現在、陸上自衛隊第15旅団が公式ホームページ(HP)で沖縄戦を指揮した日本軍第32軍の牛島満司令官の辞世の句を掲載していることが物議を醸しています(注1)。
第15旅団沿革 | 陸上自衛隊 第15旅団 (mod.go.jp)
第15旅団の沿革を紹介するページに、1972年5月の日本復帰時における臨時第1混成群(第15旅団の前身)の桑江良逢初代群長(故人)による訓示と共に牛島軍司令官の辞世の句「秋待たで 枯れ行く島の 青草は 皇国の春に 甦らなむ」が掲載されており、「沖縄作戦において風土・郷土防衛のため散華された軍官民20余万の英霊に対し、この決意を誓うとともに御霊安かれと祈念する次第である」と締めくくられた訓示に続く形で、辞世の句の画像が比較的目立つ形で表示されています(注2)。
第15旅団総務課によると、2018年に公式HPを開設した時から辞世の句を掲載しており、最近になって新たに付け加えたという訳ではありません。
これまで特に問題視されるということはなかったのですが、突然、今年(2024年)6月に入ってから『琉球新報』と『沖縄タイムス』が非難し始め、テレビのローカルニュースでも取り上げられるなど批判的な報道が相次いでいます。
『琉球新報』『沖縄タイムス』両紙は、陸自が公式HPに牛島軍司令官の辞世の句を掲載していることについて「識者は、戦略持久戦などを展開して県民を犠牲にした日本軍と自衛隊の繋がりを示し、美化するような内容を疑問視している」「旧日本軍の思想を継承していることを示している」「(牛島軍司令官の句は)皇国史観そのものである」と論難して削除を求めるとともに、批判的に論ずる識者の見解を紹介しています(注3)。
「自衛隊は政治的中立性が最も必要とされる組織だ。自衛隊員個人の思想は自由だが、公的な見解と受け止められるホームページなどに日本軍のことを載せるのは避けるべきだ」「戦前日本の戦争指導のどこが問題だったかをもっと客観的に突き詰めて、批判すべきは批判することが必要だ」(井上寿一・学習院大教授)
「陸上自衛隊は、その発足時から戦前に政治介入をした陸軍の幹部軍人を受け入れずに人的な繋がりを絶った上でなるべく日本軍との関係を持たないようにつくられた。第32軍との繋がりを示すことについては疑問がある」(佐道明広・中京大学教授)
「自衛隊と旧日本軍は別だと主張しても、旧軍を評価し、一体化していると捉えられても仕方ない」「(辞世の句は)『敗色が濃厚となった沖縄の臣民は、大日本帝国のためにまた立ちあがってほしい』と解釈できる。当時の司令官の立場からすれば、自然にわき出た思いをつづったと想像できるが、新憲法の下の自衛隊が引き継いでよい考え方であるはずがない」「沖縄の自衛隊は、住民を戦争に巻き込んだ沖縄戦と同じ方向へと歩を進めている。積極的に旧軍にすり寄るのは、さらに信頼を失う愚行とわきまえるべきだ」(半田滋・防衛ジャーナリスト)
「沖縄戦は国体護持のための時間稼ぎの持久戦が任務で『郷土防衛』とは無縁の作戦だった」「(牛島司令官の句を)公式ページに堂々と入れているのは、組織を挙げて歴史改竄に取り組んでいるということだ」(大久保康裕・沖縄県平和委員会事務局長)
「司令官として沖縄の住民を死に追いやった人物を称賛するような動きは県民感情として許されることではない」(高山朝光・元沖縄県知事公室長)
「牛島司令官は沖縄戦で首里の司令部を放棄して住民が避難する南部南端に撤退した。住民を盾に米軍を迎え撃つ『捨て石持久作戦』で、司令官による間接的な住民大虐殺だ」「司令官の句にはそうした住民への謝罪の思いはなく、専ら皇国しか念頭にない。沖縄戦で無念死した住民に何ら思いを寄せない非人間的な句だ」「この句を公式サイトに掲載した自衛隊は、臨戦態勢にあるとの認識で、旧日本軍と同様な意識を持っているのではないか。旧軍と戦闘意思が一体化しているように映る」(石原昌家・沖縄国際大学名誉教授)
