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【浜崎洋介】日本人と「自己喪失」――高度成長以後の日本人

浜崎洋介

浜崎洋介 (文芸批評家)

 先週のメルマガでは、人間の「成熟」のかたち(バランス感覚の由来)を問いながら、そこから、「成熟」を問わなくなってしまった日本の現状について書いておきました。が、それは言ってみれば、日本人が、自分たち自身の「生き方」を問わなくなってしまったということと同義です。

 では、それを問わなくなってしまったのはいつ頃のことなのか。

 私の勘で言えば、それは1970年以降のことだろうと考えています。つまり、高度経済成長以降の日本人において、私たちは、私たちの〈自然な生き方=成熟の在り方〉を問わなくなってしまった、あるいは、問えなくなってしまったのだということです。

 もちろん、それ以前の大東亜戦争の「敗戦」が、日本人の「生き方」に影響を与えたということは否定できません。ポツダム宣言と、それに沿って進められた東京裁判の「史観」から言えば、敗戦によって、私たち無垢な「日本国民」は、あの邪悪な軍国主義者たちの巣窟であった「日本国家」から解放され、アメリカから「配給された自由」(河上徹太郎)によって、いよいよ平和で民主的な社会の建設に向けて歩きはじめたのだというわけです。

 この、「国民」と「国家」を上手く切り分けた「物語」は、その後のGHQの宣伝工作や占領政策――戦争の罪悪感を日本人に植え付けようとしたウォー・ギルト・インフォメーション・プログラムや、検閲、教育改革などが有名ですが――によって広められ、確かに戦後日本人の「歴史」を見る眼(歴史感覚)を曇らせてきました。

 が、それでも、日本人が持続的に生きていた「自然な生き方」(あるいは、「自然」に対する感性)までは、占領によって完全に書き変わるということはなかった。

 たとえば、高度経済成長が始まったばかりの一九六二年、橋川文三は「保守主義と転向」という興味深い論文を書いているのですが、そのなかで、敗戦によっても変えられなかった日本人の感情こそ、ほかならぬ「国破れて山河あり」の感情ではなかったかと論じ、次のように書いていました。すなわち、「8月15日以降、山河の自然は、その体制と文化を支えながら、それと深淵をもって隔てられた超越的原理として姿をあらわしたはずである。天皇制国家の敗北と関わりなく、風や雲は自らの原理によって存続した」と。

 この日本人が持続的に生きてきた「超越的原理」は、たとえば、橋川文三が指摘するところで言えば、柳田国男の「常民」(悠久に常なるものの形象化)のなかに見出すことができる感覚かもしれないし、日本浪曼派の詩人伊藤静雄の「戦いは敗れたのだ。何の異変も自然におこらないのが信ぜらない」という言葉のなかにも見出せる感覚かもしれない。

 あるいは、橋川が挙げる以外の例でも、それは、「いったんこの世にあらわれた美は、決してほろびない」という敗戦後の高村光太郎の信仰、「横光君、僕は日本の山河を魂として君の後を生きていく」という川端康成の覚悟(横光利一への弔辞)、そして、「いくらどう世の事が変わっても、米を取っとりゃ、一番まちがいのないことでありますで……」(川端康成「日本の母」より)という長野の一農婦の素朴な言葉を支えて来たものなのかもしれない。

 が、60年代の高度経済成長――端的に言えば農村社会から工業社会への移行――は、その内部から、この日本人の「山河」に対する感性を次第に変えて行ってしまったのでした。

 そして文学者たちは、この変化を見逃さなかった。
 たとえば江藤淳は、個人を支える〈国家=父〉もなければ、個人を抱きとめる〈自然=母〉も失くした戦後日本を評して、「今や日本人には「父」もいなければ「母」もない。そこでは人工的な環境だけが日に日に拡大されて、人々を生きながら枯死させて行くだけである」(『成熟と喪失』1966年)と書いたのだし、それこそ三島由紀夫は、「日本はなくなって、その代わりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済大国が極東の一角に残るであろう」(1970年)と「予言」したのでした。

 いずれにしても、高度成長後の日本人の「空虚」を指摘した言葉です。が、ここでもう一つ印象的な言葉を紹介しておきましょう。1973年の柄谷行人の次のような言葉です。

「私は、数年来見かけはいかに華々しくとも、その核心に希薄な機械的なものしか感じられぬ事件を見聞してきた。そこには、「生きた時間」から遊離していてそれを必死に埋めようとするこわばり、自動現象があったのである。〔中略〕
  具体的にいえば、われわれはここ十年ほどの間に生活形態に著しい変化を蒙っている。それ以前には、文学者は農耕と結びついたじめじめした停滞的な「時間」を目の敵にしていた。しかし、現実に日本の農業人口が激減するような変化があってその問題は外から消滅してしまったのだが、かわりに得たのは「生きた時間」ではなく、計量された時間である。〔中略〕自然の直接的な脅威から解放されればされるほど、それが精神の自由をもたらすかわりに内的な自然に蹂躙される結果になる。」(「生きた時間の回復」)

 もちろん、だからといって私は、今更「高度成長以前の日本に帰れ」という気はありません。が、「国家」もなければ「自然」もない、そんなどうしようもない状況を生きているのが戦後日本人なのだということくらいの自覚はあってもいいのではないかと思っています。

 その自覚さえあれば、そこから改めて、私たちのなかに、まだ〈山河=自然〉は残っているのか、残っていないのか。それが残っているのなら、その残された「自然」の手触りはどのようなもので、それはどこまで「近代」に譲るべきものなのか。あるいは、それを守り育てて行くためには、どのような「国家」を作為しなければならないのか、そういった地に足がついた議論が可能になるはずなのです。

 なるほど、私たちの「自己喪失」の由来を問うということはなかなか絶望的な作業です。が、その自覚からしか「自己」が甦ることがないこともまた確かなら、やはり、その辛い作業を避けて通るわけにはいかないでしょう。「日本人のここがスゴイ」などという保守論壇のナルシシズムと付き合っている暇はいかないのです。

 

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