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『カッサンドラの日記』22 鏡の魔力—虚構と実存の間に何を見るか

橋本 由美

橋本 由美

鏡と人間の離れ難い関係

 

 私たちは物心がついてから嫌と言うほど自分の顔を見ている。洗面のたびに鏡を見る。いまでは、鏡のない洗面所はないくらいだ。頬っぺたにご飯粒がついているとか、髪が乱れているとか、今朝は疲れた顔つきだとか、そうやって自分を見るのは日常のなんでもない風景である。街に出れば、駅、エレベータの中、試着室、店舗の壁、等々どこにでも鏡がある。しかし、人類史上、そんなことが当たり前でない時代のほうが長かった。私たちの昔々の祖先は自分の顔などよく知らないまま死んでいった人がたくさんいただろう。

 それでも、人類は相当古い時代から水に映った自分の姿を認識していたらしい。そのこと自体が不思議である。どこに映っても私たちは鏡の中の自分をちゃんと認識できる。鏡の中に見えるものが自分自身だと認識する能力があるのは、人類の他にはあまりいない。ミラーテストでは、チンパンジーなどの大型類人猿や、ゾウ、イルカ、カラスなどがその能力を持つと確認され、最近の研究では魚の一部にも見つかっているが、せいぜいその程度である。鏡を見せられた鳥類の殆どは、そこに他の鳥がいると思ってソワソワするが、犬や猫などの哺乳動物の多くは、匂いのない鏡像が「偽物臭い」と感じるのか、あまり関心を示さないという。人間は2歳になる前に、鏡に映る自分を認識するようになるという。何故、私たちにはそれが自分の投影だとわかるのだろうか。自意識を持つことは、人間にとって根源的なことで、深い意味をもっている。鏡がそれを露わにする。

 鏡と人間の関係は、あまりにも多彩である。人間は、鏡に魅せられてきた。宗教・伝説・民話・文学・美術・建築・魔術・数学・科学やテクノロジー・医療・遊びなどなど数え切れない分野で、鏡が語られ利用され追究されてきた。そのどれもが興味深く、鏡が如何に人々の生活に密接に関係しているのかがわかる。

 

古代の鏡 

 

 文明の発祥とほとんど同時に、人は鏡を使っていたらしい。紀元前6000年ころの黒曜石の鏡らしいものがトルコで見つかっている。古代の人工的な鏡の多くは銅製で、メソポタミアやエジプトでは紀元前4000年ころの墓の副葬品として出土している。時代が下ると青銅製の鏡になる。鏡は、中国にもインドにもシベリアにもスキタイにもマヤやインカにもあった。副葬品として死者と共に葬られるのは、魔除けや蘇りなどの宗教的な意味を持つのだろう。歪みがないように丁寧に表面を磨くには高度な職人の技が必要だった。ローマの貴族は銀メッキの鏡を持っていた。使っていたのは階級の高い人々やその周辺に限られていただろう。副葬品のある墓は権力者のものである。

 古代ギリシャの壺には鏡を持つヘーラーの絵が描かれている。支配層の人々が日常に使っていたからこそ、世界中の多くの地域に残されているのだと思われる。ナルキッソスは水に映る己の姿に陶酔し、メドゥーサが見たものは、磨かれた盾に映った自分の姿だった。水面はすぐに揺らぐし、金属は高価である。普通の人々は、長い間、水盤に張った水を覗き、金属の破片を利用して、なんとなく自分はこんな感じなのだろうなと思っていたのだろう。

 多くの宗教で、鏡は神秘や魔性の象徴だった。光の反射や鏡像は不思議な現象である。その神秘性が人々に宗教的な感覚を与え、世界中で水晶玉や金属の「鏡」が神事や神託に使われた。中国の銅鏡や日本で発掘された三角縁神獣鏡などの鏡も同様で、鏡は皇室の三種の神器のひとつでもある。(ふと半村良の『産霊山秘録』(むすびのやまひろく)を思い出した。「御鏡・依玉・伊吹」が三種の神器として出て来る歴史大ロマン小説で、第1回泉鏡花賞を取ったスケールの大きいエンターテインメントである。雑誌の連載は1972-73年。いまだったら、単行本化のついでにアニメ化されたかもしれない。『鬼滅の刃』も真っ青な荒唐無稽な話である。…ここで脱線すると収拾がつかなくなるのでやめますが、日本史が好きでお暇がある方なら楽しめます…。)

