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【特別座談会】人はなぜ「故郷」を求めるのか?①

啓文社(編集用)

啓文社(編集用)

本日から四回に分けて、『表現者クライテリオン』最新号(2023年1月号)に掲載された、2022年12月に発売が開始した仁平千香子著『故郷を忘れた日本人へ――なぜ人は「不安」で「生きにくい」のか』(クライテリオン叢書第二弾)の刊行を記念して行われた座談会の内容をお届けします!


【出版日】2022/12
【著者】仁平千香子
【出版社】啓文社書房
※本書は2020年から2022年にかけて連載されていた記事を加筆修正、新たに書き下ろし部分を追加しまとめたものです。

 

【特別座談会】
人はなぜ「故郷」を求めるのか?
人の「強さ」と「弱さ」の由来をめぐって

仁平千香子×藤井 聡×浜崎洋介

 

「表現者賞・奨励賞」を受賞して後に本誌に連載された仁平千香子氏の「移動の文学」が、二〇二二年十二月、ついに『故郷を忘れた日本人へ──なぜ私たちは「不安」で「生きにくい」のか』(クライテリオン叢書・啓文社書房)として上梓される。どうして「故郷を失った文学」(小林秀雄)や、「ハイマート・ロス」(ハイデガー)は問題なのか。著者の仁平千香子氏を迎えて、改めて、私たちの「強さ」と「弱さ」の由来を問う、新刊記念座談会!

 

藤井▼本日はこのたび、クライテリオン叢書で『故郷を忘れた日本人へ』を出版された仁平千香子さんをお迎えして、当方と浜崎洋介さんとで鼎談いたしたいと思っています。

仁平さんはオーストラリアのシドニー大学で村上春樹の研究で学位を取得され、日本の山口大学で講師をお務めになりながら学位研究である村上春樹論を交えた批評文を『表現者クライテリオン』にご寄稿されたのですが、その内容が高く評価され、二〇二〇年に表現者奨励賞を受賞。

その後、本誌クライテリオンで「移民文学」についての批評文を連載されていたのですが、このたび、その内容を一冊の本にしてとりまとめ、出版されることになったという次第です。

我々『表現者クライテリオン』の編集部としても、仁平さんの批評活動には大いに期待を寄せているのですが、今日は、日本国内での「出版デビュー」をされたこの機会に、ぜひ、このデビュー作のお話を中心に、仁平さんのお話をお伺いしたいと考えています。ついてはぜひ、ご挨拶も兼ねて、仁平さんから一言ご発言願えると幸いです。

 

仁平▼移民文学、つまり移動する人たち、宙ぶらりんの人たち、根付けない人たちの文学にずっと興味がありました。その中で、たまたま日系アメリカ人や第二次世界大戦中の外地で生まれた人たちの物語を『クライテリオン』の連載で書かせていただいていました。

ですが、途中からだんだん自分の中で縛りを消して、移動とそこまで関係のない、今こそ語られるべき文学だと思うものを自由に選んで書かせていただくようになりました。

 

 二〇二〇年から連載していたのですが、コロナ禍ということもあり、やはり「不安」というキーワードが大きく出てきたなと思います。不安と恐怖に強く動かされる人たちと、そうでない人たちと二分されているように見えて、さらにそういう人たちがメディアに揺さぶられて、二次的にコロナという病気以外で色々な人が困難な状況に陥っているところを見ながら、今読むべき物語を色々とピックアップしていきました。

 

 そして本にすることになった時、浜崎さんがこのタイトル(「故郷を忘れた日本人へ」)を提案してくださって、「ああ、なるほど、自分はここに進んでいたんだな」とすごく納得しました。

 

藤井▼「移動の文学」のコアにあるのは、「故郷がない」という概念ですよね。

 

仁平▼そうですね。けれど、故郷って必ずしも祖国や場所だけではないと思います。自分の軸がない人も、結局故郷や自分を忘れているという意味にもなるでしょうし、歴史を忘れていることも故郷喪失の一つです。

