ドキュメンタリー映画『ファニーズ』(注1)の山城智二監督がインタビューに答えて「まさに(沖縄は)『お笑いの島』と言っていいと思う」と語っているように、現在、沖縄のお笑い界では、FECオフィス(注2)、オリジン・コーポレーション(注3)、よしもと沖縄という3つのお笑い芸能事務所が割拠し、県内のテレビ局が定期的に大会を開くなど、東京や大阪を除く地方都市としては異例の盛り上がりを見せています。
この記事の読者のほとんどが―ウチナーンチュ(沖縄人)ではないので―ご存じないことだと思いますが、「ファニーズ」とは、かつて1990年代前半に沖縄で絶大な人気を誇った漫才コンビのことです。先般、「沖縄の漫才をつくった男」であり、「沖縄で初めてお笑い芸能事務所をつくった男」でもある山城達樹の軌跡(注4)を辿るドキュメンタリー映画『ファニーズ』(監督は弟の山城智二)が沖縄県内で劇場公開されました。
多くのウチナーンチュが当時のことを懐かしく思い出したに違いありません。
幼馴染であった山城達樹と渡久地政作は沖縄大学に在学している時にファニーズを結成し、沖縄県主催の「パフォーマンス大賞」というイベントで優勝、自ら立ち上げたサークルをベースに活動の場を拡げていきます。彼らはコンビでの活動にとどまらず、沖縄に「お笑い」というジャンルを根づかせることを目指して大学卒業を機に沖縄初の芸能事務所FECオフィスを設立、芸人が所属する団体「演芸集団フリーエンジョイカンパニー」を旗揚げしました。ファニーズは、地元沖縄のテレビやラジオ、舞台などで活躍し、1990年代の沖縄の芸能の世界で一躍時代の寵児となりましたが、人気絶頂の最中、FECの設立からわずか3年後の1996年8月に山城達樹が過労のために26歳の若さで急逝してしまいます。
山城達樹の死後、彼の実弟であり、かつFEC所属の芸人でもある山城智二が代表の座を引き継ぐことになりました。現在、沖縄ではFECに所属する芸人やタレントがテレビやラジオに登場しない日はないと言っても過言ではなく、FECは沖縄の芸能界で確固たる地位を築くに至っています。
映画『ファニーズ』では、山城達樹の軌跡を辿ることに加えて、彼の忘れ形見である山城皆人が、沖縄のお笑いを担うことが期待される芸人の1人として活動する様子も追いかけており、沖縄のお笑い界の過去・現在・未来を繋ぐ物語として描き出そうとしています。
極めて個人的な話になってしまいますが、私は彼らと同じ公立の中学校と高校を卒業した同窓生であり(ファニーズの2人が私の一学年先輩であり、山城智二が一つ年下の後輩になります)、当時、学園祭などのイベントの舞台で彼らが披露するプロ顔負けの漫才を楽しませてもらいました。ファニーズが沖縄のテレビやラジオの番組に出演し始めたのは、私が大学進学のために上京した後のことであり、彼らが活躍する姿を観る機会は余り無かったのですが、(1992年の本土復帰20周年に関連するイベントの一環であったと記憶していますが)原宿のライブハウスで大きなスクリーンに映し出されたファニーズの漫才の映像を観たことがありました。同じ学校で時間を共有した旧い友人たちの活躍が自分のことであるかのように誇らしく思えて、自分がファニーズと知り合いであることを一緒にイベントに参加した友人に自慢したことを懐かしく思い出します。
実はFECの草創期の中心的スタッフの1人が私の幼馴染で、彼女から監督の山城智二が、映画『ファニーズ』制作の過程で「亡くなった兄の生涯を辿ることの意義」について思い悩んでいた時期があったという話を聞きました。
あくまでも私の個人的な見解ではあるのですが、仮に『ファニーズ』が―監督の山城智二が懸念していたように―「芸人・山城達樹の個人史」や「山城家のファミリーヒストリー」の記録にとどまっていたとしても、以前の拙稿(注5)で取り上げた『沖縄の生活史』に記された100人のウチナーンチュが語るライフヒストリーと同様に、戦後沖縄の歴史における物語を記録した貴重な史料の1つとなったに違いありません。
しかしながら山城智二監督は、「亡くなった兄の生涯を弟が描く物語」というドラマを主軸にしつつも、そこにとどまることはありませんでした。