 

ガラスの鏡のインパクト 

 

 なんといっても人々の生活に変化を起こしたのは、ガラス鏡である。ガラスは、鏡でなくても、その役目を果たす。夜の窓辺に灯りの点った室内が映る。夜汽車の窓に自分が映る。青銅器時代の中東で最初にガラスが作られたといわれ、紀元前2500年ころのエジプトの遺跡ではビーズ玉やトンボ玉のような装飾品が出土している。「ガラス吹き棹」の発明で、棹の先に飴細工のように溶けたガラスを巻きつけ、それを吹いて円球にする製造法が考案された。球体を利用した容器が作られている。ヨーロッパのガラス製作はヴェネツィアで始まった。イスラム商人から製法を伝えられたとも、コンスタンティノープル陥落でアドリア海を渡って逃れてきたガラス職人の集団が住み着いたとも言われる。

 1200年代初めに、ヴェネツィアのガラス製造業のギルドができて、ガラス職人はムラーノ島に移住させられた。窯を非常に高温で加熱するために、度々、窯から出火して火災を起こすことがあり、街中に延焼する危険を避けるべきだという理由だったが、腕のいい職人たちのガラス製法の技を盗まれないように彼らを隔離したというのが本当だろう。実際に、島へ渡るスパイを見張っただけでなく、ガラス職人は島に閉じ込められ、逃亡する者は死刑になった。江戸時代の鍋島藩が、磁器の製法や釉薬の混合についての情報を秘匿するために、工房のある地域への立ち入りを禁じ、職人を厳しく管理したのと同じである。

 平面ガラスを作るのは難しかった。11-12世紀の中世ロマネスク様式の教会は彫刻とフレスコ画で装飾されていた。ステンドグラスが現れるのはゴシック様式になってからである。ステンドグラスのガラスは教会の森の中の作業場で作られた。ガラスを吹いて出来た球体を冷まし、切り開いて平らにしたが、この製法だと大きな板ガラスは作れなかった。作業場では鏡も作られたらしい。膨らんだ球に溶けた鉛などを流し込んで回転させ、求心力で膜状に広げる。そのまま使えば、凸面鏡になり、切って広げて伸ばせば平面になる。この平面鏡も小さなもので、ガラスの質もよくなかったが、ガラス鏡は金属を磨いた鏡よりもずっと鮮明に映った。

 漢字の「鏡」「鑑」は金偏で、金属の鏡の時代から使っていた文字であるが、英語のmirrorはガラス鏡の時代に使われるようになった語彙ではないだろうか。英語にmirrorが現れるのは1250年頃といわれ、おそらくNorman Conquest(ノルマン人の征服1066)で流入した言葉だったのだろう。Mirrorはフランス語のmirourが変化したもので、「見るto look at」を表わすラテン語のmirariが語源である。Mir は「見る」ことを意味し、miracleと同源の言葉である。語彙が書物に現れるということは、そのころにはガラス鏡がある程度普及していたことを示す。

 

巡礼の鏡 

 

 中世の巡礼は、聖遺物のある聖堂を訪れることだった。聖遺物はキリスト教特有のものではない。古代から、偉業を成し遂げた人物の遺体を顕彰する行為は各地にあった。生前の彼らの業績に神に与えられた特別な力を感じ、遺体には神の力が宿ると考えられた。遺体や遺骨や遺灰には特に価値があり、仏教寺院のストゥーパ(塔)に収められた仏陀の遺灰も同様である。聖人が身にまとっていた衣や身につけていた品、使用した物なども「聖遺物」として扱われ、聖遺物に宿った神の力が奇跡を起こすと信じられた。巡礼者が増えると、聖遺物を納める容器も金銀宝石を散りばめた豪華なものになった。

