先般、法政大学沖縄文化研究所創立50周年記念シンポジウム「いま沖縄を語る言葉はどこにあるか―復帰50年目のジャーナリストたちの挑戦」(2022年11月23日開催)に関連する書籍『いま沖縄をどう語るか ジャーナリズムの現場から』が出版されました(注1)。
法政大学沖縄文化研究所(以下、沖文研と略)は、英文学者・評論家として著名な中野好夫氏が1960年に私財を投じて設立した「沖縄資料センター」の収集資料が、1972年に法政大学に移管されたことを機に設立された研究所です(注2)。
中野氏と沖縄との関係は、1954年6月に、東京在住の沖縄出身学生が編集し出版された『祖国なき沖縄』(日月社)の序文執筆を依頼されたことに端を発します(注3)。
中野氏は、沖縄出身学生から直接「なまの沖縄事情」を聞くに及び、自分たちがいかに沖縄の問題を「忘れていた」のかということに気付き、「単なる同情論とか、感傷論というのではなく、はっきり私たち本土日本人の道義的責任として沖縄を考えなければならぬ」と行動を起こすことを決意し、沖縄問題について「本土メディア」に執筆するようになりました。しかし、東京で沖縄に関する基本的な資料さえ容易に入手することができない状況に直面し、愕然とすることになります。
当時は、「反米的」とみなされた者に対して米軍の施政権下にある沖縄への渡航は厳しく制限されていました。地元紙の「琉球新報」や「沖縄タイムス」も半月かかってやっと東京に届くというような有り様であり、本土のマスコミ各社も沖縄に関する問題を積極的に記事にしようという動きは弱く、一般市民はもちろん、「本土」において沖縄に関心を持つ人はごく少数に限られていたのです。
中野氏はこのような状況を打破しようと、沖縄の声を直に「本土」に届けるために、市民の手で資料を集め、公開・利用する場として「沖縄資料センター」を設立します。
センターの設立時のことについて、中野氏は「これはなんとしても東京のどこかに、とにかくそこへさえ行けば一応の沖縄問題の資料はある。そしてそれらを誰でもが自由に利用できる施設ができなければウソだ。それもなくて、沖縄を知れ、沖縄問題に関心を抱けといったところで、どだい無理である」と回顧しています。
沖縄資料センターは、外からの援助を得ることができず、中野氏の私財と人脈だけで切り盛りしていたのですが、沖縄の「復帰」が決まった段階の1972年4月に所蔵資料を「中野好夫文庫」として法政大学に移管されることが決まり、資料の受け入れと同時に法政大学に沖文研が創立されることになりました(注4)。
現在、沖文研では、在京の研究者だけではなく、多くの沖縄・奄美在住研究者をも含んで組織が構成されており、相互交流をしながら活動を行うことを重視して、東京における「沖縄の文化」に関する学術調査・研究の拠点としての役割を担っています。
沖文研の創立50周年記念シンポジウムでは、沖縄についての豊富な取材経験を持ち、いわゆる「沖縄報道」について造詣が深い5名のジャーナリストが登壇し、「沖縄のことを沖縄から伝える 東京から沖縄のことを伝える」という論点から、それぞれの眼差しが捉えて来た沖縄の伝え方について論じていました。
〈法政大学沖縄文化研究所YouTubeチャンネル〉でシンポジウムの議論の模様を視聴することができるようになっており(注5)youtube.com/watch、シンポジウムを書籍化した『いま沖縄をどう語るか ジャーナリズムの現場から』は、登壇者の発言を単に再現したものではなく、司会者やパネリストが、当日の発言をベースにしながらも更に深く掘り下げて書き下ろした文章によって構成されています。
現在、米軍普天間飛行場の辺野古移設を巡って沖縄県と日本政府との対立が泥沼化している中で、マスメディアやネット空間において沖縄を誹謗中傷する「沖縄ヘイト」なる言説が散見されるといった状況があり、シンポジウムにおいても、「沖縄報道」を軸にして「沖縄ヘイト」といった言説をも含む「沖縄」に関する言論について「伝える側」の視点から多面的に論じられていました。
シンポジウムでの議論の詳細については、実際に『いま沖縄をどう語るか ジャーナリズムの現場から』を手に取ってみるか、YouTubeをご覧になっていただきたく思いますが、私自身は、シンポジウムで提示された多様な論点の中で、登壇者の鎌倉英也氏が提唱した「沖縄リテラシー(理解力)」という言葉に興味をそそられました。
「沖縄リテラシー(理解力)」とは、鎌倉氏による「私的な造語」であり、(現時点では)決して聞き馴染みがある言葉ではありません。鎌倉氏は「沖縄が『復帰』50年を迎えた今、私が自戒の念とともに抱くのは、日本の『本土』と呼ばれている地域に、私的な造語だが『沖縄リテラシー(理解力)』が決定的に欠けているのではないかという思いである」と述べた上で、次のように定義して論じています(注6)。
