【藤原昌樹】ドラえもんとのび太が知らない「沖縄慰霊の日」

藤原昌樹

藤原昌樹

ドラえもんとのび太が知らない「沖縄慰霊の日」

藤原 昌樹

 

みなさんは「ぐうたら感謝の日」という休日をご存知でしょうか?

もちろん、実在する休日ではありません。

国民的漫画『ドラえもん』の「ぐうたらの日」というエピソード(てんとう虫コミックス版第14巻に収録)に出てくる休日のことであり、同エピソードでは、6月には国民の祝日がなく、春休みや夏休みにも該当しないことを嘆いたのび太が、ドラえもんのひみつ道具「日本標準カレンダー」で6月2日を誰も働いてはいけない「ぐうたら感謝の日」という休日に設定したことで巻き起こる騒動が描かれています(藤子・F・不二雄「ぐうたらの日」『ドラえもん 14』てんとう虫コミックス、小学館、1977年)。

藤子Fノートさんがぐうたら記念日の記事を上げていました。

子どもの頃に初めて「ぐうたらの日」を読んだとき、ドラえもんとのび太が暮らす世界に「慰霊の日」が存在していないということに驚いたことを鮮明に覚えています。当時の私は、「慰霊の日」が全国的な休日ではなく、沖縄県が制定した記念日であり、休日になっているのが沖縄県だけであるということを知りませんでした。

 

「慰霊の日」を忘れてしまったヤマトンチュウ(日本人)

今回、『表現者クライテリオン』のWeb版記事(及びメールマガジン)で沖縄の「慰霊の日」を取り上げることを決めたときに、ウチナーンチュ(沖縄人)ではない、沖縄県外在住の友人に「6月23日が何の日か知っていますか?」と問いかけてみたところ、「慰霊の日」であると即答できた人はおらず、数人がしばらく考えてから思い出し、ウチナーンチュである私に対して少し申し訳なさそうに「そういえば、その日は沖縄の『慰霊の日』ですね」と答えるというやり取りが繰り返されました。

沖縄では毎年4月の後半頃からテレビや新聞などで「本土復帰記念日」(5月15日)に関する話題が取り上げられることが増え始めて、それに引き続いて「慰霊の日」(6月23日)や「沖縄戦の歴史」に関する報道や特集番組などが多くなります。また、子ども達が学齢に達して学校に通うようになると、「慰霊の日」のことを学校が休みになる「休日」として意識するようになり、「平和学習」と言われる特別授業で「沖縄戦の歴史」について学ぶようになるなど、大人であろうが子どもであろうが、「沖縄戦の歴史」や「慰霊の日」に触れずに ― 知らずに ― 沖縄で生活することはできないと言っても過言ではありません

恐らく、広島や長崎では、沖縄で「沖縄戦の歴史」について語られているのと同じように、「原爆の日」について語り継がれていることなのだろうと想像しています。

1981年8月、当時皇太子であった上皇陛下は「日本では、どうしても記憶しなければならないことが4つはあると思います。終戦記念日、広島の原爆の日、長崎の原爆の日、そして6月23日の沖縄の戦いの終結の日です」と語られており(吉川慧「沖縄慰霊の日を忘れてはならない。天皇陛下は、平和への願いを歌に込めた《沖縄戦73年》」『ハフポスト日本版』2018年6月23日)、宮内庁のホームページでは「戦没者慰霊」で「忘れてはならない4つの日」として「沖縄慰霊の日」(6月23日)「広島原爆の日」(8月6日)「長崎原爆の日」(8月9日)「終戦記念日(全国戦没者追悼式)」(8月15日)が掲載されています(「戦没者慰霊」宮内庁ホームページ)。

