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【浜崎洋介】「空気の支配」に抗して――「戦艦大和」と「消費増税」

浜崎洋介

浜崎洋介 (文芸批評家)

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 いよいよ「消費増税」の是非を問う参院選が目の前にまで迫っていますが、その点、先日の福岡シンポジウムは、大変時宜に適った有意義な会となりました(シンポジウムの詳細については、川端さんのメルマガ「独立不羈の気風を取り戻せるか――福岡シンポジウムを終えて」をご参照下さい)。

 その意味は、一つは、やはり九州という土地で「独立不羈」の精神について議論できたこと、そして、もう一つは、施光恒さんと編集部とで「空気の支配」に対する抵抗の姿勢について、吉田満『戦艦大和ノ最期』を通じて具体的に議論できたことです(注1)――吉田満の『戦艦大和ノ最期』の詳細については、これまた興味深い島尾敏雄『出発は遂に訪れず』についての議論と共に、次号掲載の「対米従属文学論」をご覧ください――。

 しかし、それにしても、吉田満『戦艦大和ノ最期』を読んでいて感じるのは、そのあまりのコントラストによる眩暈にも似た感覚ではないでしょうか。もちろん、そのコントラストをなしているのは、一つは、死を覚悟した「現場の兵士」たちの精神的緊張と、その引き締まった言葉の美しさであり、もう一つは、「参謀本部の将官」たちによる作戦のあまりの愚劣さと、その弛緩した言葉の醜さです。その点、これほどのコントラストで、日本人の「美しさ」と「醜さ」とを同時に描き得た小説はほかにはないかもしれません。

 艦長も含めて現場の兵士たちは全員、その作戦の「無謀さ」について完全に理解した上で――つまり、燃料を往路分しか積んでいないこと、対空砲の性能が時代遅れなことに加え、航空機に戦艦が勝つことは不可能であること、佐官以上の幹部がほぼ全員腐っていること、そして自分たちを待つのが〈必敗=死〉のみであることを理解しながら――、それでも自分たちの死が一体何のための死なのかを、言い換えれば、自分の「解体」が一体何に繋がっているのかを必死で問いながら、それぞれの持ち場で懸命に戦い続けるのです。

 が、その一方で、参謀本部は、どうしても作戦の目的が呑み込めない伊藤整一中将(大和の艦長)からの「(特攻作戦の)美辞麗句ノ命令ノ背後ニアル『真ノ作戦目的』ハ何カ」という問いかけに対して、ただ「一億玉砕ニ先ガケテ立派ニ死ンデモライタシ」としか言えず、その「無謀さ」が何のための「無謀さ」なのかを全く説明することができないのです。

 もちろん、沖縄が攻撃されているなか、持てる技術の全てを注ぎ込んで建造した巨大戦艦=大和を出撃させないというのは、当時の「空気」としては難しかったのかもしれません。が、その結果として、戦艦大和を中心とした巡洋艦・駆逐艦合計10隻による「天一号作戦」(特攻作戦)は、何の戦果も挙げることなく、たった一日で――いや、たったの2時間ほどの戦闘で――4317名もの死者(うち大和乗組員は3056名。この数字は、飛行機特攻隊の死者4615名に近い数字です)を出して、あっけなく潰えていってしまうのでした。

 後に山本七平は、この、どこにも合理性を見出せない戦艦大和の出撃命令について、「全般の空気よりして、当時も今日も(大和の)特攻出撃は当然と思う」と述べた軍令部次長・小沢治三郎中将(当時)の言葉を引き合いに出しながら、次のように述べていました。

 

「この『空気』と『論理・データ』の対決として『空気の勝ち』の過程が、非常に興味深く出ている一例に、前述の『戦艦大和』がある。(中略)注意すべきことは、そこに登場するのがみな、海も船も空も知りつくした専門家だけであって素人の意見は介入していないこと。そして、米軍という相手は、昭和十六年以来戦いつづけており、相手の実力も完全に知っていること。いわばベテランのエリート集団の判断であって、無知・不見識・情報不足による錯誤は考えられないことである。」(『「空気」の研究』文春文庫)

 

