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【特別寄稿】所功 帝王学の真髄

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表現者クライテリオンメールマガジン読者の皆様、こんにちは。

先日発売された表現者クライテリオン最新号。

そこでは所功先生の皇室にまつわる極めて重要な論考を”特別寄稿”として掲載しております。

この特別寄稿「帝王学の真髄」は、クライテリオン編集長はじめ、編集部一同として是非、より多くの方に読んでいただきたいものです。

今回は所先生ご承諾のもと、全文公開いたします!

PDFからもご覧いただけます!

是非ご一読ください!

 

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帝王学の真髄

『誡太子書』に学ぶ

所 功

はじめに──「帝王学の教科書」
 いわゆる帝王学の教科書と称されるものは、中国にも日本にも少くない。とりわけ著名なのは、唐第二代皇帝の太宗(李世民、在位六二六~六四九)が、貞観二十二年(六四六)自ら纏めた『帝範』四巻十二篇は、太子(皇嗣)に与えたものである。
 また、この太宗と重臣(魏徴ら)との政治問答を纏めた『貞観政要』は、第六代皇帝中宗(在位七〇五~七一〇)の治政に役立つよう、史官の呉兢(六七〇~七四九)が十巻四十篇に編纂して上呈したものと、第九代皇帝玄宗(在位六七二~七三九)が一部(第四巻)を改編したものがある。
 この両書は平安前期までに日本へ伝えられ、まさに帝王学の教科書として使われている。たとえば、第五六代清和天皇(在位八五八~八七六)の侍読を務めた参議の大江音人(八一一~八七七)が、勅命により『弘帝範』三巻を撰び、古事を抄出類別した『群籍要覧』四十巻を著している(『三代実録』元慶元年十一月三日条)。共に伝存しないが、前者は『帝範』の解説書(進講用か)、後者は太宗の勅命により魏徴が編纂した『群書治要』五十巻に倣ってつくられたのであろう。
 ついで、第五九代宇多天皇(在位八八七~八九七)は、寛平九年(八九七)三十一歳で譲位の際、自らの勉学と経験をふまえた天皇の心得を書き纏めて、皇太子敦仁親王=醍醐天皇(十三歳)に「遺誡」として与えられた。この「寛平御遺誡」は、全文の伝本がなく、残闕本の写本と諸書の引く逸文により復元するほかない。その残闕本の冒頭の「朕聞、未旦求衣之勤……新君慎之」という書き方などは、『帝範』に模した可能性がある。また『明文抄』(帝道部)所引の逸文に「天子、経史百家を窮めずと雖も……唯群書治要を早く誦習すべし」(原漢文)とあり、太宗の『群書治要』を特に重視されている。
 一方、『貞観政要』も、宇多天皇の勅命により右大弁の藤原佐世(八四七~八九八)が寛平三年(八九一)ころ作成した『日本国見在書目録』(全一六七九〇巻の書目収載)に記されている。従って、少くとも宇多天皇や醍醐天皇が『貞観政要』を読んでおられた可能性は高い。
 また、第六六代一条天皇(在位九八六~一〇一一)の寛弘三年(一〇〇六)、式部大輔大江匡衡(九五二~一〇一二)が、天皇の信任篤い左大弁の藤原行成から借りて写した『貞観政要』を天皇に進講している。ついで第八〇代高倉天皇(在位一一六八~一一八〇)の安元三年(一一七七)、文章博士・東宮学士を務めた藤原永範(一一〇六~一一八〇)が『貞観政要』を進講している。
 さらに、第八四代順徳天皇(在位一二一〇~一二二一)は、承久三年(一二二一)譲位して父君後鳥羽上皇と朝権回復の挙兵を決行されるに先立ち、やがて生まれる後継者、具体的には皇子懐成親王=仲恭天皇(一歳)のために纏め上げられたものが、『禁秘抄』である。
 その「諸藝能事」の項に(書き下し)、「第一に御学問なり。それ学ばざれば、即ち古道に明らかならず、而して政をよくし太平を致す者、いまだあらざるなり。貞観政要の明文なり。鴻才までは然らずとも、浅才は見苦しき事なり」とある。これは既に宇多天皇の「寛平御遺誡」を受け継いで『貞観政要』を精読しておられたことを示すものといえよう。
 このように少くとも平安以来の好学な天皇は、唐から伝えられた『帝範』『貞観政要』や『群書治要』を身近に置き、帝王(天皇)の心得書として重点的に学んでおられたことがわかる。
 しかも、それを皇位の継承者らに推奨されている「寛平御遺誡」も『禁秘抄』も、天皇親撰の帝王学教科書として、後世に大きな影響を及ぼしている。

