毎年、旧盆(今年は8月28日~30日)のときには親戚など自宅を訪ねてくる来客に備えて外出を控えるようにするために、私にとっては普段の日よりもまとまった読書の時間を取りやすくなることから、お墓の掃除をすることと旧盆中に読む本を選ぶことが旧盆前の個人的な恒例行事の1つとなっております。今年は、紙上の連載時にいくつかの記事を読んで注目していたことに加えて、旧友が聞き手の1人として参加していたこともあり、発売直後に購入してはいたものの、その900頁近い厚さに圧倒されて積読になってしまっていた『沖縄の生活史』を手に取ることにしました。
今年(2023年)5月に出版された『沖縄の生活史』は、毎年数多く出版されている「沖縄本」(注1)の中で、近年最も注目を集めた一冊であると言っても過言ではありません。
同書は、地元の沖縄タイムス社が「沖縄の歴史とともに生きてきた人々の来し方を聞き取って文章に残そう」という2022年の本土復帰50年企画で連載した「沖縄の生活史~語り、聞く50年」プロジェクトを書籍化したものであり、公募された100名の聞き手が100名の沖縄の人(語り手)たちの人生の歩みを聞き取り、100篇の「語り」として収録しています。
沖縄の戦後史は、沖縄県民の約4人に1人が亡くなった―沖縄での日米両軍及び民間人をあわせた地上戦中の戦没者は20万人を超えるとされています―と言われるほど苛烈な沖縄戦の後、鹿児島以北の日本本土から切り離され、1972年の本土復帰まで27年間にわたって米軍の施政権の下に置かれたこと、また、本土復帰以降も広大な米軍基地が存在し続け、米軍人・軍属によって繰り返し引き起こされる事件・事故によって悩まされ続けていること等から、ウチナーンチュ(沖縄人)の「苦難の歴史」「虐げられた歴史」として描かれることが多いように思われます。もちろん、「沖縄の基地問題」に端的に表れているように、いま現在においても、沖縄が日米両国の狭間で翻弄され続けているということは紛れもない歴史的な事実です。
しかしながら、激動する沖縄の戦後史の流れの中で、多くのウチナーンチュ達が、自らが置かれた状況に振り回され、辛うじて生き延びてきた「受け身」の存在であったという訳ではありません。ウチナーンチュの1人1人がそれぞれ主体的な意思を持ち、「逞しく」「強かに」生き抜いてきたということも間違いなく沖縄の戦後史の1つの側面であるのです。
『沖縄の生活史』は、100人のウチナーンチュの「ライフヒストリー」を「聞き取り」という手法を用いて記録することを通して、沖縄の戦後史を俯瞰的に見るだけでは、決して捉えることができない「戦後沖縄の実像」に迫ることを試みています。
監修者の1人である岸政彦は、「まえがき」で「沖縄の戦後を実際に体験した方々の語りを、できるだけ生の形で記録するために、聞き手のみなさんには、『できるだけ質問しない』ということ」「こちらで『聞きたいことを聞く』よりもむしろ、語り手がそのとき語りたいと思ったことを自由に語っていただく。そのために、聞き手のみなさんに『積極的に受け身になる』ということ」をお願いし、「もし可能なら、『復帰の日に何をしていましたか』という質問をしてもらいました。多くの語り手の方が『おぼえていない』と答えたことが印象に残っています」と述べています(注2)。
また、同書についての取材では「本書全体に通底するコンセプトは、『まとめない』ということ。語り手の生い立ちや人生を要約するのではなく、語りの断片を集めることが重要だった」と強調し、「聞き手の方々には、読みにくくてもいいから聞いたそのままを、方言も含めてできるだけ素のまま残してほしいとお願いしました。語りのどの部分でもいいから抜き出して1万字にしてもらっているので、途中から始まって途中で終わる、断片的な語りになっています。わかりにくくても、脚注や要約はあえて入れていません。そうすることで、失われるものがあると思ったからです」と語っています(注3)。
確かに、研究者の手によって論理的整合性が担保された論文や研究書、評論家やエッセイスト、小説家などプロの書き手が推敲を重ね、編集者などによるチェックや校正・校閲を経て整えられた文章に慣れ親しんだ人間にとって、同書に「読みにくい」部分があることは否定できません。また、凡例に「語りをそのまま掲載しているため、事実関係が正確でない場合があります」と示されているように、語り手の記憶違いや思い込みに基づくと思われる―必ずしも歴史的事実として正確であるとは言えない―記述も見受けられます。
