【仁平千香子】強制労働より恐ろしい無気力という暴力 ―日本人がアウシュビッツから学ぶべきこと

仁平千香子

仁平千香子

 8月は戦争について考えさせられる月である。メディアは戦争映画を特集し、各地で追悼式や慰霊祭が行われる。広島・長崎の悲しい記憶を思い出し、「もう繰り返しません」と主語の曖昧な言葉を唱える。そんな月である。

 戦争によって思い起こされる記憶というのは、どれも暴力に満ちている。空襲や原爆による死傷者の数、戦死した兵隊たちの数、学業をなかばにして戦線へ送られた若者たち、玉砕した戦艦や軍隊、マラリア・赤痢・飢餓など多くの兵士たちを死に追いやった戦場、これらの情報を通して私たちは戦争の悲惨さを学び、二度と繰り返すことのないよう教えられる。戦争とはたくさんの人々の命を奪うもの、だからやってはいけないのだと。

 一方で、戦争中、武力や病以外の理由でなくなった人たちもいた。今日はそんな話をしたい

 

 

 ヨーロッパにおいて戦争といえばナチスドイツの恐怖政治の記憶が今でも生々しく語り継がれている。ユダヤ人の強制収容と大量虐殺については数々の書籍に記録されているが、世界中で読み継がれる代表作の一つにヴィクトール・フランクル著の『夜と霧』がある。Man’s Search for Meaning(人間による意味の探究)という題で翻訳された英語版は、アメリカで最も影響力のある10冊として選ばれたこともあり、現在50カ国を越える言語に翻訳されている。

 作者のフランクルはオーストリア生まれの精神科医で、1944年にアウシュビッツに収容され、餓死寸前の栄養状態と強制労働を乗り越え、1945年に生還した。解放された翌年、彼は収容所における自らの経験を綴った『夜と霧』を出版する。

 収容所生活の悲惨さは、日本人が経験したシベリア抑留を思わせる。収容所ではみな所持品を取り上げられ、質の良い靴を履いていた者はサイズの合わない劣等な靴と交換させられた。食事は一日一度「水としかいえないようなスープと、人をばかにしたようなちっぽけなパン」に「おまけ」(ひと匙のマーガリンやジャム、ソーセージやチーズのかけらなどが日替わりで出た)のみだった。野外で休みなく重労働を課される彼らにとってカロリーも栄養も絶対的に不足していた。夜は縦2メートル、幅2.5メートルの板を敷いただけのベッドに9人が横向きに寝かせられた。着替えもなく、冬の寒さを凌ぐ十分な上着も靴もなく、裸足で雪の中を作業させられる子どももいた。過酷な食事制限と重労働に加え、被収容者は不条理な暴力にも耐えなければならなかった。ほんの少しでも怠惰と思われる言動が見られれば容赦ない殴打の罰を受ける。または絶食を強いられる。そしてほぼ全員が毎日のように理由もないことで殴られた。

 数ヶ月も経てば、柱にしがみついて体を引き上げなければ立ち上がれないほどみな衰弱していた。フランクルは「なんとか人間の姿をとどめているだけの、ぼろをまとったやつ」だったと当時の自分を形容する。

 収容所での生活を体験しながら、フランクルは「人間はなにごとにも慣れる存在だ」というドストエフスキーの言葉に納得したという。常に死の危険を意識させられながら、被収容者はそれでも生き延びるために必要な適応力を身につけていく。

 必要な適応力とは、感情の消滅だった。フランクルは移送後数週間で被収容者たちの内面がじわじわと死んでいくのを観察した。感情を殺し、感情的反応が麻痺した彼らは、熱に苦しむ仲間が地面に倒され執拗に殴られていても、目を逸らすこともなく無関心にながめていられたという。死者が出れば(それは数時間前まで話をしていた仲間であったりした)、死体にみな群がり、靴や上着を取り替えたその死体が横たわる窓の外を眺めながら、彼らはスープをすすった。不感無覚は、収容所生活においてなくてはならない盾であり、必要不可欠な自己保存メカニズムであったとフランクルは説明する。

 しかし身体的苦痛に耐えるために感情を消滅することはできても、精神的苦痛に対する感情は容易に麻痺しなかったという。フランクルは、さぼっていると咎められて棍棒で殴られるときより、監視兵が骨と皮になった自分を見て人間としての値打ちもないと、家畜のように石ころを投げつけてきたときの苦痛の方が遥かに大きかったと回想する。極限状態にあってもなお、存在に対する尊厳を求めるという人間の本能を被収容者たちは身をもって体験していた。

 フランクルは収容所のある医長からこんな話を聞く。ある収容所で1944年のクリスマスから新年にかけて大量の死者を出した。しかし労働条件や食糧事情や気候の変化、また伝染病などを考慮しても大量死の原因は思い当たらない。医長は、大量死の原因を極度の落胆と失望によるものと分析した

