【藤原昌樹】『もうじきたべられるぼく』を読む ―現実とかけ離れた牧歌的な「物語」は子ども達に何をもたらすのかー

藤原昌樹

藤原昌樹

ベストセラー絵本『もうじきたべられるぼく』

 

 先日、会社のスタッフから「この絵本を知っていますか?」「感動する物語だと評判なのですが、私にはとても良い本だとは思えないのです」と、ある絵本(注1)について教えてもらいました。

 『もうじきたべられるぼく』という絵本です。

 家畜として「食べられる運命」を受け入れた子牛の「ぼく」が「おかあさん」に会いに行く物語で、TikTokで読み聞かせ動画が300万回以上再生されて「泣ける物語」として話題になっていたとのことなので、ご存知の方も多いかもしれません。

 

もうじきたべられるぼく|特設ページ|中央公論新社

 

 2022年8月に書籍化され、同書を紹介するホームページには「発行部数25万部突破!」「第7回未来屋えほん大賞受賞」と記されています。今年(2024年)9月にテーマソングが作成され、11月には「楽譜付特別版」が発売されるなど、昨今の出版不況とも言われるご時世に大ベストセラーと言えるほどの売上を達成しているようです。

 

『もうじきたべられるぼく』に寄せられる賛否の声

 

 この『もうじきたべられるぼく』の物語が多くの人々の琴線に触れることとなり、読者から数多くのコメントが寄せられています(注2)

 作者のはせがわゆうじ氏と雑誌で対談し、YouTubeで読み聞かせを担当したタレントの山口もえさんによる「この絵本に出逢った時の感動を今でも覚えています!!」「自分の一番大切な人に読んでもらいたくなる一冊です」との推薦文をはじめとして、ネット上で確認できるレビューでは

「今まで読んだ食育の本のどれよりも、ストレートに心に刺さりました」

「この本は、消えたいと思っていた私に生きる勇気をくれました。大きな愛と優しさをありがとうございました」

「食べられると決まって産まれてくる命にも、家族がいて、感情があって…でも叶わなくて…命の重みは皆同じ」

「小学生の娘にも命の尊さ、大切さ、食育…伝わってるといいな」

「命の大切さについて考えさせられた」

「感動した」

「共感した」

というように絶賛しているコメントや感想が溢れています。

 その一方で、

「食育の本としては内容が薄く、残酷である」
「子どもには読ませたくない」
「テーマは生命の大切さなのか、食物連鎖なのかがよくわからない」
「そんな安易に『いい絵本ですね』とは言えない」
「人間が家畜を作ったのに、人間が出てこない絵本だ」

などといった批判的なコメントも少なくありません。

 

得も言われぬ「気持ち悪さ」の正体

 

 私自身は『もうじきたべられるぼく』について、その温かく柔らかい雰囲気の画風に「子ども達を含めて多くの人々に好かれるのだろうな」との印象を受ける一方で、物語そのものには感動することも共感することもできませんでした。

 「この物語を読んだ子ども達が、お肉を食べることに罪悪感を抱いてしまうのではないだろうか」「菜食主義やヴィーガンなどといった極端な思想が背景にあるのではないか」などといった感想と共に「なんだか気持ち悪い」としか言いようがない漠然とした違和感を覚えたというのが、正直なところです。

 『もうじきたべられるぼく』の物語に対する得も言われぬ違和感をなかなか具体的に言語化することができずにいたのですが、同書に関する情報を検索するなかで、久保一真氏(まとも書房代表/哲学者)が書いた「『もうじきたべられるぼく』とかいうクソ絵本、こき下ろしていいか?」という刺激的なタイトルの記事(注3)にたどり着きました。

 同記事において、久保氏は『もうじきたべられるぼく』について「とにかく嘘くさい」「単純に嘘なのだ」「このシナリオには幾千ものツッコミどころが存在する」「ともかくこの絵本は偽善的で、欺瞞的で、教育に悪い」と一刀両断しており、私自身が上手く言語化することができていなかった同書に対する違和感の大部分を、久保氏による過激な言葉を用いた批判が代弁してくれたような気がしています。