沖縄戦や戦後の記録を残すということは、通常はしっかりした資料に基づき、事実関係をできるだけ細かく特定する、ということを意味します。しかしながら、同書に収録されている聞き書きの多くは、普通の一般の個人の、記憶と感覚だけに頼って語られた、まるで「ゆんたく(おしゃべり)」のような語りばかりです(注4)。具体的には、祖父母や親が子や孫に、おじやおばが甥や姪に語ったものであり、語り手と聞き手との間で「ウチナーグチ(沖縄の方言)」や「ウチナーヤマトグチ(沖縄の方言と標準語がチャンプルー(ごちゃ混ぜ)になった言葉)」が飛び交うやり取りからは、両者の親しい関係性や、親しい関係性だからこそ醸し出される聞き取りの場の雰囲気を感じ取ることができ、その「読みにくさ」をも含めて臨場感が同書の大きな魅力の1つとなっています。恐らく、その魅力の大半が、通常の論文や書籍のようにプロの書き手や編集者が手を加えて論理的整合性や「読みやすさ」などを追求すると失われてしまうものであり、「語り手の『語り』をできるだけ素のまま残す」という選択が功を奏したと言えるのだと思われます。
分厚い『沖縄の生活史』に記された100人の語り手の人生の物語を味わいつつも、そこから私自身が「何を学ぶことができるのか」「何を学ばなければならないのか」という問いへの答えを見出し得ないままに頁を繰り続けていく中で、『沖縄の生活史』に先だって読んだ小幡敏『忘れられた戦争の記憶 日本人と“大東亜戦争”』に記された「体験というものは思想にし得ない」「凄絶な体験には、その思想化を軽薄に見せる迫力様なるものがある」「体験は、体験のままに飲み下さねばなるまい」(注5)という言葉が頭に思い浮かびました。
『忘れられた戦争の記憶 日本人と“大東亜戦争”』は、『表現者クライテリオン』に掲載された連載「戦争を知らないオトナたち」をもとに書籍化されたものであり、著者である小幡敏が250冊あまりの戦記を読み解き、「飢餓のニューギニア」「極寒のシベリア抑留」「屈辱の捕虜」など苛烈な戦場を体験した日本人が「戦記」に託した教訓について論じています。
「戦後の沖縄における語り手の『体験』」を記録する『沖縄の生活史』と「極限状態の戦場や収容所での苛烈な『体験』を記録した『戦記』」について論ずる『忘れられた戦争の記憶』は、―(米軍統治下という特殊な状況を含むとはいえ)ウチナーンチュの「日常」を対象とする前者と戦場や収容所という日本人が置かれた「極限状態」を対象とする後者とは―ある意味では対極に位置するとも言える書物であり、その読後感は全く異なります。
しかしながら、いずれもが「戦争」によってもたらされた我が国の「歴史」を対象とする書物であり、まずは当事者の「体験」に直に向き合おうとしているところに両者の間の共通点を見出すことができるように思えてなりません。
これまでにも沖縄戦に関するものをはじめとして、「琉球・沖縄」の歴史について、数え切れないほどの言説が語られ、数多くの書物が世に出されてきました。
当然のこととして、その中には歴史的事実に真摯に向き合っている言説が数多く存在しています。しかしその一方で、「已むにやまれずに書かれた」という訳でもなく、歴史的「事実」を「事実」としてそのまま受けとめることも、先人の「体験」に対峙して真摯に向き合おうとすることもせずに、「歴史」を(自由に)解釈し、自らのイデオロギーや主張を補強するために利用しようとする言説や、高みの見物よろしく安全な場から先人を断罪しようとする言説が蔓延ってしまっているということも否定できません。
『沖縄の生活史』の試みにおいても、「語り手」が語った内容の「どの部分を記録として残し、どの部分を削除するのか」という選別の過程で、「聞き手」や編纂者の意図や主張が影響することは避けられません―そのような「意図」や「主張」を完全に排除すること自体がそもそも不可能なことです―が、同書が挑んだ「沖縄の戦後を実際に体験した方々の『語り』を、できるだけ生の形で記録する」という取り組みは、戦後沖縄―特に米軍統治下の沖縄―を生きたウチナーンチュの「体験」の記憶を後世に継承するという点において大きな意義があることだと思われます。
