本日は『表現者クライテリオン』2023年1月号より、星山京子さんの特集記事「グローバリズムと日本アイデンティティ」をチラ見せ!
気になった方は是非、本誌を手にお取りください。
幕末、国学の知は「道の奥」津軽にも及んでいた。
町人身分の一国学者が見た“グローバル化”とは。
星山京子
危機の時代──幕末と現代日本
中国の権威拡大、台湾有事の可能性、ロシアのウクライナ侵攻等、グローバルな秩序の再編が起きつつある今、少子高齢化による労働力不足、格差社会、低迷する経済等々、国内にも課題が山積しており、現代日本はまさに危機的状況にある。
幕末日本の危機は、今よりさらに深刻であった。江戸中期以降、商品経済の浸透により、物価は高騰、頻発した凶作や災害により農村は荒廃、幕府は財政難に直面するなど、封建制は徐々に行き詰まりをみせていった。そして十八世紀後半からはじまった欧米列強による外圧が、国内の混乱に拍車をかけた。
アヘン戦争(一八四〇―四二)により、中国はイギリスにあえなく敗れ、日本において長年、政治、学問の模範であった「中華」(世界の中心、という意味)の国の権威は失墜した。こうした中、日本の眼前にそびえ立ったのが欧米文明だったのである。中国の代わりとして、日本は西洋を模範とするべきか。アジアの伝統はどうするのか。日本とは、日本のアイデンティティとは何か。幕末の日本人は、こうした問いと格闘したのである。
本稿では、開港後の箱館(江戸時代の表記)に滞在、「グローバル化」の第一段階を迎えた日本を見聞した、ある日本人をとりあげる。彼は欧米文明を、そして日本をどのように考えたのだろうか。現代日本が今、そこに迫る危機を「反転」させるためのヒントを先人の行動や叡智から学んでいきたい。
国学者の「グローバル」体験──一八五五年・箱館現地取材
国学は、江戸時代後期、外国文化が入ってくる以前の日本古代の精神、日本人のルーツを探究する学問として発展した。幕末期、開港後の箱館を訪問、欧米文明や世界における日本の位置を自らの目で確認しようとした人物がいた。津軽出身で町人身分の国学者、平尾魯仙(ひらおろせん)(一八〇八―一八八〇)である。
一八五九年、箱館は開港、前年に締結された安政五カ国条約、いわゆる不平等条約により、アメリカ、イギリス、フランス、ドイツ人が上陸した。魯仙は一八五五年六月の十六日間、箱館に滞在、町の状況や人種ごとの容貌の特徴、地位や職業による装いの違い、アメリカ、イギリスの葬送、墓の違い、行動、鏡、傘、楽器などの日用品、食文化などを日本との比較を交えながら、絵と文章で記録、現地で聞いた話とともに『箱館夷人談』、『洋夷茗話』(一八五六)を著した(図1)。彼は津軽画壇をリードした画人でもあった。
魯仙は「グローバル化」の初期段階にあった日本を実体験した。当時、箱館には八艘の欧米船が停泊、市中の様子をこう述べている。外国人が毎日、約二、三百人上陸、現地の住民と肩を並べ闊歩している。治安は良好で、異なる国籍の人々が肩が触れあっても反目せず、オープンに交流している(「松前箱館の海口(みなと)に休帆する異国船は、北アメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、の四カ国とぞ。
(中略)当時八艘滞留して、此船々より三四十人又は五六十人づゝ、都(すべ)て二三百人許(ばか)りも日々に上陸し、箱館市中及び亀田村、有川村の在々を往来して当地の人と肩を摺(すり)合ふと雖、なれて又回視するものなし」、「洋夷茗話」『洋夷茗話 箱館紀行』八坂書房、一九七四年)。欧米人が日本社会に溶け込み、住民と共存していることに気づいたのである。彼らが博打を打ったり、酒をラッパ飲みしながら歩く様子、東北の民俗行事、ねぶた祭に参加、住民とともにねぶたを担ぎ町を練り歩き、踊る姿。中には、便器と知らず、帽子のようにかぶって歩く外国人に、その用途を日本人が手真似で教え、笑い合うといった微笑ましいシーンも記されている(図2)。
魯仙の記録の中には、アメリカ人夫婦が腕を組んで歩く姿を、倫理を知らない淫らな姿としたり、鶏や牛の屠殺方法が残酷である等、文化の違いからくる多少の違和感を吐露する箇所はあるものの、外国人に対する敵意や憎悪はほぼ見られない。魯仙は箱館で「世界」を見た。
外国を緻密かつ客観的に観察、さまざまな情報を分析するプロセスの中で、文化や民族のダイバーシティに気づいたのだろう。野蛮で珍妙な生き物として、欧米人を理解したのではなく、異なる文化や人種を認めつつ、彼ら自身や行動の中に普遍的な人間性を見いだしたのである。
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