 『もうじきたべられるぼく』は、人間に「食べられる運命」にある家畜―主人公である「ぼく」と母牛である「お母さん」―の物語であるにもかかわらず、もう一方の当事者であるはずの「(家畜を)食べる人間」が一切登場することなく、「食べる人間/食べられる家畜」の関係に言及することもありません。

 現実の「畜産の世界」や「食べる人間/食べられる家畜」の関係を直視することもないままに「心地よい幻想」を提供し、物語の最後に「ぼく」が「せめてぼくをたべた人が自分のいのちを大切にしてくれたらいいな」とつぶやくことによって「食べられる家畜」が一方的に「食べる人間」を赦して免罪する構造となっているのです。

 

『もうじきたべられるぼく』がもたらす「心地よい幻想」

 

 『もうじきたべられるぼく』を称賛する人々は、この物語が「子ども達への『食育』や『生命の大切さ』を教えるのに相応しい」と高く評価しています。

 しかしながら、現実の「畜産の世界」や「食べる人間/食べられる家畜」の関係を具体的に論じる際には、もはや「アニマルウェルフェア」(飼育動物の心身の状態を良くしようという考え方。主に飼育状況や屠殺方法に目を向ける)(注4)について考察し、かつ配慮することを避けて通ることはできなくなっているにもかかわらず、『もうじきたべられるぼく』をはじめとする「いただきますを言えばセーフ理論」(久保一真氏)に基づく物語において「心地よくない現実」が描かれることはありません。

 「現実とかけ離れた牧歌的な風景」を描くことによって「綺麗に殺菌された現実」という仮想の世界に閉じこもり、「我が国がアニマルウェルフェアにおける後進国である」という「不都合な真実」(=「心地よくない現実」)から目を背け続けて「心地よい幻想」に耽ることが可能となる構図ができあがっています。

 『もうじきたべられるぼく』以外にも、「食べる人間/食べられる家畜」を題材とする作品は数多く存在しており、例えば、漫画『銀の匙 Silver Spoon』(注5)『百姓貴族』(注6)、映画『ブタがいた教室』 (注7)などが思い浮かびます。

 いずれの作品も(それぞれの作品の発表当時ではなく現在の視点から見ると)「アニマルウェルフェアの視点が欠落(不足)している」との批判から免れないような気もしますが、少なくとも「綺麗に殺菌された現実」ではなく、我が国の畜産の現実を踏まえた上で「食べる人間/食べられる家畜」の物語を(「食べる人間」の側の視点から)描くことを試みていると評価することができるように思えます。特に『銀の匙Silver Spoon』と『百姓貴族』は、作者自身が畜産に従事した経験を持っているためか、我が国の「畜産の世界」の実態が分かりやすく描かれており、私自身、大学で学生たちに読むことを勧めています。

 

 「食育」や「生命の大切さ」を学ぶために、子ども達が『もうじきたべられるぼく』のような「綺麗に殺菌された現実」を舞台に描かれた「都合の良いストーリー」やプロパガンダではなく、厳しい現実に対峙するために必要とされる知恵を学ぶことができるような物語に触れる機会が増えることを願わずにはいられません。子ども達にそのような「物語」を提供することが「大人の責務」であると思うのですが、『もうじきたべられるぼく』が大ベストセラーとなっているという事実自体が、我が国の大人の多くが「心地よくない現実」に対峙することから目を背け続けていることの証左であるように思えます。

 

畜産の問題点は「屠殺」ではなく「飼育」である-我が国に蔓延る「生命至上主義」

 

 『もうじきたべられるぼく』を批判する記事(注3)の中で、久保一真氏は「畜産の問題点は『屠殺』ではなく『飼育』である」との主張を展開し、我が国で苛酷で悲惨な「飼育」の実態に注目が集まらず、諸外国と比較してアニマルウェルフェアの実現に向けた取り組みが遅れていることの背景に「生命至上主義」があると論じています。