近年、沖縄では―私たちが決して避けることができないことではあるのですが―沖縄戦についての語り部として活動されてきた方々が鬼籍に入られたとのニュースが相次いでおり、沖縄戦を「体験していない世代の人間が如何にして語り継ぐのか」という「記憶」の継承が課題となっています。今回取り上げた『沖縄の生活史』では、戦後の沖縄―米軍統治下の27年間と1972年の本土復帰以降の沖縄―を主たる対象としていますが、本土復帰から50年以上が経過した現在、沖縄戦のみならず、その後に続く米軍統治下の時代の沖縄についても、その「記憶」の継承が課題として浮上してくるのは時間の問題です。
現在、私は非常勤講師として大学で教鞭をとっているということもあり、同世代の友人たちと比べて、若い世代の人達と接する機会が多い方だと思われます。至極当たり前のことなのですが、私の講義を受講している学生たちにとって1972年の本土復帰は自分が生まれる前の遥か遠い昔の出来事であり、私たちにはつい最近のことのようにも思える―現在の米軍普天間飛行場の返還と辺野古新基地建設の問題のきっかけとなった―米兵による少女暴行事件(1995年)と、その翌年の日米間の普天間返還合意(1996年)も彼らが生まれる前のことであり、その後に起こった沖縄国際大学に米軍のヘリコプターが墜落した事件(2004年)でさえも物心がつく以前の出来事なのです。
次世代である彼らにどのような形で歴史の「記憶」を継承するのか。
『沖縄の生活史』は、私たちに「歴史―先人の『体験』―から何を学ぶのか」という問いを投げかけているのと同時に、次の世代に「歴史の『記憶』を如何にして継承するのか」という課題をも突き付けているように思われます。
沖縄で大切にされている年中行事である旧盆(祖先の霊を祭る行事)のタイミングで、『沖縄の生活史』を手に取ることになったのは全くの偶然のことではあるのですが、泉下に瞑する先人達に導かれたからであるような気がしてなりません。
いま一度、私自身が「歴史にどのように対峙すべきか」「『記憶』を継承するために何を為すべきなのか」ということについて、改めて考えてみたいと思います。
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(注1)「沖縄本」「沖縄県産本」という言葉があり、沖縄について書かれた、沖縄をテーマにした本がそう呼ばれます。沖縄本を刊行する出版社は沖縄ばかりではないため、「沖縄県産本」は沖縄本の一部ということになります。
沖縄の出版事情を語るときに「沖縄は読者よりも著者が多い」という言葉があり、少し古いデータになりますが、沖縄県の一人当たりの書籍・雑誌購入額は年間 11,280 円でダントツの全国最下位である(全国平均は 15,179 円、資料:『2011 出版物販売額の実態』)にもかかわらず、出版の盛んな地域であるといわれるのはその出版点数の多さにあります。沖縄関連本の刊行点数は、年間 400 点以上(書店に並ぶ新刊書のほか、非売品の書籍も一部含む)が確認でき、自分史・個人史、市町村史・字誌も数多く生み出され、市販されている書籍でも地方出版に多い分野である文学、歴史はもちろん、芸能、産業、言語など多彩なジャンルが見て取れます(友利仁「沖縄県産本」とは何か – 沖縄出版協会 (okipa.jp))。
(注2)岸政彦「まえがき」『沖縄の生活史』
(注3)戦後を生きる100人の記憶の語り。『沖縄の生活史』を読む(SPUR.JP) - Yahoo!ニュース
(注4)岸政彦「まえがき」『沖縄の生活史』
(注5)小幡敏「序 民族の教科書」『忘れられた戦争の記憶 日本人と“大東亜戦争”』
参考文献
・石原昌家・岸政彦監修、沖縄タイムス社編『沖縄の生活史』みすず書房、2023年
沖縄の生活史 | みすず書房 (msz.co.jp)
・小幡敏『忘れられた戦争の記憶 日本人と“大東亜戦争”』ビジネス社、2023年
忘れられた戦争の記憶|株式会社ビジネス社 (business-sha.co.jp)
(藤原昌樹)
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