「辞世の句には『皇国』とある。これを掲載することは、国民ではなく国と国体を守る旧軍の思想を継承するかのような行為であり、沖縄県民としては穏やかではいられず、恐怖すら感じる」(前泊博盛・沖縄国際大学教授)
『琉球新報』は「自衛隊は、日本を再び『皇国』とし、自らを『皇軍』としたいのか」「(辞世の句は)沖縄を焦土とし多数の住民を死に追いやった責任者である司令官が、皇国において沖縄が甦ることを願う内容だ。それを今、自衛隊が掲げることは、日本国憲法の理念からも、県民感情からも到底許せるものではない」「『軍隊は住民を守らない』という教訓を譲ることができない沖縄にとって、『皇国史観』復活の動きは断じて認められない」と論じて、辞世の句を削除することを求めました(注4)。
また、『沖縄タイムス』も「第32軍司令官の辞世の句を麗々と掲げる必然性がどこにあるのか」「沖縄戦では第32軍が住民避難を軽視した結果、多くの非戦闘員の命が失われた。司令部は『軍官民共生共死』を貫き、牛島司令官は『最後まで敢闘し悠久の大義に生くべし』との言葉を残し自決したのである」「そうした司令官の句が訓示とともに引用されれば、憲法9条下の戦後の平和主義を否定したとの疑念さえ湧く」として、辞世の句を削除することを求めています(注5)。
その他では、沖縄平和運動センターが陸自に抗議する緊急声明を発表しています(注6)。
声明は「自衛隊は日本軍と同様に皇国史観を持つ組織であることを、県民に周知すること」を目的としており、辞世の句の掲載で自衛隊の「軍隊の本質が改めて浮き彫りになった」と指摘し、仮に削除したとしても「小手先の対応では皇国史観に基づく軍隊の本質を変えることはできない」と陸自の姿勢を問題視しました。辞世の句のみならず、桑江氏の訓示についても「散華された軍官民20余万の英霊」という表現が皇国史観に基づくものだとして批判しており、「皇国史観に基づく沖縄戦賛美を許さず、あらゆる戦争策動に反対し、戦争そして軍隊を拒否する」と表明しました。
これらの非難や削除を求める声に対して、当初、陸自第15旅団は「(辞世の句を掲載したことが)問題であるとの認識はしておらず、『歴史的事実を示す資料である』『第32軍を美化しているものではない』ことを正しく情報発信していく所存である」としていました。また、木原稔防衛相も「誤解があってはならず(防衛省としての意図を)丁寧に説明しなければならない」「情報発信の趣旨が正しく伝わるように努める必要はある」とした上で、削除や修正を否定しています(注7)。
しかしながら、「県民感情を無視するのか」との批判が拡がっていることを受けて「削除しない」方針が揺らいでいるように見受けられます。
森下泰臣陸上幕僚長は「部隊の情報発信のあり方については日頃から地元の方々と身近に接し、地域の実情に通じている各部隊が判断し、対応すべき」との見解を示し、その上で「当時の状況も含めて第15旅団の沿革として正しく伝える必要があることから掲載内容の精査を求めた」と述べ、削除を含めた掲載内容の修正を検討していることを明らかにしました。「辞世の句の掲載を続けることで、軍事優先の日本軍と同一視される」との指摘について「誤解を生むことは正しく伝わっていない証しだ」として「情報発信の趣旨が正しく伝わるよう努める必要がある」と強調しています(注8)。
また、木原防衛相は会見で「自衛隊の活動には地元の理解を得ることも不可欠。このような観点から吟味した上で情報発信をしていく」と語り、削除や修正の指示はしないとしたものの、具体的な対応は「地域の実情を把握している部隊(第15旅団)で判断していく」と述べて辞世の句を削除することに含みを持たせていました(注9)。