 中世には、「不思議なことに」様々な聖人の遺物が次々に「発見」されて、修道院の聖堂に収められた。唯一神について思索するのは神学者たちであって、一般民衆には、そんな難しい話はよくわからない。列聖された殉教者が聖人として崇拝され、土地に伝わる古代ローマの神々と重ねられた聖人もあり、この時代はたくさんの「聖人」という「神さま」で賑やかだった。聖人は旅の守護神になったり病を治癒する奇跡を起こしたりすると信じられ、現世の利益でしか判断できない庶民の信仰の対象になった。ルルドの泉の聖水が聖母マリアの奇跡で病を治すと伝えられ、聖水を求めてルルドの泉のまわりに病人が集まった。「聖なる場所」や「聖なる物」を目指して遠くから人々がやって来た。「集客力」が修道院の権威を示すために、聖遺物をめぐって修道院同士が競い合い、聖遺物の奪い合いも起こった。巡礼の道を辿る集団の異様な熱気を帯びた旅は、庶民にとって一生に一度のレクリエーションでもあって、サンティアゴ・デ・コンポステーラやローマに向かう道は経済効果で潤った。(チョーサーの『カンタベリー物語』が、当時の「巡礼旅行」の様子を描いている。日本のお伊勢参りも似たようなものですね)

 修道院では「巡礼記念グッズ」が売られた。観光地のお土産屋で売っている小物やバッジのようなものである。庶民は、記念グッズを聖遺物の霊気に当てて、それを故郷に持ち帰った。その記念グッズのひとつに「鏡」がある。手のひらに収まるくらいの小さな鏡を聖遺物にかざして神の力を封じ込めるのである。鏡を持ち帰って眺めれば霊の力が与えられると信じられた。ガラスの質も悪く、曇ったり歪んだりした鏡でも、庶民にとっての小さな鏡は、お守りでもあり故郷の人々に見せる自慢話にもなるものだった。

 

産業スパイ 

 

 上質なガラスはムラーノ島の職人によって作られるようになった。1450年頃、海藻を燃やした灰を溶解したガラスに加えると、透明度の高いガラスが出来上がることを彼らは発見した。海藻に含まれる酸化カリウムとマグネシウムの作用だった。水晶のように透明な美しさから「クリスタッロ」と名付けられた。飴状に解けたガラスを円筒形に吹いて、それを広げて伸ばすことで平面にする方法も編み出された。それまでよりも比較的大きな平面ガラスが作れるようになった。

 1507年、ヴェネツィアの十人委員会(秘密公安委員会)に、ある特許権が申請された。錫と水銀のアマルガムをガラス面に塗った「平面鏡」の製法である。勿論、これはムラーノ島の秘伝となり、大きな平面ガラスを使った鏡の製造方法は外部には秘匿された。この大きな鏡はフランス国王フランソワ1世を夢中にさせ、銀で縁取られた鏡には、ラファエロの絵の3倍もの値がついたといわれる。金銀や宝石に飾られた豪華な鏡の注文がフランス王室から次々に舞い込んだ。いままでの鏡とは比べ物にならない鮮明な像は、すぐにヨーロッパ中を夢中にさせた。王宮の壁の羽目板に鏡がはめこまれ、フランス貴族の舞踏会で「鏡の間」が流行して、ヴェネツィアに注文が殺到するようになった。

 フランスの国家財政を立て直し、重商主義を推進してルイ14世の黄金時代に活躍したコルベールは、ヴェネツィア産の鏡の法外な価格に腹を立てていた。彼は、製造技術を盗み取って自国で生産しようと画策して、1665年、遂に、ムラーノ島の鏡職人を引き抜くことに成功する。それまでにも何度も産業スパイを送り込んだが、ヴェネツィアの厳しい監視のためにいつもうまくいかなかった。ようやく、待遇に不満を持つ数人の職人を密航させることができたフランスは、パリの工房で彼らに破格の厚遇を与えてガラスや鏡の製作に当たらせた。これによって、ヴェネツィアのガラス産業と鏡産業の「独占」が崩壊した。フランスで生産された鏡をふんだんに使用して、ヴェルサイユ宮殿の鏡の間が華々しくお披露目されたのは1682年である。以後、鏡産業は各地に急速に広がった。

 

生活に入り込む鏡 

 