6月23日が沖縄の「慰霊の日」であると即答できなかった私の友人たちは、歴史や社会的なことに関心が低い人たちという訳ではありません。『表現者クライテリオン』やこのメルマガなども購読しているような、どちらかと言えば、日本の歴史や社会的な問題などに強い関心を持ち続けていると思われる人たちです。その彼らでさえ、普段は「慰霊の日」のことを忘れてしまっており、すぐには思い出せない ― さすがに「全く知らない」ということではありませんでした ― ということは、ウチナーンチュの1人として残念に思ったというのが、正直なところです。

「歴史を知らない日本人が増えている」と言われるようになって久しいですが、それでも大多数の日本人が「広島原爆の日」「長崎原爆の日」「終戦記念日」を知らない ― 忘れてしまった ― ということはないのだろうと思います。その一方で、「沖縄慰霊の日」は多くの日本人にとって「知らない日」もしくは「忘れてしまった日」になってしまっているのではないでしょうか

 

「沖縄慰霊の日」の歴史

ここで「沖縄慰霊の日」の歴史について簡単に振り返ってみたいと思います(「慰霊の日ってどんな日? 沖縄県民なら誰もが知っているメモリアルデーには紆余曲折の歴史があった」『琉球新報』2018年6月23日)。

「沖縄慰霊の日」が公休日として定められたのは、沖縄がアメリカ軍の統治下にあった1961年のことであり、当初は、現在の「6月23日」ではなく「6月22日」が「沖縄慰霊の日」とされていました(沖縄県公文書館「沖縄戦と慰霊の日『慰霊の日』のはじまり」2014年6月17日)。「なぜ軍人が自決した日を選んだのか?」「『沖縄戦没者慰霊奉賛会(現在の沖縄県平和祈念財団)』の陳情書で23日だったのがどうして22日に変わったのか?」といったことについては、史料からも明確な理由を見出すことはできないようですが、当時の琉球政府立法院での会議録には「慰霊の日」制定に関する議論の痕跡が残されています。

その後、「慰霊の日」が「6月23日」に変更されたのは、最初の制定から4年後の1965年のことになります。「住民の祝祭日に関する立法」の改正により、慰霊の日の変更について行政法務委員会による再調査が行われ、戦争史の研究者から得られた証言や大蔵省官房調査課発行「覚書終戦財政始末第七巻」などの資料を元に「慰霊の日は23日とする」と定めた条例が公布されました。

「本土復帰」を契機として日本の「国民の祝日に関する法律」が適用されて「住民の祝祭日に関する立法」は廃止、これにより「慰霊の日」を含む琉球政府時代の沖縄独自の休日が法的に休日から除外されることになりましたが、条例により県職員や市町村は継続して「慰霊の日」を休みとして認められました。さらに1974年には沖縄県が「『慰霊の日』を定める条例」を公布したことによって「6月23日」は戦没者追悼と平和を祈る「県民の休日」として広く浸透していくことになります。「本土復帰」前後の時期に「慰霊の日」について取り立てて大きな話題になったとの記録は残っておらず、県民の間では、本土復帰以降も「慰霊の日」を「県民の休日」として位置づけることに何ら違和感がなく、当然のこととして受けとめられたものと思われます。

 

「慰霊の日」休日廃止問題

ところが、昭和から平成へと時代が転換期を迎える“世替わり”の頃に、「慰霊の日」をめぐる騒動が巻き起こります。

1980年代の日本は「日本人は働きすぎである」と国際的に批判を浴びており、民間企業において週休二日制(週五日制)導入が進められていました。1988年には国の機関でも土曜閉庁が導入されるようになり、現在では当たり前になっている完全週休二日制の導入を推し進めるにあたって労働基準法が改正され、それに合わせる形で地方自治法が一部改正されました。地方公共団体の休日も国の機関と合わせることを義務づけられて地方独自の休日が認められなくなるということは、「慰霊の日」が休日でなくなることを意味しており、当時、県民の間で大きな関心を呼ぶことになりました。

