フランスに、アンネ=フランス・ドーテヴィルというジャーナリストがいるのですが、彼女は1970年代に、女性で初めてオートバイで世界一周をしたことで有名になりました。
当時は、オートバイといえば「男の乗り物」であり、また「不良の乗り物」であるとされていました。今は日本でも女性のライダーは多く、YouTubeやTwitterでも「バイク女子」の話題が毎日のように流れていますし、暴走族はめっきり見かけなくなりましたが、50年前には全く違ったイメージを持たれる乗り物だったのです。
(バイクが「アウトロー」の象徴となった歴史的背景については、『表現者クライテリオン』の連載欄で取り上げたことがあります。PDFはこちら。)
ドーテヴィル氏は、1960年代に広告代理店のコピーライターとしてパリで働いていましたが、68年に学生運動とゼネストが暴動に発展した「5月革命」と呼ばれる争乱が生じ、歩道を歩いて通勤するのが少し危険になったことなどがきっかけで、ホンダの原付バイクを買うことにしました。当時、50ccであれば、自転車と同じで免許が不要だったそうです。ちなみにこの時買ったのは、リトル・ホンダという、日本の「カブ」を少し洒落たデザインにして欧米に輸出していたものです。
当初は単に「便利だから」という理由で乗り始めたのですが、この原付バイクが、彼女の人生を大きく変えることになりました。当時のフランスでは公共交通機関もあまり整備されておらず、自動車を持っている人も多くはなかったので、遠くへ移動するのは大変でした。そこで小さなバイクを手に入れた彼女は、通勤のために乗るだけでなく、休日ごとにあちこちへ出かけるようになります。
1960年代から70年代の先進国では、バイクやクルマが、後のパソコンと同じように「テクノロジーの民主化」の象徴とされた時期がありました。「一人ひとりが自分の意思で好きな場所へ旅することができる」ことが、既成の文化や社会システムの抑圧から抜け出そうという「カウンター・カルチャー」の空気と相まって、「個人の解放」を促すとされたのです。
ドーテヴィル氏はそういう社会運動に関わっていたわけではありませんが、モビリティを手にしたことで、彼女も大きな「自由」を感じたことは確かなようです。ある休みの日に、そのバイクで地中海の海岸を見に行ったらしいのですが、走りながら日々の仕事が馬鹿らしく思えてきて、何か新しいことを始めようと退職を決意します。
1972年に彼女は、オートバイの輸入代理店からモトグッチV7という750ccの大型バイクを借りて、パリからイランのイスファハンまで旅をするラリーに参加します。100人以上のライダーが参加していて、女性の姿もちらほら見えたようですが、自分で運転しているのはドーテヴィル氏のみで、他の女性は男性のバイクにパッセンジャー(二人乗りの後ろの人)として乗っているだけでした。
この時、周りの男性ライダーの多くは、「女にバイクでの長旅なんて無理に決まっている」「どうせ300kmも行かないうちに転んでリタイアするだろう」と彼女をからかったそうです。恐らく悪意があったわけでもなく、当時はそれが普通のイメージだったのでしょう。車体が重いので転倒すると引き起こすのが大変ですし、中東まで旅するとなると舗装されていない道も多いので、ハンドル操作がけっこうな力仕事になります。
少しムッとしながらパリを出発し、何とか男性ライダーの集団に付いて行きましたが、たしかに悪路の長距離走行は手強かったようです。毎朝みんなと同時に出発しますが、無理はせず自分のペースで慎重に走り、夜になってようやくキャンプ地で合流するという調子でした。途中で一度バイクが転倒し、修理する必要もあったのですが、どうにかこうにかイランまで完走します。そして勢いに乗った彼女は、ラリー参加者のうち何人かが「アフガニスタンに行ってみようぜ」というのにも同行し、さらにパキスタンまで走って、パリに帰ります。
彼女はすぐにラリー参加の体験を旅行記として出版するのですが、ここで予想外のことが起きます。パリのライダーたちの間で、「女がバイクでそんなところまで走れるわけがない」「この旅行記はでっち上げだ」「トラックに乗せてもらったくせに自分で走ったようなフリをしているだけ」といった誹謗中傷が広まったのです。これはさすがに悪意に満ちた「噂話」ですが、それがリアリティをもって広がるぐらい、女性のライダーが珍しかったということでもあるのでしょう。道中で修理のためにバイクをトレーラーで運ぶところを目撃した人が居たのも、誤解を生んだ原因です。
この悪い噂に対する反発だけが理由ではないと思いますが、ラリーの翌年に彼女は「だったら次は世界一周でもしてやろう」と思い立ち、出版社をスポンサーとして、大西洋を渡り、カナダ、アラスカ、日本、東南アジア、インド、中東を経てパリへ戻る旅に出ます。イランへのラリーで転倒時に苦労した経験から、今度は「カワサキ125」という小型のバイクを選びました。
(余談ですが、バイクに詳しい読者のために補足しておくと、この「125」は排気量が125ccという意味ではなく「単気筒、2スト、5速ミッション」の意味だったそうで、排気量自体は100ccでした。日本でそのモデル名では発売されていないと思います。)