花園天皇の即位・譲位の事情
 このような唐風(儒教流)の帝王学を真剣に学ばれ、後継の皇太子へ何とか伝えようとされた聖主が、第九五代の花園天皇である。本稿では、それを見事な名文と真蹟で記された『誡太子書』について紹介したいが、その前に同天皇の生涯を略述しよう。
 鎌倉時代の皇位継承には、承久の変(一二二一)以後、朝廷の内紛と幕府の干渉に左右されたことが多い。とりわけ第八八代後嵯峨上皇が後継の“治天の君”を確定せずに崩じられたところ、第八九代後深草上皇の院政とするか、第九〇代亀山天皇の親政とするかを、幕府に相談して決定された。その結果、亀山天皇の後に立てられた第九一代後宇多天皇のA系統(大覚寺統)と、その次に立てられた第九二代伏見天皇のB系統(持明院統)との間で、交互に皇太子となり天皇に至ることになってしまった。
 ついで、B第九三代後伏見天皇の後にはA第九四代後二条天皇が立てられ、父君の後宇多上皇が院政を行われた。この後宇多上皇としては、B系統の九二代・九三代と二代続いたのだから、A系統の第九四代の後も同系統で続けたいと考え、幕府の支持を得るために働きかけておられたが、その最中に延慶元年(一三〇八)八月、後二条天皇(二十四歳)が急逝された。そこで俄かに親王とされ天皇に立てられたのが、A系統の富仁親王=花園天皇(十二歳)である。
 この天皇は、永仁五年(一二九七)三代前の伏見天皇(三十四歳)の第四皇子として、洞院季子(三十三歳)との間に誕生された。しかし翌年、九歳上の異母兄胤仁親王=後伏見天皇が第九三代に即位されていたから、次の九四代にA系統の後二条天皇が立たれた後、B系統へ皇位が戻ってくるとしても、兄君に皇子が誕生されるならば、御本人の出番はないと思われていたことであろう。
 ところが、上記の事情により十二歳で即位された花園天皇は、十年近い在任中、前半に父君の伏見上皇、後半に兄上の後伏見上皇が院政を行われた。しかも、文保元年(一三一七)、次の皇太子をA尊治親王=第九六代後醍醐天皇と定められた。その皇太子が三十一歳となられたので、元亨元年(一三二一)十二月、二十二歳で譲位を余儀なくされている。
 このような事情により、ほぼ二十歳代に在位された花園天皇には、政治的に顕著な治績が見あたらない。しかし、在位中も譲位後の三十年間も、和歌の研鑽に励まれ仏道の修養にも努めるなど、文化的な見識を高め周辺に伝えておられる。その最たるものが『誡太子書』(太子を誡める書)にほかならない。

『誡太子書』の書き下し通釈
 この花園天皇は、譲位十二年後の元徳二年(一三三〇)二月、次の次に皇位継承を予定されていた甥の量仁親王(のち北朝初代光厳天皇)のために『誡太子書』を記し示された。その宸筆全文が長らく伏見宮家に伝わり、現在は宮内庁書陵部(図書寮文庫)に所蔵され、しかも精密な複製が出版されている。
 その原文翻刻は、東京帝大教授の辻善之助博士が『聖徳余光』(のち『皇室と日本精神』再録)に収められている。ここには、それを参考にしながら、さらに読み易くするため、原漢文を省いて書き下し文に少し語釈を加え、以下に紹介させていただこう。(原漢文に句読点・返点を付して、http://tokoroisao.jpに掲載した。)
 

太子(量仁親王)を誡める書

 (1)余(花園天皇)が聞いていることに、「天は蒸民(庶民)をこの世に生じて、この天が君(君主)を立てて人々を治めさせるのだ」という。それが人々に役立つ理由である。下々の民が暗愚ならば、これを仁義(仁愛と道義の心)で導き、平凡な俗人が無知ならば、これを政術(政治の仕方)で治める必要がある。
 もしその(仁義と政術の)才能が無いのであれば、その位(地位)に居ることはできない。人臣がそれぞれ官職を失うならば、なお天事(天の自然な時機)を乱すことになり、鬼瞰(天の咎め)を逃れることができない。まして君子で重要な君位に居る者は、慎み懼れなければならない。