地方自治法の改正を受けて、1989年6月22日の沖縄県議会で「慰霊の日の休日廃止」を盛りこんだ「沖縄県の休日を定める条例」案が提出されますが、条例案の提出にあたって西銘順治知事(当時)は「地方公共団体の機関の休日は、地方自治法第4条の規定の範囲内において条例で定めることになっているため、同法に規定する日以外の日を休日とすることはできない」と説明しています。

「慰霊の日」の休日廃止案に対して、県内では「法定休日がなくなれば、子や孫たちと一家そろって『慰霊祭』や『平和行進』に参加することができなくなる」「恒久平和を願う日として県民自らの手で設けられた大事な制度が、県の休日条例から削除されようとしていることに対し、強い憤りを覚える」「地方の独自性を否定し、地方の文化や生活を踏みにじるものだ」などといった強い反発が起こり、県内各地でシンポジウムや集会が開かれるなど県民の抗議行動は大きな広がりを見せていました

1989年7月に琉球新報社が行った世論調査では「慰霊の日の県職員の休日廃止条例についてどう思うか」という質問に対して、「休日として残すべき」が63%、「県民の休日として条例を制定すべき」が19.5%というように休日存続派が全体の8割以上を占めています。

「慰霊の日」休日廃止案への反発の強まりに対して、県議会では議員たちが県民感情に配慮して与野党を超えて「休日存続」で足並みを揃える一方で、西銘知事が頑なに廃止を主張し続けて議論が平行線を辿ることとなり、1990年3月には県議会史上初めて、県知事提案に対して与野党の合意により審議未了廃案となる事態に陥ります。

膠着した事態の局面が変わるのは、1990年の慰霊の日に海部俊樹首相(当時)が歴代首相として初めて県主催の「沖縄全戦没者追悼式」に参列した時のことです。海部首相が式典終了後の記者会見で「特別措置」として「従来通り(慰霊の日を)県職員の休日として存続できるよう検討する」と明言したことで、西銘知事もそれまでの態度を翻して「休日存続」へと方針を転換することになりました。

翌1991年の国会本会議にて地方自治法が一部改正されたことで「地方公共団体において特別な歴史的、社会的意味を有し、住民がこぞって祈念することが定着している日で、広く国民の理解が得られるようなものは、休日として定めることができる」とされ、沖縄県も条例を改正し、それまで通り「慰霊の日」は沖縄県とその機関(県庁、県立学校、病院等)、県内の市町村とその機関(市役所、町村役場、市町村立学校、病院等)は休日となり、現在に至っています。当時の『琉球新報』は、「慰霊の日」休日廃止をめぐる一連の流れを「県民世論の逆転サヨナラ勝ち」と表現していました。

 

政治利用の場と化した「沖縄全戦没者追悼式」

毎年、「沖縄慰霊の日」には、糸満市摩文仁の平和祈念公園で「沖縄全戦没者追悼式」が執り行われています。2020年以降は新型コロナウイルス感染拡大の影響で参列者を制限して規模を縮小した形で開催していましたが、今年(2023年)は4年ぶりに参列者を制限せずに2019年までと同じ規模で実施する方針が示されています(「『慰霊の日』の追悼式、4年ぶりに制限なし、沖縄県が方針 6月23日に平和記念公園」『琉球新報』2023年4月27日)。

前述したように、歴代首相で初めて追悼式に参列したのは1990年の海部首相であり、それ以降、延べ16人の首相が追悼式に出席またはメッセージを寄せて不戦を誓っていますが、2020年と2021年はビデオメッセージでの式辞となりました。基地負担軽減に初めて言及したのは、1996年の橋本龍太郎首相(当時)であり、その後の首相は毎年、沖縄の基地負担軽減を目指す旨を盛り込むことが恒例となっています(「『基地負担』実現せず 追悼式 歴代首相が約束」『沖縄タイムス』2023年6月23日)。

現在、米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設を巡って沖縄県と日本政府の対立が泥沼化していることを背景に、本来であれば厳粛な雰囲気の下で執り行われるべきである「追悼式」が、戦後70年目にあたる2015年頃から政治利用の場と化してしまっています