この記事の冒頭には、ご本人から使って良いと言われた写真を掲載していますが、これは世界一周の途中にカワサキの工場がある明石市で撮ったものだそうです。日本の男性ライダーを引き連れて、1人だけヘルメットを着けずに走る堂々たる姿ですが(笑)、当時はまだ罰則の導入前なのでノーヘルでも問題はありませんでした。
バイク旅行中の彼女のエピソードで面白いのは、中東諸国の人々が「女性ライダー」を見た際の反応です。昨年の夏、タリバンがアフガニスタンで執政権を取り戻した際に、リベラルな欧米や日本のメディアで(かなりの誤解を含みながら)報じられたように、中東では伝統的に女性の地位が低いと言われていて、タリバン政権が女性を高等教育から排除しているといった点に批判が集まりました。
そんな、いわゆる男尊女卑の国々で、しかもバイクのイメージが今とは全く違っていた50年前に、外国からバイクに乗った女がやって来るとどうなるのか。意外なことに、ドーテヴィル氏は、「中東では嫌な思い出が一つもない」と言います。
ある時、パキスタンのレストランで食事を済ませて会計をしようとすると、「代金はもう貰っているので結構です」と言われたことがありました。似たようなことは何度かあったらしいのですが、どうも、店内にいた見知らぬ男性客が勝手に払ってくれていたようです。じつは、「女がバイクに乗っているらしいぞ」ということで彼女はちょっとした街の噂になっていて、それを気に入った男性たちが非常に親切にしてくれたのです。
最初に参加したラリーの道中、イランの悪路でバイクが転倒した際には、自分の力で起こすことができなかったので、誰かが通りがかるのを待っていました。ようやくトラックが近づいてきたので手を振って止めると、ターバンを巻いた背の高い男が3人降りてきました。言葉はわからないので身振りで助けを求めたのですが、その男たちは彼女に近づいて眼が合うやいなや、悲鳴を上げてトラックに飛び乗り、逃げてしまったそうです。
逃げられた理由はハッキリしませんが、ドーテヴィル氏は「魔物か何かだと思われたのだろう」と振り返っています。当時の西側先進国でも「バイクは女が乗るものではない」と考えられていたわけですが、中東の人々はそれ以上の固定観念を持っていて、生身の女がバイクに乗っているなどとは信じられず、この世のものとは思わなかったのではないか、と。
化け物扱いするのも「男尊女卑」の一つではあるかも知れませんが、彼女の旅行記を「でっち上げ」呼ばわりしたフランスの男性ライダーたちに比べれば、はるかに善良だと私には思えます。そこに込められているのは、侮蔑というよりもむしろ「畏怖」の感覚だからです。
実際、ほとんどの場合、中東の男性たちは彼女に親切でした。パンクで困った時は見知らぬ人が路上でタイヤを交換してくれたばかりか、日差しが強いので作業中は身体の大きな男が彼女の横に立って影を作ってくれていたし、行く先々でトラックのドライバーなどから片言の英語で、「勇気のある女だ」と肩を叩かれたそうです。
アフガニスタンでは、知らない男性が彼女の手を引いて自分のクルマのところまで連れて行き、車内にいた彼の奥さんから赤ん坊を受け取って、ドーテヴィル氏に抱いてやってくれと頼みました。このときも、外国からバイクに乗ってやって来た女があまりに珍しいので、何か神秘的な吉兆と思われたようだとドーテヴィル氏は言います。
私は、日本を含めた西側先進国の文化が、中東のイスラム諸国に比べて差別的だとか、劣っているとか言いたいのではありません。フランスでもドーテヴィル氏に好意的なオートバイ関係者はたくさんいたし(そうでなければ旅行記が出版されたり、世界一周にスポンサーが付いたりはしません)、中東で悪い出来事に遭遇しなかったのは運が良かっただけかも知れません。
彼女の経験談から学ぶべきことは、リベラル化した現代の社会では攻撃の的になりがちな「古い固定観念」の中にも、往々にして善意が含まれているのだということです。フランスの男性ライダーが「女はバイクなんてやめておけ」と言う時も、そこに気遣いが含まれていることはあったでしょう。
もちろんフェミニストはその気遣いを、ありがた迷惑な「パターナリズム」として批判するわけで、それも理解はできます。「善意の暴走」は、生活の中でも政治においても常に大きな問題になっていて、中野好夫の『悪人礼賛』みたいなメンタリティを多くの人が持っていたらどんなにこの世は暮らしやすいだろうかと、私自身は思います。しかし善意を善意として受け取ることができなくなってしまうのは、それはそれで人間性に対する冒涜でしょう。うっとうしい善意も、よほど酷い迷惑を直接に被るのでなければ聞き流しておけば良いのであって、過剰な反発は慎みたいものです。
ドーテヴィル氏が世界一周の旅に出た1970年代は、政治的のみならず文化的にも大きな転換点で、ありとあらゆる固定観念を疑う気運が生まれました。そしてあの頃、少なくとも先進国の人々は、差別と気遣い、善と悪、テクノロジーと身体、伝統と革新といった、人間社会が持っている「両面性」を考え直す機会を得たのだと言えます。ただ不幸なことに、それら両面の交わりを捉えるというよりは、どちらか一方に偏った新たな固定観念としての、イデオロギーを次々と生み出す結果になりました。その歴史を反省するためにも、1970年代に行われた「世界一周バイク女子の旅」のような冒険を、振り返る価値があるのではないでしょうか。
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