 もう、お気づきの方もいらっしゃると思いますが、この性格描写は、ほとんど「移民やむなし」、「消費増税やむなし」と語る現代の「専門家」たちの性格に通じています。専門家たちは、ヨーロッパの「移民政策」が失敗していること、過去二回の消費増税によってデフレ脱却が失敗してきたことを知っており、また、そうである以上、現在の「ベテランのエリート集団」(政治家・官僚)の判断もまた、単なる「無知・不見識・情報不足による錯誤」と言うだけでは済まされないのです。

 が、そう考えると、この近代日本人の「弱さ」は、つくづく根深いものに見えてくる。

 実際、「戦前」と「戦後」を比べてみると、まず、その不条理な「空気」が醸成されるまでの時間が、「戦前」と「戦後」とでほとんど同じであることに気が付きます。

 戦前において、「軍拡の空気」が醸成され始めるのが、大正が始まる頃(1912年~)からであり、それが明治維新から45年目であったのに対して、戦後において「緊縮の空気」が醸成され始めるのが、平成が始まる頃(1990年~)からであり、それもまた敗戦から45年目の出来事だったのです。また、さらに驚くべきことは、「軍拡」の観念に憑かれ始める大正元年から大東亜戦争(太平洋戦争)開戦の昭和16年までが、およそ30年であるのに対して、「構造改革」の観念に憑かれ始めるバブル景気の崩壊から「消費増税10%」が決まろうとしている現在までが、やはり30年であることです。つまり、ある「空気」が危険水域を超えるまでの時間が、「戦前」と「戦後」でピタリと一致するのです。

 折角なので、もう少し「戦艦大和」出撃までの経緯を見ておきましょう(注2)。

 まず、艦隊決戦で日露戦争(明治37年)に勝利した日本は、その後に「艦隊決戦主義」と「大鑑巨砲主義」という観念に囚われて行きますが、それを決定的にしたのが「七割海軍」という目標でした。明治末に翻訳されたクラウゼッツの『戦争論』から、攻撃軍の優勢率を五割以下に抑えるには「敵軍に対する七割の戦力を保持すればいい」という結論を導き出した海軍は、後に「七割海軍」という数字を絶対化していくことになるのです。

 この「七割海軍」を目標に「海戦要務令」を書き直した海軍は、後にワシントン海軍軍縮会議(1922年)でのゴタゴタや、ロンドン海軍軍縮会議(1930年)に端を発する「統帥権干犯問題」などを引き起こしながら、次第に「軍拡」を主張する政治家との結びつきを強めていき、その果てに戦争へと突入していくことになります。が、まさに、この「艦隊決戦主義」と「大鑑巨砲主義」と「七割海軍」が丁度交わるその交点において建造された戦艦、それが、「パナマ運河を通れぬような超巨大戦艦(つまり、パナマ運河を通過するアメリカ海軍には作れないような巨大戦艦)」であるところの「戦艦大和」だったのです。

 果たして、「戦艦大和」によって夢の「七割海軍」という目標を達成した軍部は、ついに昭和16年末、対米戦争に踏み切ることになります…が、時すでに遅し。「戦艦大和」が出撃する頃には、「戦艦」による戦争の時代は遠の昔に過ぎ去っており、戦争の主役は、完全に「航空機」、「空母」、「潜水艦」の方に移っていたのでした。

 しかし、翻って現在、「戦艦大和」のことを笑える人間が、どれほどいるでしょうか。現在の私たちもまた、バブル崩壊とともに始まった「構造改革」(行財政改革)の「空気」のなかで――あるいは、クラウゼッツの『戦争論』ならぬ、フリードマンによる「ネオリベラリズムと緊縮の空気」のなかで(クラウゼッツに比べるのも烏滸がましいですが)――、「財務省設置法案」(1999年公布/2001年施行)を作り上げ、それを「七割海軍」ならぬ「プライマリー・バランス目標」によって固定化し、その果てに、今、まさにデフレ下での、しかも米中貿易戦争下での「消費増税」という「無謀」に踏み出そうとしているのです。

 が、もちろん、その一方で、今も昔も、「空気」に屈しない人間はいます。

 戦後、吉田満と原勝洋が纏めた『ドキュメント戦艦大和』という本のなかには(ちなみに、山本七平の『「空気」の研究』は、この本を参照しています)、次のようなエピソードが紹介されていました。「戦艦大和」出撃の際、美辞麗句の散りばめられた訓示を聞いた大井篤という軍人は(大佐、海上護衛総司令部参謀、43歳)、ついに堪忍袋の緒を切って、「国をあげての戦争に、水上部隊の伝統が何だ。水上部隊の栄光が何だ、馬鹿野郎!」と怒鳴ったといいます。