『琉球新報』『沖縄タイムス』による一連の報道に接していると、あたかも沖縄県民を挙げて辞世の句の掲載を非難しているかの如くに感じられますが、当然のこととして、沖縄県民の間にも多様な意見が存在しています。
沖縄県内のメディアを舞台に辞世の句の掲載に批判的な報道が相次いでいることを受けて、『八重山日報』は「県民に大きな犠牲を出した沖縄戦当時の旧日本軍と、現在の自衛隊をあえて同一視する意図のようなものが感じられる」「同じ県民の目線からも、生産性のない不毛な議論に映ってしまう」「『辞世の句』掲載をもって、自衛隊が旧日本軍のような組織に変質していると断じる論理は理解しがたい」「牛島司令官が自決したとされる日は沖縄の『慰霊の日』となっている。陸自が辞世の句を『歴史的資料』としてホームページで紹介するのは、一般的な感覚からしても特異なことではない」「自衛隊と旧日本軍の『連続性』『一体性』をことさらに強調することで、県民の自衛隊への警戒心や反感をあおる意図が存在するのではないか」と論じて、陸自が公式サイトに辞世の句を掲載していることを非難するのではなく、それを非難している沖縄県内のメディアの姿勢を批判しています(注10)。
この度の騒動で論議の的となっている牛島満軍司令官については、その歴史的評価が分かれており、毀誉褒貶の激しい人物であることは間違いありません(注11)。
特に自決前後の牛島の行動が批判されることが多く、既に戦闘の勝敗が明らかになっていた段階で敵将バックナーから牛島に送られた降伏勧告を黙殺したこと、自決前の牛島による命令の最後の一文が「生きて虜囚の辱めを受くることなく、悠久の大義に生くべし」と降伏を否定するものであったことが残存兵力の徹底抗戦に多くの沖縄住民を巻き込むことに繋がったことなどから、牛島に対する厳しい見方があることは紛れもない事実です。
例えば、芸術家の岡本太郎は、その著書『沖縄文化論-忘れられた日本』で牛島司令官を厳しく糾弾しています(注12)。
状況はすべて知らされず、無数の島民や兵隊達をかりたて、一発射てば直ちに千発のお返しがくるという、手も足も出ない圧倒的な敵に対して、為すこともなく退き、追われて来た。最南端の海岸ぶちの洞窟にたてこもり、なお大日本帝国の軍人精神の虚勢に自らを縛り、鼠のように死んで行った。とことんまで叩きつぶされていながら、そして目の下に自らのおかした惨憺たる無意味な破局を眺めながら、ついに最後まで虚栄の中に、反省もなく、「帝国軍人らしく」自刃した。─彼個人がどんな立派な人格の持主だったか、それは知らない。だがその軍部を象徴する暗いエゴイズム。─私は嫌悪に戦慄する。旧日本軍の救い難い愚劣さ、非人間性、その恥と屈辱がここにコンデンス(凝縮)されている。
その一方で「牛島将軍は、物静かな、極めて有能な人で、全将兵が心服していた」「生き残った第32軍の将兵はもちろん、沖縄県民の牛島司令官個人への感情は、敬愛の気持ちこそあれ、反感や怨嗟の声は聞かれなかった」との証言も残っており、牛島に接したことのある沖縄県民の間では、彼の温厚な人柄を懐かしむ声も多いということもまた否定することはできません。
佐道明広中京大学教授は「個人としての牛島司令官がどのような人格であったかは関係なく、住民を悲惨な状況に追い込んだ部隊の司令官という点が重要なのである」「(自衛隊に対する)国民の好感度を背景に、過去を客観的に見ることなく、感情的な旧軍擁護的考えが増えてきているとしたら大きな問題である」として批判的に論じています(注13)。
沖縄戦における牛島軍司令官の言動や彼が遺した言葉などについて批判的に検証しなければならないのは当然のことであり、まさにその通りだと思います。