FECのみならず、オリジン・コーポレーションなど他の事務所に所属する芸人やタレント、テレビ局やラジオ局のスタッフなどをも含む多くの関係者へのインタビューを通して、「沖縄のチャップリン」と呼ばれた小那覇舞天(ブーテン)(注6)や「ワタブーショー」で知られる沖縄最大のエンターテイナー「てるりん」こと照屋林助(注7)、「お笑いポーポー」で一大ブームを巻き起こした劇団「笑築過激団」(注8)など、沖縄の「お笑い」の世界における先人達の業績にも言及することで、戦後沖縄の芸能史の系譜にファニーズとFECを位置づけることを試みています。
少なくとも、戦後の沖縄社会を俯瞰的に眺めるだけでは決して捉えることができない「戦後沖縄の実像」を知るための素材を提供することには成功しているように思えます。
映画『ファニーズ』の中で「沖縄の笑いとは何ですか」との問いに対して、芸人たちが「日常の出来事の中に笑いのネタはある」「笑わせるのではなくて一緒に楽しむ」といった主旨のことを答えています。エンターテイメントや「お笑い」の本質について論ずることは、私にとって能力をはるかに超えた荷が重い話でしかないのですが、『ファニーズ』に登場する芸人たちが語ってくれているように「沖縄の『お笑い』の本質が『対象を笑ったり、笑わせたりするのではなく、共に楽しむ(共感する)』ことであり、『日常の中に笑いを見出す』ところにある」ということについては大いに首肯できるところです。
映画でも取り上げられていたファニーズの「タクシー運転手とお客さん」のネタは、「こんな運転手さんやお客さんのような人は(自分の身近にも)居るよね」と思わせることで「笑い」を生み出しており、私たちの身近な日常の中から見出されたものだと思います。また、かつては笑築過激団のメンバーとして活動し、現在も沖縄のお笑い界の第一線で活躍しているコンビ「ゆうりきや~」(城間祐司・山田力也)(注9)の2人が演ずる沖縄の「オジィとオバァ」は、私たちウチナーンチュにとって「自分のオジィとオバァに似ている」「こんなオジィとオバァが近所にいるよなぁ」と思わせるキャラクターであり、そこで私たちの中に生まれる共感が「笑い」の源泉となっているように思えます。
「お笑い」のジャンルからは少し外れてしまいますが、かつて映画『ナビィの恋』(注10)(1999年)で平良とみ(注11)が演じた主人公の「ナビィ」や「沖縄のジミヘン」の異名を持つ沖縄民謡界の重鎮・登川誠仁(注12)が演じた「恵達オジィ」、NHKの連続テレビ小説『ちゅらさん』(注13)(2001年4月~9月)で同じく平良とみが演じたオバァのキャラクターと、「ゆうりきや~」が演ずる「オジィとオバァ」との間には相通ずるものがあり、その相通ずるものとは、ウチナーンチュの「日常」と「共感」から生み出される「笑い」であるように思えてなりません。
東京の大手芸能事務所に所属した経験もあるFECのタレントマネージャー(2020年当時)がインタビューに答えて「沖縄は全国で唯一、吉本にのみ込まれていない土地と言っていい」「沖縄には沖縄にしかない笑いがある」「沖縄のお笑いは(東京と大阪に)カウンターを放てるぐらいのポテンシャルはある」「大阪や東京は笑わせるための笑い。それに対し、沖縄は人を喜ばせるための笑いのような気がする」と語っています(注14)。
沖縄の「笑い」の本質は、ウチナーンチュの「日常」と「共感」であり、そこに沖縄の「笑い」の独自性とポテンシャルがあると言えるのではないでしょうか。
1980年代以降、日本全国で地域社会の大きな変動が起こります。それを一言で言えば、地方の都市化であり、郊外化です。国土の均衡ある発展、大都市の過密の解消、リゾート開発など、そのときどきの名目で行われ続けたさまざまな開発…これらの一連の開発によって、1970年代までは比較的限定されていた都市化あるいは郊外化の波が一気に日本中の地方に波及し、地域社会を根こそぎにするような構造的な変動が起こりました(注15)。
本来、日本の地方には、城下町など固有の歴史を持った美しい都市が多数存在していた。都市の周辺には農村が広がり、やはりその地域の固有の自然と歴史のなかで暮らしていた。しかし、過去20年間に起きた交通網の整備と総郊外化の波は、そうした地域固有の歴史的風土を徹底的に崩壊させた。歴史的な街並みを持つ地方の都市中心部はモータリゼーションに対応できず衰退し、田園地帯にショッピングセンターができた農村部もまた、それまであった生活を激変させ、コミュニティを衰退させた。日本中の地方が二重の意味で衰退し、画一化し、均質化し、「マクドナルド化」し、固有の地域性とは無縁の、全国一律の『ファスト風土』が生まれたのだ!(三浦展,2004)(注16)