「故郷」という言葉に込められた意味はたくさんありますが、私の言いたいことを上手に汲み取ってくださったタイトルでありがたいなと思いました。人が困難な状況に陥っているところを見ながら、今読むべき物語を色々とピックアップしていきました。

 

 そして本にすることになった時、浜崎さんがこのタイトル(「故郷を忘れた日本人へ」)を提案してくださって、「ああ、なるほど、自分はここに進んでいたんだな」とすごく納得しました。

 

藤井▼「移動の文学」のコアにあるのは、「故郷がない」という概念ですよね。

 

仁平▼そうですね。けれど、故郷って必ずしも祖国や場所だけではないと思います。自分の軸がない人も、結局故郷や自分を忘れているという意味にもなるでしょうし、歴史を忘れていることも故郷喪失の一つです。

「故郷」という言葉に込められた意味はたくさんありますが、私の言いたいことを上手に汲み取ってくださったタイトルでありがたいなと思いました。

 

藤井▼まずはタイトルをご提案いただいた浜崎さんから、この本ならびに仁平さんについてお話していただければと思います。

 

「弱さの肯定」への違和感

浜崎▼こう言っても失礼には当たらないと思いますが、この本を読んで、やはり女性らしいと感じました。大上段に構えるのではなく、日常的で繊細な感覚を拾いながら、故郷とは我々にとって一体どういうものなのか、それが私たちにどういう「強さ」をもたらすのかということを考えつつ、故郷喪失の経験が導く様々な「弱さ」の問題を考察されています。

 

 とはいえ、これは現代文学の流行とは一線を画しています。現代文学は「弱さ」を肯定することばかりに気を取られていますが、しかし、仁平さんの主題は、故郷喪失の苦しみや葛藤を通じて、どこに人間の本当の「強さ」があるのかを描き出すことですからね。

 

藤井▼確かに、野郎はすぐにそっちに行きますからね(笑)。女性はあまりそうならないですよね。

 

浜崎▼おっしゃる通りです。と同時に、それこそが、仁平さんが出てきたことの意味です。

 

 仁平さん自身もポストコロニアリズムとかカルチュラルスタディーズとか、どちらかというと、「私たちの不幸は、近代主義と植民地主義のせいなんだ!」という議論が多い業界にいらっしゃって(笑)、だからこそ移動の文学なんかを研究していらっしゃったんだと思いますが、でも同時に、そこに違和も感じてらっしゃったんだとも思います。

そんな時、藤井先生のラジオを聞いて、「やっぱり、人が人である限り、強さを求めていいんだ!」という解放感を得られて(笑)、『表現者クライテリオン』に投稿を始めたんですよね。

 

 では、「弱さ」の本質とは何か。それこそ、この本の序論で触れられている木村敏の議論が参考になるんだろうと思います。人は故郷感を失うと、離人症的状態に陥るんですが、そのリアリティのなさこそが「弱さ」の異名なんですね。

ブランケンブルクという精神科医が、『自明性の喪失』という本の中で、人は自分自身の背後、つまり、過去との連続性を失うと「自明性」を喪失するんだと言ってますが、それこそ現代的「弱さ」の本質でしょう。

 

 たとえば、現在完了形ってhave+過去分詞でしょう。あれは現在が過去を所有している感覚の表現なんだとブランケンブルクは言うんです。でも、統合失調症や離人症の患者は、この「過去」を「持っている(have)」感覚がない。

そうなると自己のリアリティが解体してしまうので、最終的な判断の根拠をも失ってしまう。すると何を見てもビクビクしてしまうので、人は次第次第に弱くなっていってしまうんだと。これこそ故郷喪失が呼び出す悪循環の病理です。

 

 ちなみに、仁平さんは、「過去を持つ」ということを、もっと分かりやすく「おかげ様」という言葉で語っていますよね。「おかげ様」とは要するに、他者との関係の中にいて私がいて、私だけでは生きていないことに対する素朴な感謝の念です。