2015年の追悼式においては、― 私自身は追悼式に参列することができず、正午に黙祷をささげるのみでした ― 式典で平和宣言を読み上げる翁長雄志沖縄県知事(当時)に対して拍手や喝采が起こり、挨拶をした安倍晋三首相(当時)に対して罵声が浴びせられ野次が飛ぶなど異様な雰囲気に包まれていたとのことであり、戦没者を慰霊する儀式の場にあるまじき立ち居振る舞いをする輩が少なからずいたということを知り、暗澹たる思いに駆られたことを思い出します。

その後も毎年の追悼式の場で、首相の式辞に対して罵声や野次が飛び、県知事の平和宣言には拍手や指笛とともに歓声が沸くなど「慰霊のための祈りの場」には到底相応しくない光景が繰り広げられることが恒例行事のようになってしまっています。昨年(2022年)は、新型コロナウイルス感染拡大のために中断されていた首相の参列が3年ぶりに再開されたのですが、岸田文雄首相の挨拶のときには会場の外から「戦争を呼び込むな」「帰れ」といった野次が飛んだと報道されています(「岸田首相『基地』かわし玉城知事に求めたことは すれ違った議論 『慰霊の日』追悼式」『琉球新報』2022年6月23日)。

「慰霊の日」に沖縄で執り行われる「沖縄全戦没者追悼式」をはじめとする「戦没者を慰霊し、追悼の祈りを捧げる儀式」が、その本質に政治的な意味合いや宗教的な側面を孕むことを否定するものではありません。どちらかと言えば、「儀式」には政治的・宗教的な意味合いが濃厚に含まれることが至極当然のことであると思います。

しかしながら、「追悼式」においては、その場に居合わせる全ての者に「追悼の場」に相応しい立ち居振る舞いが求められるのであり、- 仮に訴えている主義・主張の内容が正しく、認められるべきものであったとしても - 場をわきまえずに自らの主義・主張を声高に叫ぶことは決して許されることではありません

本来であれば厳かな雰囲気で執り行われるべき「追悼の場」を利用して、自らの政治的主張を披歴したり、自らと異なる主張を持つ他者を罵倒したりすることは、沖縄の地で眠る戦没者を冒涜する行為であるとしか思えません。また、「平和学習」「平和教育」という大義名分の下に-「沖縄戦の歴史」の継承という私たちに課せられた責務を超えて-「絶対平和主義」という「夢物語」に基づく非現実的な政治思想を子ども達に植え付けようとすることは、戦没者の名を借りた独善的な行為であると言えるのではないでしょうか。

その一方で、「追悼式」に参列する歴代首相が式辞の中で繰り返し強調する「沖縄の基地負担軽減」についての「丁寧な説明」も、我が国が「独立国に相応しい防衛・安全保障体制」を構築するための道筋として示されるのではなく、従来通り、アメリカに依存する「半独立」の状態を継続するための手立てでしかないのであれば先の大戦で犠牲となった戦没者を愚弄する所業でしかないと思います。

戦没者を悼む「追悼の場」において、これからの「日本のあるべき姿」を何ら示すことなく、アメリカに依存し続ける現状を当然のこととして「沖縄の基地負担軽減」という耳触りが良い言葉や「丁寧な説明」という空疎な言葉を繰り返す首相の姿は、「慰霊の日」をすっかり忘れてしまい、「防衛・安全保障問題」という困難な問題から目を逸らし続ける現在の日本人(ヤマトンチュウ)を象徴したものであると思えてなりません。

ウチナーンチュを含む日本人の多くが、先の大戦で犠牲となった戦没者を悼む気持ちを有していることを疑うものではありませんが、ここ数年にわたって「沖縄全戦没者追悼式」が「沖縄の基地問題」をめぐる喧しい「政治の舞台」と化してしまっていることが残念であり、全ての戦没者に対して申し訳なく思います