しかしながら、現代を生きる私たちが史料を用いて沖縄戦の歴史を振り返り、俯瞰的に眺めて客観的に考察することができるのとは異なり、激しい地上戦が繰り広げられた沖縄戦の当事者が、その極限状態において自らを取り巻く状況を客観的・俯瞰的に捉えることが極めて困難であったということは想像に難くありません。
牛島軍司令官も我が国の戦争の歴史に翻弄された、沖縄戦の当事者の1人なのであり、その当事者性について考慮することがない批判的な検証は「過去を客観的に見る」ということではなく、「先人達を断罪する傲慢な行為」となってしまうのではないでしょうか。
私たちに求められるのは、牛島軍司令官をはじめとする沖縄戦の当事者を罪人であるかのごとく裁くのではなく、また、英雄であるかのように崇め奉るのでもなく、彼らが体験した「事実」から何を教訓として学びとることができるのかということについて考え続けていくことであるように思えます。
牛島軍司令官に対する歴史的な評価がどうであれ、自衛隊がHPに彼の辞世の句を掲載していることについて、そのHPの開設から6年が経過した現在になって初めて「旧日本軍と自衛隊の一体化」や「皇国史観に基づく沖縄戦賛美」を示すものだとする非難の声が噴出し始めたことに唐突な感じがすることを否めません。
私自身、これまでに何度も閲覧しているのですが、国防を担う自衛隊のHPに沖縄戦で戦死した牛島司令官の辞世の句が掲載されているということについて違和感を抱いたことはなく、自衛隊が「旧日本軍の思想の継承」や「皇国史観の復活」を目指していると感じたこともありません。自らの読解力に自信がある訳ではありませんが、「皇国」との表現を用いてはいるものの、牛島軍司令官の句は「戦争で荒廃してしまった国土が甦る(復興する)こと」「国民が戦禍の苦難を乗り越えて再び立ち上がること」を祈る句であると解釈するのが素直な読み解き方であり、「沖縄戦で無念死した住民に何ら思いを寄せない非人間的な句だ」と曲解して断罪することは、自らの政治的信条を主張するために死者を冒涜する行為であるように思えます。
この辞世の句をHPに掲載することが「旧日本軍の思想の継承」や「旧日本軍と自衛隊の一体化」「皇国史観に基づく沖縄戦賛美」を示すものだと看做す議論は、あまりにも論理が飛躍した無理筋であり、「絶対平和主義」を妄信する人々による自衛隊を否定する「為にする議論」であるように思えてなりません。
陸自第15旅団のHPに不適切な点があるとするならば、それは牛島軍司令官の辞世の句を掲載していること自体にあるのではなく、防衛省と自衛隊による情報発信が極めて不十分である、もしくはそのやり方があまり上手くはなかったということでしかないのではないでしょうか。確かに、現在のHPには「何故、桑江初代群長による訓示と牛島司令官の辞世の句が並べて掲載されているのか」について何ら説明がされておらず、「沖縄戦の歴史や牛島司令官を知らない人にとっては説明が不足していて不親切である」と指摘されれば、それを否定することはできません。
前述したように、陸上幕僚長が「削除を含めた掲載内容の修正を検討していること」を明らかにし、防衛相も削除することに含みを持たせており、ごく近い将来、陸自第15旅団のHPから辞世の句が削除されてしまう蓋然性が高いように思えます。
しかしながら、「絶対平和主義者」による誹謗中傷に屈する形で辞世の句を削除してしまうということは、彼らの理不尽な主張を認めることを意味するのであり、悪しき前例を作ることになってしまうのではないでしょうか。