 ヴェネツィアの鏡が様々な家具に取り入れられ、富裕な商人や市民たちの生活に入り込んで来るのは、ルネサンスと重なる。この頃の絵画には鏡がよく描かれた。部屋のインテリアとして描かれるだけでなく、ティツィアーノの『鏡を見るヴィーナス』のように女性が鏡を見る構図も好まれた。鏡を見ているのは大抵女性である。鏡を覗き込む女性の後ろに死神が鎌を持って立っていたり、着飾った女性の鏡に映る姿が骸骨だったりという、若さと美貌に己惚れることを戒める絵画も多く描かれた。それだけ、一般家庭、少なくとも工房の中に鏡があったということである。家具のひとつとしての「世俗的利用」「日常的利用」が主流になり、神聖さや宗教性を薄めていった。

 北方では球面を利用した「凸面鏡」が多く用いられ、フランドル地方で早くから室内に飾られていた。ヤン・ファン・アイク(1390?-1441)の有名な作品『アルノルフィニ夫妻の肖像』に描かれた部屋の奥の中央には、凸面鏡が飾られている。この絵は、ブルージュに住むイタリア商人ジョヴァンニ・アルノルフィニと花嫁の結婚証明の絵で、鏡の上の壁に「ヤン・ファン・アイクここにありき。1434年」という銘文が書かれている。ファン・アイクは彼らの結婚の立会人で、鏡に映った2人のうちのひとりがファン・アイクだと考えられている。この作品の構図が模倣され、画面には描かれない人物を鏡の中に描いたり、描かれた人物からは見えない部分を鑑賞者の目線で鏡に描いたりして、絵画の中の鏡はちょっとした流行になった。

 

自画像 

 

 鏡が神聖なものではなくなり、部屋の装飾品になると、人間の精神性にも変化を与えるようになる。ガラスの平面鏡が普及して登場したのが「自画像」である。それまでは、肖像画は王侯貴族や有力者の注文で描かれた。画家自身を主人公にした絵画が描かれるようになったのは、15-16世紀になってからである。自分自身を描くのは、顔の微妙な表情を捉える研究だったとか、モデルを雇えない画家が自分をモデルにしたとか、注文主に実力を示すためや、作品のポーズのサンプル見本にしたなど、様々な理由が考えられているが、自分自身の履歴を残すためでもあっただろう。レンブラント(1606-69)の自画像の多さは有名で、油絵・素描・エッチングを含めて約100枚もの自画像がある。

 それまでも画家たちは、宗教画などの群衆の中に紛れ込ませるという方法で自分の姿を作品に残すことがあった。工房の無名の一職人として埋もれるのではなく、自分の業績や生きた痕跡を残そうという欲求のためだろう。画家だけでなく、ゴシック教会の建築職人たちも、自分が運んだ石の裏に自身の印を刻むことがあった。ルネサンス期の変革と啓発の波が画家たちを覚醒させ承認欲求を呼び起こし、それが自画像という形で現れるようになったと思われる。作品に署名を入れるようになるのは、もっと先になってからである。

 どんな理由があったにせよ、鮮明な映像を得られるガラス鏡がなければ、人々に自分自身をじっくり観察するという機会は生じなかっただろう。水盤や金属鏡に映る姿とは比較にならない鮮明な自分の姿や表情は、自己認識や意識改革にも、虚栄や己惚れにも扉を開き、己とは何かを考えさせた。自意識と鏡は互いに作用し合ってルネサンスの強力な推進力になった。

 

名画の中の鏡 

 

 鏡にまつわる作品のなかでも、ベラスケス(1599-1660)の『ラス・メニーナス』(侍女たち)は絵の中の鏡の存在ゆえに多数の解釈がなされてきた。部屋の奥の壁に掛けられた鏡に映るのはスペイン国王フェリペ4世と妃である。画面に表れない国王をこのような明瞭でない形で描くこと、画家本人が描かれていること、構図、登場人物の配置、左端を占める大きなキャンバスの裏面など、どれもがそれまでの常識から離れていて、無秩序に散乱するように見えるのである。

 ミシェル・フーコーは登場人物のそれぞれの視線を追いながら、彼らの誰ひとりとして見ていない鏡の存在が、輻輳する視線を読み解く鍵になっていると考える。一つ一つの視線をほぐして要素還元することで、描かれていない「至高」の存在をあぶり出す。姫君と画家の視線の先には、画家のモデルになっている国王の存在があるはずで、王と妃が見ている場面は鑑賞者の視線と一致するように思われる。ところが、建築家や数学者が透視図法的な調査を行って、絵の消失点が後景の開かれた扉にあると判明した。そうすると、鏡に反射している国王が実際に居た位置は、ずっと左に寄ることになり、鑑賞者と同じ位置ではないことになるという。それならば、画家や姫君が見ている先には何があるのだろう。謎は迷宮入りしたままである。