だけど、これをどれだけ自覚するかによって、人の「強さ」が全く変わってくる。そのことを色んな文学作品を素材にしながら書いてらっしゃるんじゃないかなというのが、まずは私の感想です。

 

藤井▼今の話をお聞きしていかがですか。

 

「弱い人」の持つ「強さ」

仁平▼確かに、文学で描かれるのは弱い人たちですが、私は文学を読むことで自分の強さを見出していった経験があります。弱い十代、二十代を過ごして、文学の面白さに目覚めた時に、「考える自分」というものを発見したんです。

文学を読んで、そこに反応してしまう自分、それを知りたくて解釈しようとする自分があって、そこで初めて主体的な自分、かけがえのない自分に気づきました。

 

 若者は簡単に他者の言葉に動かされて、常に基準や正解を求めていく中で疲れていくわけですよね。そういう外に答えを探すことに疲れていく中で、文学というものに主体的に取り組もうとした時、初めて「考える楽しみ」を見出したんです。

考えることはクリエイティブなことですよね。読んでいる自分がすごく創造的なことをしていると思った時に、すごく自分が愛おしいと思いました。そういう形で根を張るための第一段階を踏めたように思います。

 

 今回の本は文学論ではなく、「文学を読む私」について書いています。作者だけが創造的な人ではなく、読者も積極的に読めば、非常にクリエイティブな作業になると思います。そこで自分を強くしていくことが文学の役割かなと私は思います。

 

藤井▼たとえばどんな本でそのことを感じられましたか。

 

仁平▼私は大学でアメリカ文学を専攻したのですが、その時に好きなものを読んでいく中で、自分の興味がある文学はユダヤ人か、ブラックアメリカンか、同性愛者の物語だと気づきました。

彼らはアウトサイダーで、弱い人たちではあるのですが、弱さを書いているわけじゃないんです。大衆が普段気づかない視点を提供してくれていて、それが強さだと思いました。一見弱いと思われる題材が、実は強さへの切符であるように感じて、すごく励まされました。

 

藤井▼そうですよね。生きていると自分の内的なところに、自分の意思なり、ビジョンなりがあるわけですが、この世の中では常に思い通りにはならない。その意味で、人間は望みが高ければ高いほど実現できないことが増えていき、どんどん“弱い”存在になっていく。

 

 ただ、どれだけ弱い人が描かれているのだとしても、その弱い人が「負けない」という姿が描かれていることが、文学としてとても大切なのではないかと思います。一晩泣き崩れても、次の日には何かをやっていく。

文学に触れるという行為は、友達と付き合うという行為ととても似ていると思いますが、たとえば自分の親友が失恋したり、事業に失敗したりしても、何とか頑張って痛みをこらえているのを見ると元気が出ますよね。それと同じで、弱いにもかかわらずしっかりと生きている人間の文学に触れると元気が出る。

だから、文学を読むことと友達といることがどれだけ同じものだと思えるかということが、文学の意味を決める重要な要素になっているのではないかと思うんですね。

 

浜崎▼そうなんですね。システムの外で生きざるを得ない人がいるのは事実ですが、にもかかわらず、彼らは単に「かわいそうな人」ではなくて、ものすごい「強さ」を持っているということこそ本質的な問題で、その謎を突き詰めて考えたいということですよね。

 

 しかも、それは、そのまま福田恆存の「一匹と九十九匹」の問題でもあります。でも、普通、福田を読む人は、「九十九匹」か「一匹」かの二項対立でものを考えがちなんです。

「九十九匹」がシステムだとすると、そこから零れ落ちるのが「一匹」であり、それを拾うのが「文学」なんだと。でも、それだけなら、それは弱さの肯定にしかなりません。

 

 重要なのは、システムから零れ落ちた人間(=一匹)が、それにもかかわらず何によって支えられ、何によって生きがいを感じているのかを書くということなんです。

「一匹」の背後には、「全体」(歴史・言葉・自然)との関係があって、その全体との絆を上手く書けないと、本当は強度のある文学にはならない。だけど、今、文芸業界に溢れかえっているのは、ただ単に「九十九匹」から零れ落ちた「一匹」の話ばかりなんですよ!