 当時、被収容者の間でクリスマスには家に帰れるという噂が広まった。彼らは突如湧いた希望に胸を躍らせたのだろう。しかしクリスマスが来ても解放はされなかった。そしてその直後、彼らはバタバタと倒れていったという。「強制収容所の人間を精神的に奮い立たせるには、まず未来に目的をもたせなければならなかった」とフランクルは説明する。クリスマス後に彼らを大量に死に至らせたものは、未来喪失、つまり生きる目的の喪失であった。極度の栄養失調状態でも人はしばらく生きながらえるが、未来への希望を失った瞬間に驚くほど容易に彼らの生命力は潰えるのだ。

 つまり収容所において生き残りやすいタイプとは未来への希望を失わない人びと、精神的支えを持ち続けていられる人ということになる。実際、フランクルはもともと精神的な生活をいとなんでいた人ほど収容所生活の精神へのダメージが少なかったと観察している。彼らは外的な苦痛から逃げるための内面的な自由の世界を持っていたからだという。

 フランクルはこのように強制収容所において、精神の自由を知る人間の強さを目の当たりにした。その自由とは、自分が「どのような精神的存在でいるかを決める自由」のことであるという。そしてこの自由は身体的拘束によっても奪えない。

 

 人は強制収容所に人間をぶちこんですべてを奪うことができるが、たったひとつ、あたえられた環境でいかにふるまうかという、人間としての最後の自由だけは奪えない。(中略)人間はひとりひとり、このような状況にあってもなお、収容所に入れられた自分がどのような精神的存在になるかについて、なんらかの決断を下せる。典型的な「被収容者」になるか、あるいは収容所にいてもなお人間として踏みとどまり、おのれの尊厳を守る人間になるかは、自分自身が決めることなのだ

 

 これを通してフランクルは「人間の内面は外的な運命より強靭なのだということ」を確信する。つまり目の前の現実の在り方を決めるのは、それをどう眺めるかを決める個人の意識、さらにはどう現実を受け止めるかを決める個人の強い意志なのだ。収容所にいてもなお、自由を完全に奪わせなかった人びととは、精神の自由を知っていた人びと、そしてその自由を手放さない強靭さを持ち合わせていた人びとということになる。

ヴィクトール・フランクル(1905〜1997)
(出典:Prof. Dr. Franz Vesely)

 フランクルの文章を紹介したかった理由、それは被収容者が命を落とすメカニズムが、現代日本人のそれと重なっているからだ未来喪失、生きる目的の欠落、命の尊厳への渇望、精神の自由に対する無知、これらが引き起こす無気力と生命力の消失、これらは全て多くの現代日本人に当てはまる。骨と皮になっても生き延びようとした人がアウシュビッツにいた(そして当時の日本もまた食糧不足は深刻だった)一方、食品廃棄が問題になるほど物に溢れた今の日本では人びとが容易に命を捨てる。栄養(身体の充実)以上に生きる意欲(精神の充実)が人間の命を支えるものとして不可欠であるということである。

 日本人を無気力から脱却させ、生きる意欲を育てるには、希望ある未来を人びとに想起させる国づくりが必要であり、そのために政治家を始め、影響力や経済力のある人びとや企業の役割は重要である。その一方、どんな未来があろうとも、そこに希望を見るかどうかは個人の選択であるならば、人間が生まれ持つ精神の強靭さを教え育てる教育者や指導者も必要となる。

 精神の自由が身体的自由を凌駕する力があることを私たちの多くは知らない。それは身体的に自由でないと私たちは自由でないという思い込みがあるからであり、物質的豊かさが幸福の第一条件とする現代の思想が擦り込まれているからでもある。物質的豊かさの実現が生きる目的になれば、子どもたちは幸福が環境に左右されるものと考え、内側の強靭さを意識することもなく育つ。そして、衣食住が満たされた環境を与えられても満足できず、精神を病んで命を絶つ。

 フランクルはいう。「人間とは、人間とはなにかをつねに決定する存在だ。人間とは、ガス室を発明した存在だ。しかし同時に、ガス室に入っても毅然として祈りのことばを口にする存在でもあるのだ。」

 死と常に隣り合わせだったアウシュビッツの人びとは、希望を持ち続けることで今にも消えそうな命をなんとか繋いだ。無気力という深刻な病を抱えている現代の日本人は、アウシュビッツを生き延びた人々から学ぶべきことがたくさんあるだろう。

 8月は子孫のために命を繋いでくれた英霊に対する感謝と敬意を普段以上に意識する月であるが、日本の英霊こそ精神の強靭さが人間の強靭さを支え、さらには国の強靭さを支えることを熟知していた人びとである。8月を多くの死に対して悲しみ、戦争の暴力性を憎むだけの時間にするのではなく、先祖たちが残してくれた大切な教えを今一度思い出し、子孫に伝える時間とすべきではないだろうか。

(仁平千香子)


《編集部より》

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