 フーコーは「至高」という古典的表象が、鏡の中の類似のものと共に「消滅」し登場人物の視線の「散乱状態のただなかで、或る本質的な空虚、有無を言わせぬ絶対性において、いたるところから指し示される」という。いくつもの視線がつくる何層もの面は、ベラスケスの仕掛けた罠であろうか。絵画の中、鏡の中、そして散乱する視線も主体を捉えないなら、確かにそこは「空虚」が絶対性を支配する。フェリペ2世の時代だったら、決して描かれなかった構図だろう。一枚の「鏡」の存在が、虚と実の間に不安定な、結論の出ない、それでいて人々に強烈な印象を残す作品である。あまりにも現代的な「名画」である。名画の余韻の騒めきは、ネガティブ・ケイパビリティによって熟成を待ちながら味わうしかない。

鏡よ。まだ誰一人として、お前たちの本質を言い当てた者はいない(リルケ『オルフォイスへのソネット』第2部)

 鏡が人の心に尋常でない一種の狂気を感じさせるのは、ルイス・キャロルの『鏡の国のアリス』にも似たものがある。暖炉の上の鏡の中には、「逆さまだけど」そっくり同じ部屋がある。アリスは「どうしても見えない」鏡の下の暖炉が気になっている。鏡をすり抜けて向こうの部屋に行ったとき、アリスが真っ先に確かめるのは、暖炉に「こちらと同じように」火が燃えているかである。ダ・ヴィンチが鏡面文字に興味を持ったように、鏡の中の「逆さま」現象は、人を落ち着かせなくする。何故、鏡像は左右が反転するのか、左右が反転するのに、上下が反転しないのはなぜかという謎は、デカルトをもカントをも悩ませた。人は、自分自身の「虚像」しか見ることができないのだ。(鏡の上下を湾曲させると上下が反転する。)

 鏡は人にパースペクティブな感覚をもたらす。『資治通鑑』や『大鏡』のように歴史書の名称になるのは、鏡が見せる奥行きにある。万華鏡の狂おしい美しさに惹かれる者も、放物面鏡を利用する者も、手品や見世物に使う者もいる。鏡に神を見る者も、罪を見る者もいる。虚像と実存の関係に戸惑う者もいる。鏡の向こうにあった虚像や虚空間を、いま、私たちはデジタル空間に自ら作り出して、その中に吸い込まれようとしている。

 かつて、ムラーノ島の職人たちは、彼らが追求した上質な鏡が、世界にどれだけ大きな影響をもたらすことになるか、想像もしていなかっただろう。鏡のない世界がどのようになっていたか、想像するのは難しい。人間の空間認識、社会、生活、思想、なかでも自意識に及ぼした作用が、その後の歴史に大きく関わったことは間違いない。

 

『鏡の世界史』 マーク・ペンダーグラスト著 河出書房新社 /2007

『自然界における左と右』 マーティン・ガードナー著 /ちくま学芸文庫 /2021

『聖遺物崇敬の心性史 西洋中世の聖性と造形』 秋山聰著 講談社選書メチエ /2009

『人類の歴史を変えた発明1001』 ジャック・チャロナー編 /ゆまに書房 /2011

『名画を見る眼』 高階秀爾著 岩波新書 /1969

『絵画の見方』 ケネス・クラーク著 白水Uブックス /2003

『西洋絵画の巨匠⑫ ファン・エイク』 元木幸一著 小学館 /2007

『レンブラントとレンブラント派』 西洋美術館 図録 /2003

『ディエゴ・ベラスケス』 ノベルト・ヴォルフ著 タッシェン・ニューベーシック・アートシリーズ /2000

『フーコー・コレクション3 言説・表象』 ミシェル・フーコー著 ちくま学芸文庫 /2006

『鏡の国のアリス』 ルイス・キャロル著 矢川澄子訳 新潮文庫 /1994

 


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