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【川端祐一郎】オーバーツーリズム(観光公害)論に不足している視点――資本主義と民主主義の対立

川端 祐一郎

川端 祐一郎 (京都大学大学院准教授)

コメント : 4件

皆さま今年もよろしくお願いします。

年末から年始にかけて、IR誘致をめぐる収賄疑惑で自民党の議員が逮捕されたり、日本維新の会の議員も受領を認めて離党したりと、話題になっています。要するに、グローバル資本が観光ビジネスで一儲けすべく日本でも様々な画策を行っていて、地域住民の反対や不安にもかかわらず法整備が進められてしまうという構図ですが、IR・カジノ利権はそうした背景が見えやすい典型的な例です。

ところで、これと似たようなことが薄く広い形で、世界中の観光地・観光市場において生じているという問題が、もっと議論されるべきだと私は思っています。最近、ここ数年で議論が増えてきた「観光公害」「オーバーツーリズム」の事例を調べていたのですが、これは「交通機関の混雑」や「外国人旅行客のマナーの悪さ」といったミクロな問題というよりも、「資本主義が市民の生活権を侵害していく現象」として捉えたほうがいい面があるからです。

日本では、「観光公害」という言葉が1970年頃から新聞や国会でも用いられていて、当時は観光地におけるゴミの投棄、環境汚染、事故の多発などが問題視されていました。さらに遡ると、江戸時代にも富士山の登山者が増えすぎて現地の薪や飲み水が不足する事件があったりしたそうです。欧米でも、急増する観光客と地域住民の間に生じる摩擦については1970年代から研究があって、決して新しい問題ではありません。

しかし、観光客の増加が引き起こすトラブルについての議論は、ここ数年で、以前よりも遥かに強い関心を集めるようになりました。「観光公害」という日本語は長らくほとんど使われなかったのですが、2016年を境に復活。海外でも、「オーバーツーリズム」(overtourism)という言葉が2016年から使われはじめ、2017年にはヴェネツィアやバルセロナの「反・観光デモ」が大きく報じられました。「観光恐怖症」(tourismphobia)という表現も見られます。

海外旅行者数というのは、日本のみならず世界全体で大きく増加していて、過去20年強のあいだに5億人から14億人にまで増えました。その背景には、新興国の所得上昇や、格安航空=LCCの拡大(日本はまだ少ない方ですが、ヨーロッパや東南アジアで非常に増えています)、そして民泊アプリの「AirBnB」のようなオンラインサービスの充実による観光の大衆化などの要因があります。

それに加えて日本では、中国人に対する観光ビザの発給要件緩和、金融緩和による円安、物価低迷による割安感などが手伝って、世界的にも稀な速度で旅行客が激増しています。次のグラフの赤線は訪日外国人数ですが、そのうち約9割が観光客です。

欧米でも日本でも、オーバーツーリズムの議論が高まったのは「違法民泊」問題がきっかけで、時期はだいたい2015年から2017年頃です。そもそも違法営業であること自体が問題ですが、民泊というのは普通のアパートやマンションの一室を観光客向けに貸し出すものなので、宿泊客が深夜や早朝にスーツケースをガラガラと引きずっていたり、夜中まで飲みながら騒いでいたり、ゴミを放置していったりして、既存の住民との間にトラブルが起きるわけです。これらは、合法化された後も生じている問題です。

日本でも、

「夜中にしょっちゅう間違って玄関のピンポンが鳴る。ドアを開けると、玄関口には言葉の通じない外国人が立っていた。夜中ですよ。怖くて寝てられない」(村山祥栄氏の『京都が観光で滅びる日』より)

というような例がたくさんあって、トラブルになるのは当然であると思えます。

民泊の多くは、AirBnBを始めとするオンラインサービスで契約されるので、違法なものであっても現地国には取締が難しい。しかし、ウーバーと同じですが、安く泊まれるので利用者にとってはありがたく、急速に拡大していきました。