「沖縄リテラシー」とは、直接的には、虚実入り乱れる情報に振り回されることなく沖縄についての適切な知識を持つことを意味するが、私は加えて、沖縄が琉球の時代から現代に至るまでどのように歩んできたか、その過程でどんな共同体としての思想を培ってきたか、それが私たち「本土」とどのような関係の中で生まれてきたか、それによっていかなる条件を担わされてきたのか-そのような歴史的文脈をたどることによって、積極的に沖縄を知ろうとする姿勢であると考えたい。その蓄積を経てはじめて、現在なお進行している様々な問題について繰り返し発せられる沖縄の人々の主張や願いが何に根差しているか、誠実に触れ得るのではないだろうか。
「沖縄リテラシー」がなぜ必要か考えると、それが、日本という国家そのものの未来を問うことに直結しているからにほかならない。アメリカなど大国の視点から見ると、日本もまたひとつの島国である。米国立公文書館に残るアメリカのアジア太平洋戦略文書を調べると、日本列島全体を共産圏からの「防波堤」として位置づけようとしてきた歴史が露わになる。日本がロシアや中国という大国の隣に位置する島々からなる列島だと考えたとき、沖縄の問題は特殊で個別の問題ではなく、「本土」の人々にとってもまさに自らの問題であり、他人事とは言えない。沖縄が抱えている問題は、日本全体に波及する可能性が高い。それゆえ、沖縄についての認識を深める「沖縄リテラシー」が、私たちの未来にとって非常に重要な指標になり得ると考えるのである。
私自身、これまで機会あるごとに、米軍普天間飛行場の辺野古移設を巡る沖縄県と日本政府との対立など、いわゆる「沖縄問題」が日本国民全てに関わる防衛及び安全保障の問題であることを指摘してきました。そして、自ら当事者であるにもかかわらず、日本国民の多くが「我関せず」と全くの他人事として無関心であり、そのことから沖縄の人々の心の中に芽生えてしまった「日本人は我々のことを同じ日本国民とは思っていないのではないか」という日本人や日本国家に対する疑念や被差別意識、そこから生ずる怒りや諦めといった負の感情の拡がり、沖縄県民や日本国民が分断され、国家存立の基盤である国民統合が毀損されることが危ぶまれる事態にまで陥ってしまっていることなどについて繰り返し論じてきました(注7)。
鎌倉氏が「沖縄リテラシー」という造語を用いて「沖縄の問題は特殊で個別の問題ではなく、『本土』の人々にとってもまさに自らの問題であり、他人事とは言えない」「沖縄が抱えている問題は、日本全体に波及する可能性が高い」と論じていることは、まさに我が意を得た思いがしたところです。
また、「沖縄リテラシー」の定義で、あえて「虚実入り乱れる情報に振り回されることなく」と明記しているのは、昨今の沖縄を巡る言論の場において、いわゆるフェイクニュース(虚偽情報)が飛び交い、沖縄を誹謗中傷する「沖縄ヘイト」なる言説が蔓延ってしまっている現状を意識してのことであると推察しています。
現在、沖縄を論ずる場においてフェイクニュースや「沖縄ヘイト」に相当する言説が蔓延してしまっていることはよく知られた事実であり、私自身も沖縄が抱える様々な問題について論ずる中で、沖縄の言論空間に「偏り」や「歪み」があることを指摘してきました。
しかしながら、その具体的な内容にまで踏み込んで論ずることは未だできておらず、いずれきちんと対峙して論じていかなければならない問題であると肝に銘じているところです。
これまで拙稿において、沖縄の言論空間について次のように論じてきました(注8)。
現在の沖縄の言論空間は「リアリズム」と称して対米従属の現状を追認する言説と「平和主義」に基づく「夢物語」によって覆い尽くされており、そのいずれにも与することができないサイレント・マジョリティが沈黙し続けている。
現在の「沖縄問題」は、その実態は日本全体の問題として捉えるべき、我が国全体の「防衛・安全保障」の問題である。いわゆる「沖縄問題」において「リアリズム」と称して語られている言説の多くは、本来の意味での「リアリズム」ではなく、米国に依存する「半独立」の現状を未来永劫変えることができない前提条件として思考停止に陥っている「ペシミズム(悲観主義)」と、(主として沖縄の外から沖縄に向けて発せられる)自ら当事者であるにもかかわらず、あたかも他人事であるかのようにしか問題を捉えることができない「シニシズム(冷笑主義)」に囚われた言説に取って代わられてしまったものである。私たちは、非現実的な「平和主義」に基づく「夢物語」に与することはできないが、その一方で「ペシミズム」や「シニシズム」に囚われた言説に共感することも、それを受け入れることもできない。
