀行の「自己責任」を説いて金融機関の救済を拒んだ梶山静六に対する支持にしても、
自民党の長老政治に対する反乱(加藤の乱)にしても、古賀誠(旧い派閥政治)からの離反にしても、NHK改革を共にした安倍晋三の二度目の担ぎ上げにしても、
その全ては、慣例主義と前例主義によって支えられた共同体に対する反発、既定コースを歩くことで幸福を得てきた人間に対する憎しみ、日本的な「ぬるま湯」に浸ってきたインサイダーに対する「よそ者」のルサンチマンとして発揮されてきたのではなかったか。
その点、政治家=菅義偉の「原点」を考える上で興味深いのは、『総理の影─菅義偉の正体』のなかで森功が紹介している、次のようなエピソードである。
「ちょっと上野駅へ寄ってくれ」
取り立てて何をするわけでもない。車からしばらくJRの駅庁舎を眺めるだけだ。むろん上野駅通いは、官房長官になってから始めた習慣ではない。菅が一九九六年に代議士になって以降、秘書たちはたいていその姿を目撃している。
報道メディア向けの定例会見や国会での答弁で、面白味のない受け答えを貫くクールな官房長官が、しばし感傷に浸ってきた場所、それが上野駅である。菅にとって上野駅は、東京生活の出発点にほかならない。菅は父和三郎に反発して家を出た。
「官房長官は、お父さんから『うちさ、残って家を継げ』と言われてたんだ。それが嫌で家を出ちゃった。夜行かなんかで、夜逃げみたいな形で東京さ行ったんでしょう。
で、上京したのはいいんだけど、仕送りもなかったらしい。その間、お父さんも息子と距離をおいていたしね。段ボール会社の住み込みまでしても、官房長官は東京で何をやりたいってわけでもなかったんでねえかな」(幼馴染・由利昌司氏による証言─引用者)
ここで見落とすべきでないのは次の三点である。まず、菅義偉の〈センチメント=根本感情〉が、故郷の秋田に由来しているものではなく、東京生活の出発点である上野駅に固着しているという点。
そして、その「東京」への固着が、「うちさ、残って家を継げ」という父の言葉=既定コースへの反発に由来しているという点、そしてさらに、だからこそ、単なる反動で家を出たに過ぎない菅義偉には、東京で何かやりたいことがあったわけではない、
つまり、菅義偉の歩みが、ある種の「空虛」さに彩られているという点である(これは、菅義偉自身の証言からも推測できる)。
かくして、この三点が交わる交点に、「運命」というものの理解を欠いた政治家、「ふるさと」というものを理解しない破壊者─菅義偉の像が明確に浮かび上がってくる。…(続く)
(『表現者クライテリオン』2021年1月号より)
続きは近日公開の第三編で!または、『表現者クライテリオン』1月号にて。
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コメント
日産のカルロスゴーンを呼んだのは誰でしょうか?
一般に新自由主義者は、内部から改革できない、と信奉しているふしがある。
浜崎さん、私はほんの少し前まで既得権益を壊すべきでないと考えていましたが、今はその逆です。
何故なら既得権益こそが同じ政党を選び政治を自分達の好きな様に動かすからです。
私にも故郷というものがありますが、そこは里山という様な地域ではなく人間関係も希薄な都市部です。大学進学でそのまま地元を離れた者もいますし、コンクリートに囲まれた都市は大して何処も変わりませんし、帰省する度に公共事業で街並みは変わっていて懐かしさも何もありません。また雇用の流動性政策で国内を移動しまくっている人も多数いる世の中です。
既得権益を壊して皆んなゼロからのスタートでいいんじゃないでしょうか。
ルサンチマンと言えば、毎年テレビニュースで流れる公務員やのボーナス額、大企業のベースアップ報道などがありますが、そこに勤めてない人々は人として当然の感情を抱くわけですが、それをルサンチマンと呼ぶべきではないと思います。
以前の日本は終身雇用制度で労働者は守られ、同じ職場で働く非正規はそこそこの社員より稼いでいたから文句を言わなかっただけです。
当然私は菅総理には批判的ではありますが、この不公平感は是正すべきという立場です。最低賃金も上げないBIも導入しない社会保険料も下げないならば既得権益を壊すしかないのです。
政治を動かす側が何も不景気や生活の苦しさの実感はなくて、特に何も困っていないならば世の中が良い方向に変わるはずもありません。
そもそも、
東京こそ、
田舎者の集まりである。
浜崎洋介
42才、若いな。
だ埼玉出身ですか。
石を投げれば当たるポン大生、
と昔は言われていた。
しかも、芸能人学部かよ。
42なら、よよ良い良いになったかもしれん。
実際は、その人しだいだが。左はあとから追加。
チミこそ、ルサンチマンとやから、
抜け出したんじゃないかね。
あっ、なんだっけ、ルサンチマン