以前の記事(注14)で取り上げましたが、先般、陸自第15旅団の新たな訓練場の整備計画を巡って、政府・防衛省の戦略性に欠けた稚拙な対応によって反対運動が全県に拡がり、計画そのものが頓挫してしまいました。その後、訓練場整備計画の見直しの進捗状況について詳らかになってはいませんが、反対派の住民運動によって訓練場の整備計画が頓挫したことが自衛隊に対する反対運動を勢いづけてしまったことは間違いありません。
今後、「南西諸島の防衛力強化」のために必要不可欠な訓練場の整備計画を推進するにあたって、住民の反対が大きな壁となって立ちはだかることが予想されています。
防衛省と陸自第15旅団が安易に妥協して、誹謗中傷に屈する形で「削除を求める声」以外の合理的な理由がないままにHPから辞世の句を削除してしまえば、訓練場整備計画が頓挫してしまったケースと同様に「絶対平和主義者」を勢いづけることに繋がり、理不尽な要求が陸続と突き付けられるようになってしまうのではないかと危惧しているところです。
この度の騒動を奇貨として、防衛省と自衛隊が消極的な受け身の対応に終始するのではなく、より積極的に国民に向けた情報発信に努めるようになることを期待せずにはいられません。
台湾や尖閣諸島周辺の情勢など我が国を取り巻く厳しい安全保障環境の下で、「南西諸島の防衛力強化」を通して、より強固な「防衛・安全保障体制」を構築することが喫緊の課題となっている現在、私たち国民に求められているのは、自衛隊の粗探しをして責め立てるといったことなのではなく、「自衛隊を即応能力がある組織にするために何を為さなければならないのか」という視点で議論していくことなのだと思われます。
この辞世の句の件については国会でも取り上げられました。参議院外交防衛委員会において高良鉄美氏(沖縄の風)が「今月23日に慰霊の日を迎えるが、沖縄県民は、(辞世の句を)削除しない防衛相と自衛隊を受け入れる訳にはいかない。岸田首相も沖縄入りし、追悼式で言葉を述べられるが、削除しなければ犠牲者の霊を慰めることなどできない」として、慰霊の日の前に牛島司令官の句を削除することを強く求めています(注14)。
昨年「沖縄慰霊の日」を取り上げた記事(注15)で論じましたが、現在、「沖縄の基地問題」を巡って沖縄県と日本政府の対立が泥沼化しており、毎年「沖縄慰霊の日」に平和祈念公園で執り行われている「沖縄全戦没者追悼式」が政治利用の場と化してしまいました。
首相の式辞に対して罵声や野次が飛び交い、県知事の平和宣言には拍手や指笛とともに歓声が沸くなど「慰霊のための祈りの場」にあるまじき立ち居振る舞いをする輩が出没することが恒例行事のようになってしまっております。
これまでの「米軍普天間飛行場の辺野古移設の問題」に、この度の「辞世の句の掲載問題」が新たに加わり、今年もまた「戦没者を慰霊する儀式の場」に到底相応しくない光景が繰り広げられるであろうことが想像に難くありません。
私には、この度の牛島司令官の「辞世の句」を巡る騒動が起こってしまったということ自体が沖縄戦の戦没者を貶めることであり、そして、もし今年もまた「沖縄全戦没者追悼式」が騒々しい政治利用の場になってしまうのであれば、それこそ戦没者を冒涜することであるように思えます。
「沖縄全戦没者追悼式」が本来のあるべき姿を取り戻し、「戦没者を慰霊し、追悼の祈りを捧げる儀式」に相応しい厳粛な雰囲気の下で執り行われるようになることを切に願うばかりです。
(注1) 15旅団HPに牛島司令官辞世の句 識者「日本軍と自衛隊 同一の印象」(沖縄テレビOTV) – Yahoo!ニュース
・陸上自衛隊第15旅団 沖縄戦で「持久戦」指揮し住民犠牲招いた旧日本陸軍司令官の辞世の句をHPに掲載 | 沖縄のニュース|RBC 琉球放送 (1ページ) (tbs.co.jp)
・陸自15旅団、Webに旧日本軍牛島司令官の「辞世の句」掲載/識者「旧日本軍とのつながりを意識させる」(沖縄ニュースQAB) – Yahoo!ニュース
