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「悲しみ」を知らない現代日本人は、戦争の何を理解しているのか(前編)
仁平千香子
天才数学者と言われた岡潔氏の著書『春宵十話』に興味深い一文がありました。
いま、たくましさはわかっても、人の心のかなしみがわかる青年がどれだけあるだろうか。人の心を知らなければ、物事をやる場合、緻密さがなく粗雑になる。粗雑というのは対象をちっとも見ないで観念的にものをいっているだけということ、つまり対象への細かい心くばりがないということだから、緻密さが欠けるのはいっさいのものが欠けることにほかならない。
岡潔氏は1901年に生まれ、日本の戦前戦後を経験した人物です。本書では特に戦後の義務教育について言及され、小学校で道義を教えなくなったことの問題を強く主張しています。道義教育は岡さんの言葉で言い換えれば「かなしみがわかる」子供を育てることです。悲しみがわからないことがどうして問題かというと、観念的にしかものを考えられなくなる、つまり「対象への細かい心くばりがな」く「緻密さが欠ける」人物が育つからだと言います。
岡氏が『春宵十話』を発表した1963年当時から、この傾向は極まっていったと言えるでしょう。情報社会の加速によって、情報の取得手段に長けた私たちは日々「観念的なもの」に囲まれて生きています。「観念的なもの」とは、「鳥の目」で見えるものと言い換えられるかもしれません。大手のメディア報道がわかりやすい例です。現実の鳥はどんなに高い上空からでも海の中を泳ぐ魚たちや地上の虫たちが見えるのかもしれませんが、人間の視力では遥か遠くの魚や虫は目に入りません。いないものとして処理されます。つまりだいたいこんな感じ、で多くの物事が人々に伝えられます。緻密さに欠ける情報に人は印象を持ちません。容易に忘れ去られていきます。私たちは先月のニュースすら覚えていないことがほとんどでしょう。
広島サミットを終え、悪党ロシアと悲劇のヒロインウクライナ、そしてそのヒロインを支えるG7の正義の使者たちという構造がさらに強調されましたが、戦争の報道もまた鳥の目でなされるのが常です。報道の関心は概ね戦況の変化、攻撃の規模、被害の範囲、死傷者数、兵器給与の動向などに向けられます。また子供の犠牲が甚だしい地域など、特に視聴者の同情を促すようなニュースが定期的に取り上げられます。
悲惨なニュースは戦争の現実を伝えるために必要でしょう。しかしその種の報道は、加害国に対する視聴者の憎悪を激化させる起爆剤として、つまりこちらの正義の制裁を正当化するための手段として、報道されていることもまた事実です。戦争のニュースには当然ながら悲しいもので溢れています。しかし、どれほどの視聴者が他者の悲しみを「我がこと」として向き合っているでしょうか。他者の不幸にどれほど「細かい心くばり」を向け、悲しみの「緻密さ」を理解しようとしているでしょうか。多くの視聴者はテレビの前でとつぶやくでしょう、「なんてかわいそう」と。
「かわいそう」と「悲しい」は違います。「かわいそう」と感じたとき、二言目には「うちの子(孫)じゃなくてよかった」「日本じゃなくてよかった」と続けるでしょう。「かわいそう」は我がことではないからです。自分と関係のない誰かの悲しみでよかったと安堵する感情も含まれています。「悲しい」の先には慈愛と思いやりがあります。悲しいから何かできることはないか、と考えるのです。戦争の本当の悲しみを我がこととして理解してもらうには、つまり戦争を継続する愚かしさを真に伝えるには、「鳥の目」の報道だけでは不十分です。だから文学があります。
文学が提供するのは無数の「虫の目」です。特別なヒーローでも被害者でもない、one of themの人々、つまり「鳥の目」が特に注視しないような誰かの声を取り上げ、彼(彼女)の視点から世界を見回してみる。読者は他人の靴を履き、その人物の「メガネ」を通して見慣れたはずの世界を見直してみる。そこには「虫の目」で見なければわからない世界が確実にあります。そして読者は「かわいそう」ではなく「悲しい」を経験するのです。
ティム·オブライエンというアメリカ作家がいます。彼は1968年に大学を卒業して早々、徴兵され戦争真っ只中のベトナムに送られます。ベトナム戦争の経験をもとに、オブライエンは1990年に短編集The Things They Carried(直訳:彼らが運んだもの)を発表し、これは同年村上春樹によって邦訳され『本当の戦争の話をしよう』という題で日本でも出版されます。
The Things They Carriedという原題は、短編集の冒頭の作品からとったものです。これを村上春樹は「兵士たちの荷物」と訳しました。そこでは二十歳前後で戦場に送られた若者たちがベトナムで毎日背負わされた荷物の中身が淡々と描写されます。
彼らのリュックの中には、缶切り、ポケットナイフ、腕時計、認識票、虫除け、チューインガム、飴、煙草、塩の錠剤、粉末ジュース、ライター、マッチ、裁縫道具、陸軍給与支払い証明、野戦食、水筒などの必需品が6~9キロ、加えて2キロのヘルメット、1キロのブーツ、3キロの防弾ジャケット、1キロのポンチョを身につけています。さらに階級や専門分野によって、中尉は1.3キロのピストル、無線兵は12キロの無線機、衛生兵は9キロのモルヒネや血漿が入ったリュック、機関銃手は10.5キロの機銃と5~7キロの弾丸ベルトを運び、作戦の内容によって12.5キロの地雷探知機を担ぐこともあります。
特に強い恐怖心を強いられる状況に臨む際は、彼らはそれぞれ「独特のもの」を持っていきます。それは聖書だったり、ビタミン剤だったり、パチンコだったり、ブランデーだったり、夜間照準機だったり、恋人のパンティーストッキングだったり、または迷信を信じて、兎の脚やヴェトコンの死体から切り取った親指を所持するものもいます。彼らをまとめる中尉は想いを寄せる女性マーサからもらった手紙(30g)とお守り(30g)を大切に携帯しています。
オブライエンがこれほど丁寧に兵士たちの荷物の重さを書き並べて伝えようとしたこと、それは彼らが実際に担いで歩いた荷物の重さ以上の恐怖を彼らが運んでいたこと、そしてその計り知れない恐怖の重みを、わずかな重さしかないそれぞれの「独特のもの」で支え続けていたことです。恋人のパンティーストッキングを首に巻いて夜間作戦に臨む若者や、叶わない恋の相手からもらった手紙を何度も読み返す青年の滑稽さは、戦場以外であれば笑い飛ばすことができるでしょう。しかしそこが戦場であり、彼らが常に極限の恐怖に晒されていたことを思い出せば、実際の戦闘には何も役に立たないそれらが、実は彼らを狂気から少しでも遠ざける唯一の道具であったことがうかがえます。
オブライエンは言います。「彼らは彼ら自身の命を持ち歩いていた。その心理的負担は並大抵のものではなかった」と。そこは「ズドン·ばたっ、もう死んでいる」が日常の世界だったからです。
(後編に続く)
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