 (2)そこで、(汝)太子(量仁親王)について申せば、宮人(宮中の女官たち)の手で大事に育てられ、いまだ人々の意(切迫した状況)をご存じない。常に綺麗な衣服を着て、それを繊紡(織り紡ぐこと)の労役が大変なことに思い至らない。鎮に(いつも)稲栄の珍膳(立派な料理)に飽いてしまいながら、いまだ稼穡(耕作)の艱難をご存じない。国家のためにまだ少しも功がなく、人々のために僅かな恵みもない(ことを自覚してほしい)。
 ただ単に先皇(先祖の歴代天皇)の余烈(おかげ)というだけで、猥に(わけもなく)万機の重任(万事を統べる重い天皇の任務)に上ろうとしている。徳が無いのに謬って王侯(貴族)の上に身を任せ、功も無いのにかりそめに人々の間に臨むというのは、どうして恥しくないのか。また、詩経・書経や礼楽(礼儀と音楽)は人々の風俗を治める道であるが、この四つのうち何ができるか、太子みずから省みてほしい。
 もし温柔敦厚(温厚篤実)の教を体得し、疏通知遠(筋道が通り将来を知る)の道の極意に達しておられるならば善い。しかし、それだけではなお足りないことを恐れる。ましていまだこれらの道徳(人としての正しい道)を備えていなければ、どうして重い位の天皇となることができようか。これは求めて為す所では無い。たとえば、網を捨てて魚が羅るのを待ち、耕さずに穀物の成熟するのを期待するようなもので、これを得ることは難しいにちがいない。仮に勉強してこれを得たにせよ、おそらくこれを自分のものとすることができない。そのため、秦は始皇帝(姓は★、名は政)が強いといっても、二代目で滅び漢の代となった。隋も煬帝は盛んであったが、次代に滅び唐の代となったのである。

 (3)しかるに、諂諛(おもねりへつらう)の愚人が、思い込んでいるところによれば、「吾が朝は、皇胤一統(皇室の血統が一つに繋がっていること)である。従って、彼の外国(中国など)が君徳により鼎を遷し(王権を易え)、勢力により帝権を争うのとは異なるのだから、わが国では君徳が微少であっても、隣国が皇位を窺覦する(盗み取る)ことはありえず、政治が乱れたとしても皇位を異姓に簒奪される(皇族以外の俗姓をもつ者共に奪い取られる)の恐れもない。これは宗廟社稷(先祖と天地の神々)の助けであり、他の国に卓★(抜きん出て勝れていること)だからである。
 それゆえ、僅かでも先代の余風を受け継ぎ、大した悪いことをして国を失うようなことさえなければ、守文の良主(守るだけの良い主)として、これで足りるはずだ。どうして君徳が唐虞(夏以前の陶唐=堯と有唐=舜)に及ばないとか、感化が粟陸(無為にして化した粟陸氏)に等しくないといって恨むのか」という。士女の無知な者は、この話を聞いて、皆いかにもその通りだとしているようだが、自分の思うに、これは深い謬りである。

 (4)何となれば、釣鐘は響を畜えているものだが、九乳(九つのイボがある鐘の異称)を叩かないで、誰が音を発しないといえようか。また明鏡は影を含むものだが、万象(あらゆる物の形)がそこに臨まないで、誰か影を照さないといえようか。このように事迹がいまだ顕われなくても、物理(事物の理由)は炳然(明白)である。ゆえに孟訶は『孟子』(梁恵王下)の問答で、周の武王が紂王(帝辛)の家臣でありながら主君を討ったことについて、紂は「仁」も「義」もない「残賊の人」(一夫)だから、武王は君を誅したことにならないと説いている。だから徳の薄い者が神器(皇位)を保とうとしても、どうして理に当るだろうか。
 これをもって思えば、累卵の頽嵓(卵を積み累ねたところ)の下に臨むよりも危く、朽索の深淵(腐った縄の沈んだ深み)の上に乗るよりも甚しい。たとえ吾が国に異姓の窺覦(諸豪族による王朝の奪い取り)を無からしめても、宝祚の修短(皇位の長い短い)は、多くこの理によるものである。
 しかのみならず、中古(ほぼ平安末)以来、兵乱が打ち続き、皇室の権威は遂に衰えてきたのは、甚だ悲しいことだ。太子はよくよく前代の興廃してきた理由を察し観られるがよい。殷鑑遠からず(殷が夏の滅びた例を鑑としたように)、明白な身近い目前にあることを手本とされよ。いわんや今は澆漓(道徳が衰え人情が薄い世の末)に及んで、人々が皆暴悪になっている。知恵が万物に行きわたり、才能が平常時も非常時も経験していなければ、どうしてこのような悖乱(道理に外れ正道を乱すこと)の世俗を治めることができようか。けれども、凡庸な人々は、太平の時に眼が慣れてしまい、現今の乱を知らない。時が太平ならば、庸主(凡庸な君主)でも、何とか治めていくことができよう。だから、堯・舜のような聖人が人々の上に立っておれば、たとえ十人の桀・紂が下にいても世を乱すことができない。それは大勢が治まっているからだ。

(後半へ続く)
 

(『表現者クライテリオン』2022年5月号より)

 

 

他の連載などは『表現者クライテリオン』2022年5号にて

『表現者クライテリオン』2022年5月号 「日本を蝕む「無気力」と「鬱」」
https://the-criterion.jp/backnumber/102_202205/

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