・陸自第15旅団ホームページに旧日本軍司令官の辞世の句 |NHK 沖縄県のニュース
(注2) 第15旅団沿革 | 陸上自衛隊 第15旅団 (mod.go.jp)
(注3)沖縄戦を指揮、牛島司令官の「辞世の句」 陸自15旅団がHPに掲載 識者「日本軍につながる」 – 琉球新報デジタル (ryukyushimpo.jp)
・「日本軍化」を警戒 陸自HPに牛島司令官の句 「皇国史観そのもの」批判の声 沖縄 – 琉球新報デジタル (ryukyushimpo.jp)
・【識者】戦前日本の戦争指導、客観視を 陸自HPに牛島司令官の句 井上寿一氏(学習院大教授) – 琉球新報デジタル (ryukyushimpo.jp)
・沖縄戦指揮の牛島司令官「辞世の句」 陸自15旅団がHP掲載 識者「美化するような内容」疑問視 – 琉球新報デジタル (ryukyushimpo.jp)
・衣の下の鎧現れる 「旧軍」へのすり寄りは愚行 半田滋 <日本軍と自衛隊 牛島司令官 辞世の句>上 – 琉球新報デジタル (ryukyushimpo.jp)
・陸自、沖縄戦を指揮した日本軍司令官の辞世の句を掲載 那覇の15旅団HPに 識者が警鐘「旧軍思想の継承だ」 | 沖縄タイムス+プラス (okinawatimes.co.jp)
・石原昌家氏(沖国大名誉教授) 人命より、皇国存続 – 琉球新報デジタル (ryukyushimpo.jp)
(注4)<社説>HPに牛島司令官辞世 自衛隊は「皇軍」に戻るのか – 琉球新報デジタル (ryukyushimpo.jp)
(注5)[社説]陸自HPに牛島司令官の句 極めて不適切 削除せよ | 社説 | 沖縄タイムス+プラス (okinawatimes.co.jp)
(注6) 「辞世の句」は皇国史観 平和運動センター 抗議声明発表 – 琉球新報デジタル (ryukyushimpo.jp)
・辞世の句 掲載に抗議 平和センター 陸自HP巡り | 沖縄タイムス+プラス (okinawatimes.co.jp)
(注7)陸自幕僚監部、日本軍との連続性否定 「厳格な文民統制を確保」 牛島司令官の辞世の句HP掲載巡り 沖縄 – 琉球新報デジタル (ryukyushimpo.jp)
・【一問一答】陸自15旅団「削除予定なし」 牛島司令官の辞世の句 沖縄 – 琉球新報デジタル (ryukyushimpo.jp)
・牛島司令官辞世 削除せず 防衛相 15旅団「問題なし」 識者「日本軍との連続性 削除を」 陸自HP掲載 – 琉球新報デジタル (ryukyushimpo.jp)
・牛島司令官の辞世の句 削除・修正せず 陸自15旅団HP掲載 防衛相「趣旨が正しく伝わるよう努める」 – 琉球新報デジタル (ryukyushimpo.jp)
・陸自第15旅団HPに牛島満司令官の辞世の句 木原防衛相「歴史的事実を示す資料として掲載」と経緯説明 | 沖縄タイムス+プラス (okinawatimes.co.jp)
・沖縄戦を指揮した牛島司令官の辞世の句を削除せず 陸自15旅団、HP掲載は「適切」 | 沖縄タイムス+プラス (okinawatimes.co.jp)
・県民感情無視するのか 「削除せず」に批判拡大 牛島司令官辞世 軍国主義回帰の懸念も – 琉球新報デジタル (ryukyushimpo.jp)
・旧軍の精神継いでいる 辞世の句削除否定 体験者や識者批判 | 沖縄タイムス+プラス (okinawatimes.co.jp)
・32軍司令官「辞世の句」削除を/市民団体が要求/自衛隊に要求(沖縄ニュースQAB) – Yahoo!ニュース
・陸上自衛隊第15旅団ホームページ掲載「辞世の句」 沖縄戦研究の有識者などが削除求める(沖縄テレビOTV) – Yahoo!ニュース