 

「彼は、長い間、連合艦隊主義の行き過ぎが、日本を毒していると考えてきたが、いま、その連合艦隊主義の毒素のありかを、ハッキリと、つき止めたような気がした。『伝統、栄光』、みんな窓の外に見える桜のように美しい言葉だ。しかし、連合艦隊主義は、連合艦隊の伝統と栄光のために、それが奉仕すべき日本という国家利益まで犠牲にしている。この際、四千トンという重油(戦艦大和に積む燃料)があれば大陸からの物資輸送は活発に行なわれ、又、日本海への敵潜の侵入を食い止めるのに大いに役立つのに、大和隊に使う四千トンは、一体、日本に何をもたらすだろう。敵軍をして、いたずらに『大和討ち取り』の歓声をあげさせるだけではないのか。そう考えて護衛参謀は実に憂うつであった。」

 むろん、〈戦争=政治〉は「結果が全て」なのであれば、そこで、どんなに「憂うつ」になってみたところで、仕方がないのかもしれません。が、それでも、この「憂うつ」の理由を語り続けることに意味がないわけはないでしょう。いや、一人一人の生活(限界)を持つ私たちにできることは、それくらいのことしかありません。それだけが、依然として「無力」であるしかない個人において、かろうじて私たちが能動的たり得る瞬間なのです。

 おそらく、「消費増税」も同じことです。時代の大きな〈緊縮ムード〉を前にして、私たち一人一人の力は高が知れたものです。しかし、その「空気」に屈しない「生き方」は、それがどんなに無力なものなのだとしても、それぞれの現場で示し続けることはできるはずなのです。そして、その積み重ねの結果として「政治」という営みがもたらされるのなら、やはり私たちは、目の前の「政治」に対して、私たち一人一人の「自立」から始めなければならないということになる。その「自立」を抜きにして、政治も何もありはしません。

 最後に、「日本軍の作戦の幼稚さは言語道断」であるにしても、しかし「特攻隊の心情だけは疑らぬ方がいい」(「特攻隊に捧ぐ」)と書いたこともある坂口安吾の言葉を紹介しておきましょう。戦後に自殺(敗北)していった太宰治に手向けた言葉です。

 

「然し、生きていると、疲れるね。かく言う私も、時に、無に帰そうと思う時が、あるですよ。戦いぬく、言うは易く、疲れるね。然し、度胸は、きめている。是が非でも、生きる時間を、生きぬくよ。そして、戦うよ。決して、負けぬ。負けぬとは、戦う、ということです。それ以外に、勝負など、ありやせぬ。戦っていれば、負けないのです。決して、勝てないのです。人間は、勝ちません。ただ、負けないのだ。」(「不良少年とキリスト」)

 

注1―吉田満『戦艦大和ノ最期』については、藤井聡編集長も「10%消費増税は戦艦大和特攻に等しき恐るべき不条理」(https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/money/257604)という記事の中で触れられています。

注2―たとえば、「戦艦大和」の建造・出撃までの経緯については半藤一利氏「戦艦大和と日本人」(『あの戦争と日本人』文春文庫所収)を、また、「戦争までの道のり」において、いかに「七割海軍」の観念と「ロンドン海軍軍縮会議」が大きなインパクトを持っていたかについては加藤陽子氏『戦争の日本近現代史』(講談社現代新書)などを参照下さい。

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コメント

  1. 学問に目覚めた中年。 より:

    お花畑した無知蒙昧の有権者が選ぶ政治家も、また当然それに比例して無知な政治家となり、それが先日の自民党幹事長といい、麻生大臣の卑劣な税金と税収の発言でした。この負の連鎖は、昭和後期から平成と続き国力を多大に衰退させ、もはや一刻の猶予もなく早急に止めるべきと存じます。また常識的に考えても沖縄県民が直面する問題すら白紙の状況でありながら、野次については非難する行為など目に余り、それで拉致云々とは、たわけにも程があります。ついでに安全保障局長の方が師事された先生の経緯も理解に乏しい行為と認識してます。とにかく自立する一歩こそ純粋に、あらゆる問題について裏表なく語り合う事と思います。

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