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【柴山桂太】戦国時代のグローバル化

柴山桂太

柴山桂太 (京都大学大学院准教授)

グローバル化の時代には、人々の視野もグローバル化(広域化、世界化)します。マスコミは日々、世界の国々で何が起きているかを伝え、その出来事が日本にどんな影響を及ぼすかを論じています。そうした情報に触れることで、われわれは日本という国家を、他の国家との関係から俯瞰的に眺めるようになるのです。

グローバル化の時代に、国家意識が強まる理由の一つがここにあります。よく、経済活動が活発になると国家は消滅するという人がいますが、そうはなりません。越境的な経済活動や人の往来が活発になれば、われわれの視野はグローバルになりますが、それゆえに、われわれの政治意識は国家単位で燃え上がることになる。

われわれがどんな政治的・文化的共同体に属しているのかが強く自覚されるようになるので、他国(他の政治的・文化的共同体)との対抗意識も強まるのです。これは何も現代に限った話ではない。過去のグローバル化の時代にも、同じようなことが起きていたと考えられます。

この夏、平川新氏の『戦国日本と大航海時代 秀吉・家康・政宗の外交戦略』(中公新書)を読みました。秀吉の朝鮮出兵はなぜ起きたのか、徳川政権はなぜ鎖国を選択したのか、政宗はなぜバテレン追放令の後に遣欧使節団を送ったのかという日本史上の積年の「謎」について、独自の資料解釈をもとに一気に答えようとする野心的な、それゆえに格別の面白さを備えた本です。

秀吉の朝鮮出兵は、いまだにその動機が解明されていません。単純な領土的野心説、対外的緊張で国内の意識統一を図ったとする説、明国との勘合貿易復活を狙ったとする説、明国の冊封体制からの脱却を目論んだとする説、さらには秀吉の狂気説など、さまざまな説がありますが、著者の見立ては違います。

信長や秀吉が活躍した一六世紀末は、ポルトガルとスペインが宣教師と貿易商人を世界中に送り込んだ大航海時代の最盛期でした。同時に、欧州では宗教改革が進行し、ポルトガルとスペインの旧教勢力に対して、イギリスやオランダの新教勢力が台頭してきた時代でもある。

特に16世紀末のスペインは欧州内外で最大版図を誇った「黄金時代」を迎えていました。フィリピンを占領した後、マニラとメキシコのアカプルコを結ぶ太平洋航路も開拓して、世界の交易ネットワークを独占的に支配しつつあった。カソリックの宣教師はその尖兵でもありました。明国征服論と、その前段として日本征服論を盛んに本国に進言していたのです。

信長も秀吉も、ポルトガルやスペインの明国征服論を熟知していたと考えられます。その前段としての日本征服論を構想していることも情報として知っていましたが、信長は「出来るはずがない」と一笑に付していました。むしろ、機先を制して明国への征服構想を持っていた。その構想は、秀吉に受け継がれたと言います。

秀吉がバテレン追放令を出したのは、ポルトガルの奴隷貿易(当時、日本人は奴隷として世界中で売られていました)に怒りを募らせたからとも、長崎貿易がポルトガル商人やイエズス会の支配下にあったことへの不満からとも言われます。しかし、この時期の秀吉の外交書簡を読むと、ポルトガルやスペインへの強い対抗意識が伺えます。

つまり秀吉は、アジア全域を支配下に収めようとするポルトガルやスペインの征服構想を知っていて、それに対抗戦略としてのアジア支配を企てていた。明国への征服構想や朝鮮出兵、その前後におこなわれた台湾やフィリピン(のスペイン人総督)への服属要求は、「ヨーロッパ最大の強大国に対する強烈な対抗心と自負心」の現れだったというのです。

結果はよく知られているように、朝鮮出兵は失敗に終わり、秀吉の野心は完全に挫折します。しかし、この軍事行動はスペインの前線基地マニラに恐怖を与えました。スペイン側はメキシコやペルー、フィリピンのようには簡単に日本を征服できないことを強く認識するようになります。日本は軍事力の旺盛な「帝国」であり、植民地支配は難しいという認識が、欧州全域で広がることになるのです。

軍事支配を諦めたスペインは、今度は布教に力を入れることで日本の間接支配を目論みます。それに気づいた家康は、統一政権を次第に鎖国に向かわせることになる。唯一、違う道を行こうとした政宗は遣欧使節団を派遣するのだが…と著者の謎解きは進みますが、詳しくは本書をお読み頂くことにしましょう。

大航海時代は、初期グローバル化の時代でした。この時期に日本で戦国時代が終わって統一政権が出来た。その統一政権は、はじめ西欧帝国との対抗関係から「帝国日本」を構想し、その試みが挫折すると今度は「鎖国」(=管理貿易)体制を取って国内市場の掘り下げを図るようになる。このパターン(西欧に対抗する「帝国日本」の挫折から国内重視へ)は、明治〜昭和の近現代史でもかたちを変えて繰り返されたように思えます。

グローバル化の時代は、貿易と戦争が、人の移動と国境の壁の引き上げが、同時並行的に進みます。その中で、国家が凝集力を高めていく。近世国家も近代国家も、それぞれの時代のグローバル化を背景に形成されました。グローバル化と国家形成は(対立的ではなく)相補的な関係にあるというのが歴史の教訓です。

現在のグローバル化時代も、いずれ、国家単位で凝集力を高めていかざるを得ない時代へと横滑りしていくことになるのでしょう。その先に何が起きるのか。それを見通すためにも、われわれは歴史に目を向けざるをえないのです。

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