日本全国の至る所で、地方における固有の地域性が消滅し、大型ショッピングセンター、コンビニ、ファミレス、カラオケボックス、パチンコ店などが立ち並ぶ、全国一律の「ファスト風土」的大衆消費社会と化してしまっています。
沖縄もその例外たり得ず、1972年まで日本本土から切り離されて米軍統治下に置かれていたという他の地域にはない特殊な事情がありますが、本土復帰以降は全国的な国土開発の枠組みに組み込まれることになったのであり、ファスト風土化が進んでいます。
本土復帰当時の沖縄において、県民は「沖縄は経済的にも文化的にも(他の都道府県と比べて)遅れている」「ウチナーグチをはじめとする自分たちの沖縄文化は恥ずかしいものだ」と刷り込まれており、決して少なくない数のウチナーンチュが、沖縄の文化や独自性を否定的に捉えて、日本本土に同化することが望ましいと考えていました。実際、本土復帰の際に制定された沖縄振興開発特別措置法に基づく「沖縄振興開発計画」では「本土との格差是正」を目標として掲げており、「(日本本土に)追いつき追い越せ」というキャッチアップ型の経済振興を進めてきました。沖縄は本土復帰を契機として、積極的に「ファスト風土化」を進めようとしていたと言うことができるのかもしれません。
「ファスト風土化」という概念を導入した三浦展は、ファスト風土化によってもたらされる問題点を整理し、その問題点の1つとして「世界の均質化による地域固有の文化の喪失」を提示しています(注17)。
「世界の均質化による地域固有の文化の喪失」
本来風土というものは、その土地土地の自然に制約されている。自然が農林漁業のあり方を規定し、それがその土地で生産される手工業製品を規定する。したがって、それはその土地の産業、職業を規定し、そこからさらに生活や文化を規定する。こうしてできた生活や文化は、それ自体が文化風土・精神風土を形成し、その土地に生まれた人間を、他の土地に生まれ育った人間とは異なる人間として育てていく。だからこそ、その土地土地で異なる多様な風土を持った日本には、異なる地域文化があり、多様な人間性を生み出してきたといえるであろう。ところが、その風土がファスト風土化するということは、日本の中の、もちろん世界の中の無数の地域の個性が失われ、文化が消滅するということである。(三浦展,2023)
こうして沖縄の風土から独自性が消失していく一方で、1990年代に入る頃からBEGIN、Coccoなど沖縄のミュージシャンが注目を浴び、THE BOOMの「島唄」が大ヒットを記録するなど全国的に沖縄ブームが巻き起こりました。さらには安室奈美恵やMAX、SPEED、DA PUMPなど沖縄アクターズスクールの出身者が大活躍し、お笑いの世界においては、沖縄出身の漫才コンビ「ガレッジセール」が大ブレーク、映画やドラマの世界では仲間由紀恵をはじめとする大勢の女優たちが活躍し、映画『ナビィの恋』(1999年)やNHK朝の連続テレビ小説『ちゅらさん』の放送(2001年4月~9月)など沖縄を舞台とした作品がヒットしています。
その一方、沖縄県内では、1991年に玉城満が率いる劇団「笑築過激団」が出演する伝説のお笑い番組と言われる『お笑いポーポー』(RBC琉球放送)がスタートし、空前の「お笑いブーム」が起こります。ファニーズが沖縄のお笑い界で一世を風靡したのは、この「お笑いブーム」の頃のことです。
笑築過激団の『お笑いポーポー』では、ウチナーグチ(沖縄の方言)やウチナーヤマトグチ(沖縄の方言と標準語がチャンプルー(ごちゃ混ぜ)になった言葉)丸出しで、沖縄県民の習性や癖を面白可笑しく皮肉ったネタをメインにしており、沖縄の若者から年配者、酔っ払いなど日常で見られるキャラクターを盛り込み、風刺を織り交ぜた笑いが視聴者の共感を呼び、とりわけ若者から絶大な支持を得ることになります。
映画『ファニーズ』で、監督の山城智二が「ガレッジセール」の2人にインタビューしていますが、彼らが「沖縄で活動を始めるのではなく、日本全国で通用する芸人になることを目指して最初から東京を主戦場に選び、ウチナーグチを封印したけれども、求められるのは自分たちの中にある『沖縄』であり、結局、ウチナーンチュであることが『お笑いの世界』で戦うための武器になった」という主旨のことを語っているのが印象に残っています。
