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【仁平千香子】「猿蟹合戦」から考える 依存症者によって作られる社会の末路 (前編)

仁平千香子

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表現者クライテリオン2023年5月号より、仁平千香子先生の特集記事を公開いたします。

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「猿蟹合戦」から考える 依存症者によって作られる社会の末路 (前編)
仁平千香子

世論のルールに同調し、

蟹の正義を否定する。

そんな「天下」(大衆)にどんな未来があるのか。

 現代日本社会の問題を現政権の腐敗、また現総理大臣の 責任逃れだけに注目して語ったとしても生産的ではないだろう。少なくとも日本において、政治の問題は国民ひとりひとりの未熟さも大きく影響している。情けない政治家たちが跋扈する現状を許しているのは国民である。政治家が 改善しないのなら、国民が賢くなってより望ましいものを選び直すよりできることはない。そのためには国民が「愚者」に陥らないよう意識を整える必要がある。今回は芥川龍之介の「猿蟹合戦」(大正十二年)を用いて、「愚者」とは何 かを考えたい。

 

優勝劣敗の世の中で蟹の正義に価値はない

 「猿蟹合戦」と言っても御伽話のそれではない。芥川龍之介が同名で書き下ろした御伽話のその後である。そこには 猿を懲らしめた蟹と仲間たちの平穏な生涯が描かれているのではない。驚くことに彼らは「監獄に投ぜられ」「裁判を 重ねた結果、主犯蟹は死刑になり、臼、蜂、卵等の共犯は無期徒刑の宣告を受けた」のである。御伽話の世界にまで法の力が及んでしまったのだ。法が律する世界において仇 討ちは犯罪でしかない。蟹たちは近代社会の常識的判断のもと厳重に処されたのだった。そして社会は蟹という悪を 取り除くことで近代的正義を実現した。
 蟹の何が罪だったのか。芥川は裁判の様子をこう説明する。青柿ばかりを母蟹に与えた猿であったが、猿と蟹の間に熟柿を与えるという証書の取り交わしも、約束もなされていない、青柿を投げつけて母蟹を殺してしまった猿にどれほど悪意があったのかも証拠不十分、ということで蟹側 に立った名の高い弁護士にも策がない。世論も蟹に同情を示さず、猿殺しは蟹の「私憤の結果」であり、「優勝劣敗の 世の中にこう云う私憤を洩らすとすれば、愚者にあらずんば狂者である」と非難する。
 蟹は愚かなことに、「優勝劣敗」というダーウィン的進化を肯定する社会で前近代的正義を信じて実践してしまった のだ。そんな蟹は「愚者にあらずんば狂者」でしかない。そうして蟹の死刑は執行された。「天下は蟹の死を是なりと した」と芥川は書く。
 悲劇は主犯蟹の死刑後も続く。蟹の妻は売春婦となり、その子供たちもみな堕落する。末っ子の蟹は道で好物の握り飯を見つけたところ、虱(しらみ)を取っていた猿に見つかり ……。

 

大衆が愚者と堕すとどうなるか

 この「猿蟹合戦」の滑稽さは誰の目にも明らかではあるが、法によって裁かれるプロセスは実に現実的であり、証拠の有無で被告人の命が左右されるというのは今日、実際 に起こっていることでもある。しかしこの作品において法の力以上に恐ろしいのは、蟹の死刑を当然のこととして支 持する世論である。芥川が「天下は蟹の死を是なりとした」 と書いたように、蟹は「天下」(世論)によって殺されたのだ。
 オルテガが西洋諸国において社会的権力を持ち始めた大衆の暴走に危惧したように、芥川が生きた大正時代は日本においても大衆の影響力が高まり、それによって政治が動かされる事態が起きていた。彼らは他人と同一であることに満足し、より高貴な生を目指して努力することもなく浮標(ブイ)のように漂う人々であるとオルテガは言う(『大衆の反逆』)。つまり物差しは、真理ではなく、他と同じということであって、支持する人数が多ければ、その見方は正当化される。真理とは人生を通した経験と学びをもとに時間をかけて辿り着くものであるが、他人の意見に同調することはインスタントラーメンを作るより簡単だ。つまり大衆とは、軽挙妄動で「無機的な、からっぽな」(三島由紀夫)存在であり、彼らが社会的権力を持てば、社会が健全さを失っていくのは容易に想像できる。当然の判断力を失った大衆によって蟹の正義が否定され命が奪われたのであれば、あまりに残酷な話である。
 この大衆の弊害は、先の疫病騒動でも明らかであった。いまや「茶番デミック」や「インフォデミック」と揶揄される一連の騒動は、指導者たちの思慮の足りない感染対策にも問題はあったが、その対策の科学的根拠の乏しさに疑問を挟まず、あまりに素直に従ってしまった大衆にも致命的な問題があった。
 マスク着用というルールができれば、それ自体が及ぼし得る心身への害より、ルールを守らないという罪の方が裁かれる対象になる。ルールに従う快楽に浸る大衆は恐ろしい。マスクで子供たちの肌がひどくただれることも、友達と一緒に食べる楽しみを知らない乾いた子供たちが育つことも、酸欠の脳への支障も、「しょうがない」で済ましてしまうのだ。挙げ句の果てには生後間もない幼児にまで大人と同じ厚みの布マスクをつけて満足する母親まで登場する。ルールを守る正しさの前には、幼児の肺が小さいという当たり前の事実にも気づかない。大衆はルールを守ることで何を守ろうとしてきたのか。

(後編に続く)

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『表現者クライテリオン2023年5月号』【特集】「岸田文雄」はニッポンジンの象徴である ”依存症”のなれの果て より

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