そしてやっかいなのは、各国の不動産業界が「普通の賃貸住宅を民泊に変えたほうが儲かる」と気づいたことでした。これは当然の話ではあります。例えば1泊数千円程度の宿泊料であったとしても、月に10泊も取れれば家賃収入を上回ったりします。そこで、旺盛な観光需要を背景に、「賃貸住宅から住民を追い出して、観光客向けの宿泊ビジネスで稼いでやろう」という発想になるわけですね。

分かりやす例としては、まず観光地の賃貸住宅を外資が買い占め、契約更新のタイミングで家賃を大幅に引き上げて住民を追い出します。そして、その物件を使って民泊にしたり(違法営業も含みます)、場合によってはホテルを開業したりするわけです。その結果、住宅が不足して家賃は上がるので、地域の住民は郊外に引っ越さざるを得なくなります。こういう例はヨーロッパでよくみられるらしいですが、京都でも似たようなことが起きていると言われます。

そしてこれと並行して生じるのが、地域の「観光モノカルチャー化」です。モノカルチャーは「単一産業」「単一産品」という意味ですが、要するに、不動産業のみならず、地域の飲食店や小売店も観光客を意識した品揃えとサービスに特化していくので、住民にとっては買い物が不便になると当時に、街が「自分たちのものではなくなっていく」「観光客に奪われていく」という不満が蓄積されていきます。

佐瀧剛弘氏の『観光郊外』という本が紹介しているバルセロナの例では、

「週末はバルセロナ郊外の老舗のカフェでお茶を飲むのが楽しみだったが、最近は席に座るとスペイン語ではなく英語のメニューを渡されることが増え、疎外感を覚える」

という市民の声がありました。これは日本、とりわけ京都などで最近生じている問題とほとんど同じですね。ヨーロッパの反観光デモの報道をみていると、プラカードには「This isn’t tourism. It’s an invasion!」(これはもう観光じゃない、侵略だ!)というものもあり、言葉は過激ですが、気持ちは分かります。
https://www.bbc.com/news/world-europe-40826257

「観光公害」というのは従来、観光需要が過密化することから生じる混雑や環境破壊など、いわゆる「外部不経済」の問題として論じられてきました。また、最近は観光客のマナー違反や迷惑行為が目立つと言われますが、これも、広い意味での混雑に付随した現象と言えるでしょう。そして、観光や交通の研究者の多くが、旅行需要の分散化やインフラの増強・最適化方法を議論してきましたし、マナー啓発の取り組みが進められてもいます。

もちろん、それはそれで必要なことです。しかし、民泊問題に象徴されるように、(とりわけ地域外から流入する)資本が地域の生活環境を顧みずに「観光ビジネス」に特化した投資を行って、住民の生活上の権利が侵害されてしまうという構造に、もっと焦点を当てるべきではないでしょうか。これは今後、IRの開発をめぐっても繰り返されるであろう問題です。

もちろん観光依存度の高い地域では、観光ビジネスと地域住民の利害が一致する部分は比較的大きいと思います。しかし、先ほどの村山氏も指摘していますが、京都のような大都市というのは、製造業や(観光以外の)サービス業が地域経済の中心です。にもかかわらず「文化・観光都市として成長する」という自己規定を強く持ち過ぎ、観光産業を優遇する政策を採ったり必要な規制を行わなかったりすると、住民が置き去りにされてしまう面があるのです。

ヨーロッパではさすがに観光投資に対する規制強化が進み始めました。ところが日本政府は、

「我が国において…(オーバーツーリズムが)広く発生するには至っていない」(観光庁『持続可能な観光先進国に向けて』、2019年)

との認識のようで、心許ないですね。

まぁたしかに、まだマシな方だとは言えるのでしょう。国連・世界観光機関のアンケートでも、日本人の不満はスペインや韓国などに比べると随分低い結果にはなっていますし、欧州のような住民デモに至っているわけでもありません。

