本日は『表現者クライテリオン』2023年1月号より、與那覇潤さんの特集記事「博士の異常な信仰、または科学は如何にして驕るのを止めて宗教を受け入れるようになるのか」をチラ見せ!
気になった方は是非、本誌を手にお取りください。
與那覇潤
一 検索という病
反転を感じとるには歴史が必要である。
たとえば二〇二〇年以降の新型コロナウイルス禍や二二年に勃発したウクライナ戦争は、世界市場の一体化へと向かってきた人類の歩みを「反転」させたのだろうか? そうした命題の当否を論ずるにはまず、そもそも一九八九年の冷戦終焉以降にグローバリズムとデモクラティック・ピース(民主主義国の増加による平和)が手を携えて進展したという「歴史」を、覚えていなくてはならない。
あたりまえと思われるだろうが、しかしこうした「言わずもがな」も逐一確認しなければ、消え去ってしまう。だいぶ前から、そんな状況がこの国では続いている。
過去の積み重ねの上に現在があるとするのが、歴史の感覚である。だから歴史を生きる人は過去を振り返るとき、特定の一時点だけを採り上げて「つまみ食い」はしない。その時点から現在へとつながる一連の流れ──歴史の「文脈」の全体を把握した上で、そうした一本の線の上にある個々の事象の意味ははじめて明らかになる、と考える。
ところがそうした態度は、すっかり死んでしまった。
目下主流の過去に向きあう手法は、歴史ではなく「検索」である。検索によって過去を扱う人にとっては、往時ではなく現在こそが先にある。もっぱら「いま」の興味関心に沿ってキーワードを検索窓に入力し、表示される結果のうち自分を満足させるリンクだけを踏み続ける。その先に再構成されて浮かび上がる過去の姿は、実は「現在」の自身の状態の映し絵であって歴史ではないのだが、多くの人はそれに気づかない。
一例として、新型コロナ禍の初期に「スペインかぜの教訓が役立つ」と称する語りが流行したのは、単に「パンデミック」で検索すると真っ先に表示される挿話だったからに過ぎない。
スペインかぜとは一九一八~二〇年に流行した新型インフルエンザで、大正期の日本で約四十万人、全世界で数千万~一億人の命を奪ったが、当時と現在とでは①抗生物質の有無、②上下水道の普及、③公的医療保険の整備、④絶対的貧困層の多寡がまるで異なる。
しかしこれらの課題が百年の歩みをかけて、いかに解消されてきたかという過去の積み重ねとしての歴史を忘れてしまえば、二十一世紀にも同規模の災厄がそのまま再現されるかのような錯覚に陥りパニックを招く。そしてこの国の「歴史学者」は、そうした風潮をたしなめるどころか率先して煽り、いまも反省の色は特にみられない。
過去への接し方が「歴史から検索へ」と変容したことにともなうバグは、社会的な課題の位置づけに関わる「大きな物語」に限らない。二〇一〇年代を通じたSNSの定着は、日常での人間関係をめぐる「小さな物語」の舞台においても、同種のエラーを続発させている。
もし対面の場で、あるいはオンラインで、ある人がその見識や評判に照らして意外に思われる「不適切」な発言をしたとしよう。こうした時、いったいなぜそんな言葉が彼の口をついて出たのか、相手の過去の歩みを丁寧にたどり、発言自体には同意できずともその背景を理解する。これが、人びとが「歴史」を生きた時代の社交のあり方だった。
しかし「検索」の時代のSNSは違う。なんらかの「失言」が飛び出すや否や、当初はその場に居合わせすらしなかった者たちが殺到して、過去の発言履歴を検索し、元の発話の文脈に関係なく「いま」類似して見える結果ばかりを抽出する(いわゆる炎上)。そうしてコイツは悪人だといった「現在」の評価だけを固定し、アカウントのバン(停止)や社会的なキャンセルを通じて、今度は過去の探求を封鎖する。
二〇〇一年に東浩紀氏が、私たちが世界をモデル化する様式が「物語からデータベースへ」と移行しつつあると指摘したとき、主に参照された体験はサブカルチャーの作劇と消費だった。しかしあらゆる過去が「検索対象」に過ぎなくなり、「いま」だけが残り続けて歴史が消えるあり方は、アニメやゲームの虛構から飛び出してすっかり現実の生を呑み込んだように見える。そうした転換が、二〇二〇年代の基層を形作っている。
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