「実存主義の元祖である、十九世紀の偉大な思想家キェルケゴール」。哲学や思想に関心を持つ者にとって、この認識は広く浸透している。しかし、それはあまりに一般的な理解であり、キェルケゴール哲学の具体的な手応えを拾いきれるものではない、それが本書の主張である。
研究の深化は、一九九〇年代以降の研究、特に生涯を実証的に調べあげた決定版の伝記の刊行と、最新版のデンマーク語原典全集の出版が大きい。英語圏や独語圏の思想家たちによる理解から始めるのではなく、デンマーク社会を生きたキェルケゴールを、デンマーク語で直接解釈できる基盤が整ったのである。この研究成果を存分に生かした鈴木祐丞は、キェルケゴールの全体像を新たに立ち上げ、その思想を一から理解できる絶好の入門書を書き上げた。
まず鈴木は、キェルケゴールが残した膨大な量の日記を読み解くことで、その思想の核心に「神に仕えるスパイ」(キリスト教界にキリスト教を再導入する任務を遂行する人)というキェルケゴール自身の任務意識を見出し、次第に、その意識の深層にある彼の「懺悔意識」に眼を向けていく。
幼い頃、強烈な原罪意識を持つ父から厳格な宗教教育を与えられたキェルケゴールは、子供特有のありのままの生の喜びから遠ざけられ、神に対面する罪深き存在として自己反省を徹底する「懺悔意識」を作り上げていく。が、後年、「精神の危機」に直面することになったキェルケゴールは、そのような「懺悔意識」を抱え込まざるをえなかった点にこそ「神の意思」が現れているのではないかと解釈することになるのである。人間は己の罪を自覚するがゆえに「信仰」に身を開き、「神」に全身全霊で向かっているのではないか。そして、そこにこそ罪深き現世を生きながら、なお神に繋がろうとする「神に仕えるスパイ」による伝道の使命があるのではないかと。
かくして、その「伝道」において現れてくるのが、キェルケゴールの二重の戦略だった。それは、人々に「神に対面し罪と救いに開かれて直面している存在であること=『実存』」を自覚させつつ、それを、概念としてではなく、ソクラテス以来の「自己の在り方に照らして考えること=『哲学』」を通じて考えさせるという方法である。そして、その「実存哲学」の実践は、次第にキリスト教界そのものにも向かっていき、晩年の「教会闘争」を引き起こすことになるのである。
本書は、キェルケゴールの生の全体が、「信仰」にささげられたものであったことを綿密に描き出しつつ、そこに絶対に不可能である「神の存在」が証明されていることが示唆され締めくくられる。
キェルケゴールの生涯は、情報の集積とその反省によってすべてを見通せると奢っている私たちに、あるいは、物質的な選択肢の中で「己を超えたもの=『神』」を見失っている私たちに、今なお「実存哲学」を起動せよと呼びかけている。
〈編集部より〉
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本記事は4月16日より発売中の最新号『表現者クライテリオン2024年5月号』に掲載されております。
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