沖文研の創立50周年記念シンポジウムでの議論において、限られた時間という制約の中で、登壇者それぞれが、「沖縄報道」に携わるジャーナリストとしての経験に基づく具体的な事例を提示しながら、巷に蔓延ってしまっている沖縄を誹謗中傷する「沖縄ヘイト」やフェイクニュース(虚偽情報)、主として政府から沖縄に向けて発せられる「ペシミズム」や「シニシズム」に囚われた言説などについて、わかりやすく批判的に論じていました。
しかしながら、その一方で、沖縄で広く流布している「こちらが武器を捨てて争う意思がないこと、すなわち『非武装の姿勢と非暴力の態度』を示せば相手から攻めてくることはなく、平和が保たれる」「沖縄から全ての軍事基地を無くすことさえできれば平和で豊かな沖縄を実現できる」などといった「平和主義」に基づく非現実的な言説に対する批判的検討は極めて不十分なものにとどまってしまったとの印象を拭うことができません。
現在、沖縄で展開されている「平和主義」に基づく議論は、政府から発せられる「ペシミズム」や「シニシズム」に囚われている言説とは全く別の意味―沖縄を取り巻く緊迫する国際情勢をはじめとする厳しい外部要因を軽視している、あるいは余りにも楽観的に捉えているという意味―において、「沖縄リテラシー」が欠けた言説になってしまっていると指摘せざるを得ないように思えます。
「沖縄の基地問題」を解決するためには、沖縄が「地政学的に戦争及び軍事の問題から自由になれない場所」であり「パブリックには、日本軍のであれ米軍のであれ軍事基地から自由になれない」可能性が高いという自らの宿命を受け入れ、いわゆる「平和主義」に基づく言説が主張する「沖縄の全ての軍事基地の撤去」が仮に実現した場合、そこに生ずる軍事的空白が反って紛争の原因になる可能性が高いという冷厳な事実を認識し、非現実的な「夢物語」を否定するところから議論を始めていかなければならないのではないでしょうか。それこそが、鎌倉氏の定義で言うところの「それによっていかなる条件を担わされてきたのか」を積極的に理解するということでしょう。
いま「沖縄問題」を解決するために「沖縄リテラシー」を求められているのは「本土」の側だけのことではありません。
私たちウチナーンチュ(沖縄人)は確かに、沖縄で育つ中で身体感覚的に沖縄の文化や風土を知り、学校教育や報道などを通して独自の歴史の歩みを学びます。その意味でリテラシーは高いと言えるでしょう。しかし、鎌倉氏が言うようなリテラシーは私たちにとってもより積極的な態度で理解していかなければ得られるものではありません。私たちウチナーンチュ自身も「沖縄リテラシー」を求められているのです。
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(注1)新崎盛吾/松元剛/謝花直美/佐古忠彦/鎌倉英也『いま沖縄をどう語るか ジャーナリズムの現場から』高文研、2024年2月
(注2)大里知子「東京で『沖縄』を研究するということ-法政大学沖縄文化研究所とは」『いま沖縄をどう語るか ジャーナリズムの現場から』所収
(注3) 祖国なき沖縄(東京沖縄県学生会編) / 古本、中古本、古書籍の通販は「日本の古本屋」 (kosho.or.jp)
・【この人を読む㊦】中野好夫 専門を超え、学び続けた沖縄 吉田裕|好書好日 (asahi.com)
(注4)大里知子「沖縄資料センターから法政大学沖縄文化研究所へ-中野好夫・新崎盛暉の格闘とその継承」『沖縄文化研究』47号
・沖縄文化研究 41号~50号 :: 法政大学 沖縄文化研究所 (hosei.ac.jp)
(注5)2022年11月26日沖縄文化研究所創立50周年記念シンポジウム 『いま沖縄を語る言葉はどこにあるかー復帰50年目のジャーナリストたちの挑戦ー』 (youtube.com)
(注6)鎌田英也「問われる『沖縄リテラシー』」『いま沖縄をどう語るか ジャーナリズムの現場から』所収
(注7)拙稿「沖縄で考える『四月二十八日』と『五月十五日』」『表現者クライテリオン』102号(2022年5月号)など。
・表現者クライテリオン2022年5月号 | 表現者クライテリオン (the-criterion.jp)
(注8)拙稿「私たちはガンディーにはなり得ない―沖縄の『平和主義』は『非暴力』主義に耐えうるか―」『表現者クライテリオン』110号(2023年9月号)など。
・表現者クライテリオン2023年9月号 | 表現者クライテリオン (the-criterion.jp)
(藤原昌樹)
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