 「人間の生命」に絶対的な価値を付与して「人間の生命は、その理由や状況の如何を問わず、常に可能な限り維持することが『善』であり、それを短縮させたり、奪ったりすることは常に『悪』である」とする「生命至上主義」の至上命題は、「生命が維持されてさえいれば、その態様は問わない」「生きてさえいれば、どんなに悲惨な状況であっても構わない」とする極端な考え方に結びつきます。

 「生命至上主義」に基づいて「食べる人間/食べられる家畜」の関係について考察した場合には、「たとえ家畜であっても生命を奪ってはならない」として「菜食主義」や「ヴィーガン」などといった極端な思想を肯定し、動物の利用や苦しみを最小限にする過程の中で、動物を殺すこと(屠殺)を容認するアニマルウェルフェアを否定することに繋がりやすいと想定せざるを得ません。

 諸外国と比較して、我が国ではアニマルウェルフェアの実現に向けた取り組みが遅々として進まず、多くの家畜が目を覆わんばかりの悲惨で苛酷な境遇に置かれ続けていることの背景には「生命至上主義」があるとの議論は極めて的確な指摘であると言えるのではないでしょうか。

 

 アニマルウェルフェアについては、リベラリズムに基づく人権思想を(人間以外の)動物にまで拡張した考え方であると看做すことも可能であり、リベラリズムに懐疑的な「保守思想」の観点から反発や忌避感を覚える人も少なくないものと思われます。

 しかしながら、アニマルウェルフェアの思想は「生命至上主義」に対するアンチテーゼとなり得る(「保守思想」とも親和性を有するかもしれない)要素を内包していると考えられるのであり、一概に否定することはできません。

 我が国に「生命至上主義」が蔓延っていることによってもたらされている問題は、何も畜産の世界に限ったことではありません

 例えば、医療の世界において「スパゲッティ症候群」と言われるような患者の尊厳を無視した過剰医療が行われていることや、「命どぅ宝(命こそが宝)」という言葉を掲げて「絶対平和主義」を理想とし、憲法9条を金科玉条のごとくに祀り上げて思考停止に陥り、米国に従属している「半独立」の状態を是として独立国に相応しい防衛・安全保障体制の確立に向けた動きが遅々として進まないことについても、「生命至上主義」の思想が強く影響しているものと考えられます。

 現在、我が国が直面している諸問題を解決するためには、その底流に横たわっている「生命至上主義」と対峙し、克服することを避けて通ることはできないものと思慮します。

 

人々の「善意」は何をもたらすのかー地獄への道は「善意」で敷き詰められている

 

 『もうじきたべられるぼく』について厳しく批判的に論じてきましたが、同書を読み、作者のはせがわゆうじ氏のインタビューや彼が描いたイラストから私が受ける印象は、彼が「子ども達の幸福」を願う「善意の人」であろうということです。また、同書に感銘を受けて称賛のコメントを寄せる人々の多くが、作者と同じく「善意の人」であろうということについても疑うものではありません。

 しかしながら、「きっと彼らは『善意の人』であるに違いない」という思いとともに私の頭に浮かんできたのは「地獄への道は善意で敷き詰められている The road to hell is paved with good intentions」という言葉です(注8)

 『もうじきたべられるぼく』が、作者の「善意」から生み出された物語であることに疑いの余地はありません。しかしながら、その「善意」から生まれた物語が必ずしも「子ども達の未来」に好ましい影響を与えるとは限らないのです。

 いま「子ども達の未来」のために大人が為すべきことは、これまで目を背けてきた「不都合な真実」(=「心地よくない現実」)から逃げずに対峙することなのだと思えてなりません。そのためにも、私たち大人が「都合の良いストーリー」やプロパガンダに惑わされることなく「自らの『善意』が何をもたらすのか」ということについて真摯に考えてみることから始めていかなければならないのではないでしょうか。

 