 

 そう考えると、文学から仁平さんが出てきたことは本当に意味あることだと思います。

 

仁平▼私はそんなに文学の良し悪しを語ってはいなくて、文学的価値がどうかということにはもともとあまり興味はないんです。

文学に読む価値があるかということよりも「読む私」の方が問題で、文学という眼鏡をかけて、言葉が出てくるという行為のクリエイティビティに興味があったんです。

 

藤井▼なるほど、文学を読むと何がしか自分の気持ちが動くわけですから、仁平さんは文学を評価したり解釈しているというよりもむしろ、文学によってどういうふうに自分の気持ちが動いたのか、ということを解釈し、エッセイとして書いておられるということですね。

 

 それは映画を観てもコンサートに行っても皆やりますよね。「あの曲めっちゃよかったよな」「今日の映画、あのシーン凄く感動したわ」みたいな。そういうフレンドリーな付き合いを、文学を相手にしても本来できるはずですよね。

 

仁平▼そうですね。最近は、昔と比べると文学の役割が下に見られている時代だと思います。それと同時に情報社会化が強くなっていっています。

ウィキペディアが典型で、情報社会では複雑なものをいかにシンプルに説明するかが目的になりがちですが、人間や社会は本来複雑ですよね。

でも、私たちは忙しいので早く知りたい。だから表面だけをさらった説明が欲しいわけです。文学は逆ですよね。そんなに簡単に人間は理解できないから、長い小説にならざるを得ないというところもあります。だからこそ文学への興味が減っているのかなと思います。

 

藤井▼最近は皆さん、映画はネットフリックスとかでめっちゃ観るわりに小説を読まないですよね。でも、文学の方が元来「解像度が高い」媒体ですから、この状況はよくないですよねぇ。

 

 個人的な話で恐縮ですが、僕は色々なものに救われて今の僕がいるんだと思うんですが、たとえば若い頃は太宰治だとかドストエフスキーだとかに、ある意味随分救われた。で、今の僕の精神や身体のどっかに、そんな文学が沈殿しているというかへばりついている感触がある。

一方で映画についても『俺たちに明日はない』だとか、『七人の侍』とかも好きだったけれど、どうも映画って『レイダース/失われたアーク《聖櫃》』みたいな(笑)、単なる娯楽っていう側面が強くて、やはり太宰の作品みたいに精神にへばりついたり沈殿したりする、ある種の「凄み」とでもいうものが希薄であることが多い。

もちろん映画には映画だけにしかできない重要な役割はありますが、やっぱり若い子たちには映画だけじゃなくて文学にも触れてもらいたいと思います。

もちろん、全ての文学に救われたとまでは言いませんが、確かに僕を救ってくれた文学はたくさんあるし、そんなものも含めた色々なものを読んだ帰結として今の僕があることは間違いない。仁平さんもきっとそう思って、小説に関わってこられたのではないかと思ったのですが、どうでしょうか。

 

仁平▼映画ももちろん小説と似たところはありますが、どうしても映像だと能動的な作業が少なくなるというか、小説は映像を想像しないと読めないですよね。

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今回はここまで。次回配信は1/12(木)の予定です。

本座談会は『表現者クライテリオン』2023年1月号(p115~)に掲載されています。

 

さらに!「表現者クライテリオン公式YouTubeチャンネル」では仁平千香子著『故郷を忘れた日本人へ』の刊行を記念した
【仁平千香子出版デビュー記念鼎談】故郷を忘れた日本人へ~なぜ、私たちは「不安」で「生きにくい」のか~」が公開されています!
こちらも併せてご覧ください。

ご視聴はこちらから→ https://youtu.be/TiOeu0DzU5A

 

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本誌では『「反転」の年 2022-2023 戦争、テロ、恐慌の始まり』をテーマに2022年を振り返りつつ、2023年には何をすべきなのかが特集されています。

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