そういえばこのあいだ、中国人留学生と観光公害の話をしていたら、中国国内にも同じ問題があるらしく、「重慶は人気の観光地なのだが、最近は政府から『観光客に迷惑をかけないよう、地域住民は休日は家にいろ』というお触れが出たりしている」と言っていました。日本ではさすがに、そこまで非民主的な方針が採られることはないでしょう。

しかし今後、地域住民の不満を軽くみて根本的な対策を打たなかった場合、深刻な問題が生じると思います。例えば、外国人観光客への嫌悪感が蓄積されていく中で大規模な自然災害が起きたりすると、取り返しのつかない悲劇が起きるかも知れません。

2019年になって「観光公害」に関する本が日本でいくつも出版されており、海外でもオーバーツーリズムをめぐる学術論文などが増えてきました。せっかく議論が高まっているのですから、今後は、観光問題の半面が「資本主義vs民主主義」の対立であることを強く意識しておくべきだと思います。(資本主義も民主主義も、どちらも有用な仕組みではありますが、過剰であっては困るのです。)

『Tourism Planning & Development』という観光研究の論文誌が、2019年にオーバーツーリズムの特集号を出しました。そこでは、オーバーツーリズムの解決手法の研究や政策当局による対策が、これまでのところ「新自由主義」の枠内に留まっていること、そして「投機的なグローバルな資本の流れ」「資本による略奪や新たな不平等」「労働者と投資家の利害対立」などを考慮した、観光論のパラダイム・シフトが必要であることが指摘されています。

オーバーツーリズムや観光公害は、半分は都市工学的なマネジメントの問題でしょうが、もう半分はグローバル資本主義の横暴と、生活の場を奪われた庶民の怒りという文脈で語られるべき問題なのです。

追伸:
ところで、先ほどイランからアメリカへの報復作戦も開始されたようで、新年早々世界は危機的状況にあります。かつての第一次世界大戦は、サラエボ事件に対するオーストリア=ハンガリーの報復が「せいぜい局地戦に終わる」と誰もが考えていたところ、大国間の誤解と判断ミスの連鎖によって、あれよという間に大戦争に発展したのでした。とにかく今は、我が国を含め、主要国の指導者が歴史的な判断ミスを侵すことのないよう、慎重な行動を求めるべき時ですね。安易にアメリカへの加勢を表明するなどは言語道断です。

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コメント

  1. ジョッキ より:

    返信
    川端 祐一郎 より:
    2020-01-09 14:13

    なお、本文中で言及している村山祥栄氏の『京都が観光で滅びる日』(2019年)は、前半の観光政策の部分は面白いのですが、後半で公務員叩きなどを繰り返していて要するに「維新の会」的な路線の政策提言が連ねてあり、賛成はできません。

    なんだそりゃw
    公務員のやることを基本的に擁護する奴なんて馬鹿でクズな全体主義者と公務員自身だけだろ

  2. 真の保守主義者 より:

    川端さんの言う通り観光公害とかオーバーツーリズムは民主主義や庶民の生活の場や居場所を奪われつつあるという指摘に共感します。今でも問題になってるのにナイトエコノミー導入なんて勘弁してほしいなと思います。それにメディアの問題もあって彼等は観光公害とかを批判すると外国人を上手くやれない日本人が悪いだとか閉鎖的だとか言って批判してきます。メディアの人達の庶民の生活や庶民の居場所をいかに軽視してるか分かりますし、グローバルリズムの為なら庶民の生活を奪われても良しとするメディアの独善的さにもうんざりしてます。

  3. 川端 祐一郎 より:

    なお、本文中で言及している村山祥栄氏の『京都が観光で滅びる日』(2019年)は、前半の観光政策の部分は面白いのですが、後半で公務員叩きなどを繰り返していて要するに「維新の会」的な路線の政策提言が連ねてあり、賛成はできません。

  4. 重巡洋艦チクマ より:

    「自由主義vs民主主義」と言われるとどうしても相対的な反応にならざるを得ませんが「資本主義vs民主主義」と言われるなら躊躇なく民主主義を支持できますね。
    いい言葉をいただきました。

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