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(注1) もうじきたべられるぼく|特設ページ|中央公論新社

(注2) Amazon.co.jp: もうじきたべられるぼく (単行本) : はせがわゆうじ: 本

もうじきたべられるぼく批判、嫌いの理由は?最後の言葉が変わった! – 絵本大好き

(注3) 『もうじきたべられるぼく』とかいうクソ絵本、こき下ろしていいか?|久保一真【まとも書房代表/哲学者】

(注4) アニマルウェルフェア(Animal Welfare動物福祉)とは、一般的に、人間が動物に対して与える痛みやストレスといった苦痛を最小限に抑えるなどの配慮により、動物の待遇を改善しようとする考えのことであり、近代以降に西洋で生まれて、主に家畜動物を対象として大きく発展した概念です。

 「アニマルウェルフェアとは何か」を一言で定義することは(その解釈や適用範囲の違いにより、求められるものが大きく異なることから)難しいと言われていますが、最も受け入れやすく、かつ他者に受け入れられやすい定義は「人間が動物を所有や利用することを認めた上で、その動物が受ける痛みや苦しみを最小限にすること」ということができます。

ここで重要なのは、第1に人間が動物を利用することを前提としている点であり、第2に動物の利用や苦しみを最小限にする過程の中で、動物を殺すことを否定しない点であると言われます。後者においては「殺す場合には可能な限り苦痛のない殺し方をすること」がアニマルウェルフェアにかなうと考えられています。

アニマルウェルフェアを実現するためには「5つの自由」“The Five Freedoms for Animal”が基本原則となります。これら「5つの自由」は、動物が生きていく上で最低限必要な条件であり、身体のみならず、心も含めた動物の状態を改善するために重要なものです。また、国際的には「5つの自由」を「5つの領域」と読み替え、各領域での“苦痛・苦悩”などのネガティブな経験を減らし、“喜び・快適”などのポジティブな経験を増やして、動物の「QOL(Quality Of Life:生活の質)」を向上しようという動きになってきています。

「5つの自由」は、下記のように整理されています。

  • 「栄養領域」:空腹・渇きからの自由 “Freedom from hunger and thirst”

これは、動物の健康と活力を維持するために、新鮮な水と餌を提供することを意味しています。動物が生きるために最も基本的なニーズを満たすことを目指しており、長期的な健康と幸福に欠かせない要素です

  • 「環境領域」:不快からの自由“Freedom from discomfort”

これは、動物に日光や雨風から避難する場所や休息場所などを含む適切な飼育環境を提供することを意味しています。動物の居住環境がストレスや不快感を最小限に抑えるよう設計されていることが求められます。

  • 「健康領域」:痛み、外傷や病気からの自由 “Freedom from pain, injury, or disease”

これは、動物の病気、怪我の予防および的確な診断と迅速な処置を提供することを意味しています。定期的な健康チェックなどを通じて、動物の健康が常に守られるよう努めることが求められます。

  • 「行動領域」:本来の行動がとれる自由 “Freedom to express normal behavior”
    これは、動物に十分な空間や適切な刺激、仲間との同居を提供し、本来の習性に従った自然な行動を表現できるようにすることを意味しています。動物が本来の習性に従ってストレスなく生活するために欠かせない要素です。
  • 「心的状態領域」:恐怖・抑圧からの自由 “Freedom from fear and distress”

これは、動物に心理的苦悩、ストレスや恐怖を避ける状況とそのような扱いを提供することを意味しています。動物の精神的な健康を維持するために欠かせない要素です。

・ 動物福祉 – Wikipedia

  • 石川創「動物福祉とは何か」『日本野生動物医学会誌』第15巻第1号、2010年

15_KJ00006772024.pdf

(注5) 銀の匙 Silver Spoon – Wikipedia

(注6) 百姓貴族 – Wikipedia

(注7) ブタがいた教室 – Wikipedia

(注8) 地獄への道は善意で舗装されている – Wikipedia

(藤原昌樹)


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