 

「死者」に投票してもらえる「日本のあるべき姿」とは

これまでも拙稿で繰り返し論じてきましたが、日本政府が語る「沖縄の基地問題」には多くの「嘘話」が含まれており、既に日米合意が成立しているが故に、その合意に反する選択肢を検討することができない呪縛に囚われて、米軍基地を沖縄に押し付けることで「独立した主権国家に相応しい安全保障体制の構築」という我が国にとって重要ではあるが難しい課題から目を逸らし続けている ―「戦後レジームからの脱却」どころか「戦後レジームの永続化」に向かっている― と看做さざるを得ません(拙稿「『沖縄の基地問題』にまつわる嘘話」『表現者クライテリオン』89号(2020年3月号)、「沖縄で考える『四月二十八日』と『五月十五日』」『表現者クライテリオン』102号(2022年5月号)など)。

念のために申し添えておきますが、私自身は、現在の日本政府の「沖縄の基地問題」に関する姿勢に批判的であることは否定しませんが、沖縄に蔓延る「沖縄から全ての軍事基地を無くすことさえできれば平和で豊かな沖縄を実現できる」という「絶対平和主義」に基づく非現実的な「夢物語」に与するものではありません。

もし仮に日本政府から「日本のあるべき姿」に向けた道筋が明確な形で示され、真の意味での「独立した主権国家に相応しい安全保障体制の構築」のために「基地負担の軽減」ではなく、更なる「基地負担の増大」をも甘受しなければならないというのであれば、沖縄県民も日本国民として真摯に受けとめなければならないと思います。

しかしながら、現在、日本政府から沖縄県に対して示されているのは、大多数の日本国民が「防衛・安全保障問題」という難しい課題に向き合うことから逃げて思考停止の状態のままで安穏と過ごすために、アメリカに依存する「半独立」の状態を永続化し、そのために沖縄に「基地問題」を押し付けるという物語でしかないのです。

ウチナーンチュの1人として、そして日本国民の1人として、そのような物語は到底受けいれることはできません。

イギリスの保守思想家ギルバート・チェスタトンは、生きていることそれ自体に至上の権力を授けようとする人民民主主義あるいは生者の欲望それ自体に無上の権限を与えようとする大衆民主主義に真っ向から逆らうために「死者の民主主義」を主張しています(西部邁「諧謔による正統の擁護 ギルバート・チェスタトン」『思想の英雄たち 保守の源流をたずねて』)。

 

われわれは死者を会議に招かねばならない。古代のギリシャ人は石で投票したというが、死者には墓石で投票してもらわなければならない。

ギルバート・チェスタトン

「沖縄の基地問題」を巡って、これまでにも住民投票が行われてきましたが、もし先の大戦で犠牲となった戦没者に「死者の墓石投票」で投票に参加してもらうとしたならば、彼らは「絶対平和主義」に基づく非現実的な「夢物語」にも「リアリズム」と称して対米従属の「半独立」の現状を追認する言説にも票を投ずることはないと思われます。

私たちは、「死者」に認めてもらえる選択肢を見出していかなければなりません。

沖縄戦から78年目の「沖縄慰霊の日」に、「死者」に投票してもらえる「日本のあるべき姿」や「独立国に相応しい防衛・安全保障体制」について考えてみたいと思います。

(藤原昌樹)

 

「平和の火」(平和祈念公園)

 

 

・資料:「慰霊の日」フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
慰霊の日 – Wikipedia

・資料:「6月2日は“ぐうたら感謝の日”」『川崎市藤子・F・不二雄ミュージアム公式ブログ』
https://fujiko-museum.com/blog/?p=25261/

・資料:藤子・F・不二雄『ドラえもん 14』てんとう虫コミックス、小学館、1977年
https://www.shogakukan.co.jp/books/09140104

