日本の消費者物価指数(除く生鮮食品)の前年比は三%程度の上昇となり、日銀の二%の物価安定目標を上回っている。しかし、政府・日銀は、まだ物価目標が安定的・持続的に達成され、デフレ構造不況を脱却したとは判断していない。日本経済にはまだ構造的なデフレ圧力が残っているとみられるからだ。デフレ構造不況の原因は、企業の支出不足による過剰貯蓄にあると考えられる。企業は借入れや株式などで資金を調達して事業を行う主体なので、企業の貯蓄率はマイナスであるべきだ。しかし、日本ではバブル崩壊後、企業が後ろ向きになり、リストラと債務削減を続けた結果、異常なプラスの企業貯蓄率が続いてしまっている。この過剰貯蓄が総需要を破壊する力となり、構造的なデフレ圧力を生んでいる。
二〇二三年一─三月期の企業貯蓄率(GDP%、4QMA)はプラス二・一%と、まだプラスである。二〇二三年中には、企業貯蓄率はまだプラスで、総需要を破壊する力を払拭できず、構造的なデフレ圧力が残り、日銀が金融引き締め方向に歩みを始めることは困難だろう。企業貯蓄率の動きは、消費者物価指数の前年比の動きとかなりの強い相関関係があり、プラスの企業貯蓄率が物価をデフレの方向に引っ張っていることが確認できる。過去にも、原油などの輸入物価の上昇で、消費者物価指数が、企業貯蓄率の示す水準をオーバーシュートして上昇することがあった。しかし、海外要因が安定化した後、消費者物価指数はプラスの企業貯蓄率が示すデフレの状態に戻ってしまった。今回もほとんどが輸入物価の上昇を起因とするものであり、海外景気が減速し、輸入物価の上昇が抑制されれば、日本経済はデフレに逆戻りするリスクをまだ抱えている。企業貯蓄率がプラスの間は、消費者物価指数の上昇率がまた二%を下回り、企業貯蓄率のマイナス化とともに再び二%に向かっていくという日銀のシナリオは現実的である。
二〇二四年度の政府予算編成の骨太の方針では、企業貯蓄率が異常なプラスとなり、企業の支出が不足していることが、経済成長を抑制し、財政赤字の原因にもなっていることが指摘されている。民間投資の呼び水となる政府投資を中心とする積極財政と、日銀の粘り強い金融緩和の継続のポリシーミックスで、「企業の投資超過へのシフトを促し」、「財政赤字が改善していく姿を目指す」。「デフレに後戻りしない」決意を示すことで、企業貯蓄率の正常なマイナス化が、事実上の追加目標になったと判断できる。デフレ期待が経済の隅々まで浸透していた過去の関係では、企業貯蓄率が正常なマイナスに戻っても、物価上昇率は一%程度までしか上がらず、日銀の二%の物価目標の持続的・安定的な達成は困難であることがわかる。政府は、骨太の方針で、「長らく続いたデフレマインドを払拭し、期待成長率を高めることでデフレに後戻りしないとの認識を広く醸成し、デフレ脱却につなげていく」方針を示した。「デフレに後戻りしない」ことを、デフレ脱却の定義としている。
デフレから完全に脱却するためには、日銀が重要視している中長期的な予想物価上昇率や賃金上昇率の高まりにつながる「企業の価格・賃金設定行動などの変化(ノルム)」を、 過保護なまでに育て、十分な変化を起こし、定着させていかなければならない。「長らく続いたデフレマインドを払拭」するノルムの十分な変化と定着には、一年では発育不十分であり、数年の養育期間を必要とするとみられる。ノルムが十分に変化し、デフレマインドが払拭され、インフレ期待が定着すれば、企業貯蓄率と物価上昇率の関係は一%程度シフト・アップし、企業貯蓄率が正常なマイナスに戻ることで、二%の物価目標の持続的・安定的な達成が可能となる。日銀は、デフレ構造不況からの脱却を確かなものとし、内需の強い回復による本格的な賃上げの動きで、物価目標を持続的・安定的に達成するため、グローバルな中央銀行の利上げサイクルから一周遅れることを覚悟する政策ストラテジーを構築しているとみられる。