・辞世の句 削除要請へ ノーモア沖縄戦の会、15旅団に – 琉球新報デジタル (ryukyushimpo.jp)
・司令官の句 削除求める ノーモア沖縄戦の会 陸自や防衛局に | 沖縄タイムス+プラス (okinawatimes.co.jp)
(注8)牛島司令官の辞世の句、削除含め検討 陸幕長「内容を精査」 陸自15旅団HP掲載 沖縄 – 琉球新報デジタル (ryukyushimpo.jp)
・【陸幕長の会見要旨】初代群長の寄稿「当時のまま引用」 牛島司令官の辞世の句HP掲載 – 琉球新報デジタル (ryukyushimpo.jp)
(注9)牛島司令官の辞世の句 「吟味した上で部隊で判断」 削除や修正の指示せず 防衛相 陸自15旅団HP – 琉球新報デジタル (ryukyushimpo.jp)
(注10) 【視点】自衛隊の情報発信 問題あるのか | (yaeyama-nippo.co.jp)
(注11) 牛島満 – Wikipedia
(注12) 沖縄文化論 -岡本太郎 著|文庫|中央公論新社 (chuko.co.jp)
(注13)佐道明広中京大学教授/過去を客観視せず旧軍擁護か/陸自HPに牛島司令官辞世の句/文民統制の在り方問う『沖縄タイムス』2024年6月13日
(注14)【藤原昌樹】「平和」のために求められるものとは―急速に進められる「南西諸島の防衛力強化」と沖縄の県民感情 | 表現者クライテリオン (the-criterion.jp)
(注15) 慰霊の日までに削除を 牛島司令官の「辞世の句」 高良氏が要望、防衛相は「部隊の判断」 – 琉球新報デジタル (ryukyushimpo.jp)
・辞世の句、削除応じず 15旅団「問題認識ない」 – 琉球新報デジタル (ryukyushimpo.jp)
(注16)【藤原昌樹】ドラえもんとのび太が知らない「沖縄慰霊の日」 | 表現者クライテリオン (the-criterion.jp)
(藤原昌樹)
〈編集部より〉
最新号『表現者クライテリオン2024年7月号』は本日発売!!
特集タイトルは
です。
巻頭言と目次を公開しております。
クライテリオン・サポーターズにお申込みいただくと、送料無料、発売日前のお届けに加え、プランに応じてお得な特典をご用意しております。詳細は下記URLをご確認ください。
雑誌と書籍の年間購読を通じて、『表現者クライテリオン』をご支援ください!
https://the-criterion.jp/lp/r6supporters/
3年ぶりに関西でシンポジウムを開催!
「革新」の標語が力を強める関西において、本当の保守主義をどのように実践していくべきか、『表現者クライテリオン』編集委員が徹底議論!
詳細はこちらから
クライテリオン誌上で行われた「座談会 対米従属文学論」がクライテリオン叢書第4弾として待望の書籍化!
第二部に浜崎洋介先生の戦後文学批評の決定版とも言える論考「観念的な、あまりに観念的なーー戦後批評の「弱さ」について」を収録!
※本体価格2,600円ですが、6月から始まるクライテリオン・サポーターズの特典に加えることが決定しました。
サポーターズ加入がますますお得になりましたので、ぜひご検討ください。
執筆者 :
CATEGORY :
NEW
2024.11.07
NEW
2024.11.06
NEW
2024.11.05
NEW
2024.11.04
NEW
2024.11.01
2024.10.31
2024.11.07
2024.10.31
2024.11.01
2023.12.20
2018.07.18
2024.11.04
2024.10.30
2018.09.06
2024.11.05
2024.08.11