・資料:吉川慧「沖縄慰霊の日を忘れてはならない。天皇陛下は、平和への願いを歌に込めた《沖縄戦73年》」『ハフポスト日本版』2018年6月23日
沖縄慰霊の日を忘れてはならない。天皇陛下は、平和への願いを歌に込めた《沖縄戦73年》 | ハフポスト PROJECT (huffingtonpost.jp)

・資料:「戦没者慰霊」宮内庁ホームページ
戦没者慰霊 – 宮内庁 (kunaicho.go.jp)

・資料:沖縄県「令和5年沖縄全戦没者追悼式の開催について」
令和5年沖縄全戦没者追悼式の開催について/沖縄県 (okinawa.lg.jp)

・資料:沖縄観光情報WEBサイト「おきなわ物語」
6月23日は 、 沖縄慰霊の日 | 沖縄観光情報WEBサイト おきなわ物語 (okinawastory.jp)

・資料:「沖縄慰霊の日」那覇市観光資源データベース
沖縄慰霊の日 | 那覇市観光資源データベース (naha-contentsdb.jp)

・資料:「慰霊の日ってどんな日? 沖縄県民なら誰もが知っているメモリアルデーには紆余曲折の歴史があった」『琉球新報』2018年6月23日
沖縄「慰霊の日」なぜ6月23日?実は紆余曲折の歴史が… – 琉球新報デジタル|沖縄のニュース速報·情報サイト (ryukyushimpo.jp)

・資料:沖縄県公文書館「沖縄戦と慰霊の日『慰霊の日』のはじまり」2014年6月17日
A4ロビー展05 (pref.okinawa.jp)

・資料:沖縄公文書館「『慰霊の日』休日廃止問題」2014年6月17日
A4ロビー展06 (pref.okinawa.jp)

・資料:「沖縄『慰霊の日』続く政治利用 『祈りの場なのに…』」『産経新聞』2019年6月23日
沖縄「慰霊の日」続く政治利用 「祈りの場なのに…」(1/2ページ) – 産経ニュース (archive.org)

・資料:「今年3年ぶりの首相参列 過去の首相たちは追悼式で何を語ってきた? 沖縄『慰霊の日』」『琉球新報』2022年6月23日
今年3年ぶりの首相参列 過去の首相たちは追悼式で何を語ってきた? 沖縄「慰霊の日」 – 琉球新報デジタル|沖縄のニュース速報·情報サイト (ryukyushimpo.jp)

・資料:「岸田首相『基地』かわし玉城知事に求めたことは すれ違った議論 『慰霊の日』追悼式」『琉球新報』2022年6月23日
【深掘り】岸田首相「基地」かわし玉城知事に求めたことは すれ違った議論 「慰霊の日」追悼式 – 琉球新報デジタル|沖縄のニュース速報·情報サイト (ryukyushimpo.jp)

・資料:「『慰霊の日』の追悼式、4年ぶりに制限なし、沖縄県が方針 6月23日に平和記念公園」『琉球新報』2023年4月27日
「慰霊の日」の追悼式、4年ぶりに制限なし 沖縄県が方針 6月23日に平和祈念公園 – 琉球新報デジタル|沖縄のニュース速報·情報サイト (ryukyushimpo.jp)

・資料:「『基地負担減』実現せず 追悼式 歴代首相が約束」『沖縄タイムス』2023年6月23
https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/1174750

 

参考文献

・藤原昌樹「『沖縄の基地問題』にまつわる嘘話」『表現者クライテリオン』89号(2020年3月号)
https://the-criterion.jp/backnumber/89_202003/

・藤原昌樹「沖縄で考える『四月二十八日』と『五月十五日』」『表現者クライテリオン』102号(2022年5月号)
https://the-criterion.jp/backnumber/102_202205/

・西部邁「諧謔による正統の擁護 ギルバート・チェスタトン」『思想の英雄たち 保守の源流をたずねて』(角川春樹事務所 ハルキ文庫)、2012年
https://amzn.to/43W1GiI

 


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