一─三月期の財政収支(GDP%、4QMA)はマイナス三・五%と、赤字幅は明確な縮小トレンドにある。コロナ対策 の支出が一巡してきていることと税収の増加が上方寄与に、物価高対策などの政府支出の増加が下方寄与となり、 経済正常化により前者の力が上回り始めている。企業の支出力が弱い間は、総需要を支えるため、政府の支出で補わ なければならない。マネーの拡大にも、家計に所得を回すためにも、企業と政府の合わせた支出する力であるネット の資金需要(企業貯蓄率+財政収支)が存在する必要がある。ネットの資金需要がリフレの力(膨らむ力)を表す。緊縮的 な財政スタンスにより、二〇〇〇年代からネットの資金需要が消滅し、日本はデフレ構造不況から脱却できなかっ た。誰かの支出が誰かの所得となるマクロ経済の原則を考えれば、ネットの資金需要が消滅した状態では、家計の所得(賃金)は強く増加できない。
一方、コロナ後の財政拡大で、ネットの資金需要は回復した。このリフレの力が、経済活動とマーケットを下支えしてきた。マネーが拡大し、円安の力にもなった。ネットの資金需要が消滅からマイナス五%までの拡大で、名目G DP成長率のトレンドはこれまでの〇%からプラス三%に上昇する。まずは財政政策の力でもビジネスのパイである 名目GDPを拡大させなければ、収益が見込めない企業は投資を始めないだろう。拙速な金融引き締めによって信用 サイクルを下押ししたり、支出水準をコロナ前の「平時に」戻そうとして拙速な財政再建で総需要を減少させれば、グローバルな景気減速で企業貯蓄率は再上昇し、ネットの資金需要の消滅で日本経済はデフレ構造不況の深みに逆戻りしてしまうだろう。財政収支は、経済正常化を背景とする税収増で、歳出削減がなくても、既に三%以内の赤字という平時に戻りつつある。四─六月期には経済正常化が更に進んでいるため、平時に戻ることはほぼ確実だろう。新型コロナ対応で財政状況が著しく悪化したままだというのは錯覚である。
二〇二四年度の政府予算編成の骨太の方針のマクロ経済 政策運営の基本的考え方では、岸田政権の「新しい資本主 義の定義を明確化した。「新しい資本主義は、社会課題の解決に向けた取組それ自体を成長エンジンに変え」、「成長と分配の好循環を目指すもの」としている。「人への投資、 グリーン、経済安全保障など市場や競争に任せるだけでは過少投資となりやすい分野について、官が的を絞った公的支出を行い、これを呼び水として民間投資を拡大」し、「持続的な成長に結び付け」ていく。「成長と分配の好循環」で、「分厚い中間層を復活させていく」。「新しい資本主義」は、積極財政なしには稼働しないことが改めて明らかとなった。日銀に対して、「賃金の上昇を伴う形で、二%の物価安定の目標を持続的・安定的に実現する」ことを期待している。そして、「大胆な金融政策、機動的な財政政策、民間投資を喚起する成長戦略を一体的に進める」というアベノミクスの経済政策運営の枠組みを継続する。
賃金上昇を強調することで、事実上の名目GDP三%成長目標となったと判断できる。大胆な金融政策を含むアベノミクスの経済政策運営の枠組みが重視され、植田新日銀総裁下でも、前のめりに金融政策を引き締め方向に動かすことは引き続きできない。アベノミクスの堅持は当然のこととして、昨年と違い、政治ではほとんど議論にならなくなっている。政府の成長投資を呼び水として、企業の投資行動を促すことは、企業と政府の合わせた支出する力を強くすることになる。ネットの資金需要(企業貯蓄率+財政収支、GDP比)が、これまでの〇%程度という消滅した水準(名目GDP成長率〇%に相当)から、マイナス五%程度というリフレの力が強くなる水準(名目GDP成長率三%に相当)に拡大することを意味する。いずれ、企業貯蓄率がマイナス五%まで強くなれば、ネットの資金需要をマイナス五%にする財政収支は〇%(均衡)となり、財政再建が成し遂げられるシナリオだと解釈できる。企業投資の呼び水として、財政政策には名目GDPを拡大させておく責務がある。人口減少で名目GDP成長率がマイナスとなってしまったのは日本だけで、人口減少は言い訳にはならない。これまではその責務を果たさず、デフレ構造不況脱却のための負担が日銀に偏っていた。将来的な財政再建のためには、企業の投資が拡大せねばならず、そのためには現在は積極財政が必要な局面にある。最初から財政再建に固執し続ければ、名目GDPは拡大せず、企業の投資は動かず、財政赤字が続く。そして、デフレに後戻りし、債務の負担が増大することで国債が格下げされるという皮肉な結果となるリスクが大きくなる・・・<本誌に続く>
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