かつてNHKが制作した『笑う沖縄 百年の物語』(2011年)(注18)で、笑築過激団の座長である玉城満が「沖縄は遅れている」「ウチナーグチなど沖縄の文化を恥ずかしいものだ」と感じてしまう「沖縄コンプレックス」について語っていましたが、『ファニーズ』でインタビューをする山城智二もインタビューを受けているガレッジセールの2人のいずれもが、自らの中にある「沖縄」にコンプレックスを持つのではなく、「ウチナーンチュであること」に自信と誇りを持っているように感じられました。
きちんとした調査や分析を踏まえている訳ではないのですが、1990年代の沖縄ブームの頃を境に、ウチナーンチュの間で「沖縄は経済的にも文化的にも(他の都道府県と比べて)遅れている」「ウチナーグチをはじめとする自分たちの沖縄文化は恥ずかしいものだ」という自らを卑下する劣等感やコンプレックスを持つのではなく、「沖縄は他の地域にはない独自の素晴らしい文化を有している」というように「自らの故郷である沖縄」や「ウチナーンチュであること」について誇りに思うようになるという自己認識の大転換が起こったと言うことができるように思えます。
現在、ファスト風土化を所与の前提として、原風景として育ち、ファスト風土に対して強い違和感を持たない人が大多数を占める世代が増えており(注19)、これからファスト風土化に抗することが益々難しくなっていくに違いありません。
前述したように、沖縄においても、本土復帰以降の開発によって風景や空間利用という側面でファスト風土化が進行していると看做さざるを得ない状況にあります。しかしその一方で、1990年代の沖縄ブーム以降に「お笑い」や音楽をはじめとする芸能の世界やスポーツその他の世界で沖縄出身のウチナーンチュたちが活躍し、沖縄の若い世代の多くが、沖縄独自の文化―沖縄の民謡や琉球舞踊、組踊等の伝統芸能、沖縄の伝統的な空手、沖縄の焼き物(ヤチムン)、紅型や織物、琉球ガラス等の物産、泡盛や沖縄料理等の食文化など―に誇りを持つようになったことで、ファスト風土化によってもたらされる「世界の均質化による地域固有の文化の喪失」に抗うことに―「完全に」とは言えないまでも―ある程度は成功しているように思えます。
山城達樹が彼の命を燃やして点けた灯火は後続に引き継がれ、いまや沖縄の若者の誇りと希望の炎となっています。映画『ファニーズ』で描かれているのは、そんな沖縄戦後精神史における大転換のドキュメンタリーであると言っては大袈裟でしょうか。
ファスト風土化に抗し続けることは、決して容易な途ではありません。沖縄の歴史と伝統に育まれた「地域固有の文化」を守るために、ウチナーンチュの1人として何を為すべきなのかについて、沖縄の「お笑い」を楽しみながら考え続けていきたいと思います。
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(注1)映画 ファニーズ – 笑い継ぐ沖縄コメディアン – (funnys-movie.info)
(注2)有限会社FECオフィス|沖縄のお笑い団体『演芸集団FEC』公式サイト
(注3)オリジン・コーポレーション | 沖縄県那覇市に拠点を置く芸能プロダクション (origin-oze.com)
(注4)そのとき妻のお腹には子どもが…絶頂期に26歳で過労死した沖縄の伝説的な芸人 弟が思い返す亡き兄の「軌跡」(中村 計) | 現代ビジネス | 講談社(1/3) (gendai.media)
(注5)【藤原昌樹】如何にして「記憶」を継承するのか―『沖縄の生活史』を読む | 表現者クライテリオン (the-criterion.jp)
(注6)小那覇舞天 – Wikipedia
小那覇舞天(1897年~1969年)。沖縄のチャップリンと呼ばれた戦後沖縄お笑いの偉人。もともとは歯科医師であったが戦後復興時、落ち込んだウチナンチュ(沖縄人)を励まそうと各家々をまわって歌と踊りを披露したのは有名な話。風刺の効いた歌詞での音楽漫談も芸の特徴でその芸風は弟子の照屋林助にも受け継がれていく。収容所時代に演芸大会を開催したり女性民謡ユニットを企画したりとプロデューサーとしての手腕も発揮して戦争で途絶えた沖縄芸能の立て直しに大きく貢献した。(映画『ファニーズ』パンフレットより)
(注7)照屋林助 – Wikipedia
照屋林助(1929年~2005年)。「てるりん」の愛称で親しまれた音楽漫談家。小那覇舞天とは師匠と弟子の間柄でその芸に強い影響を受ける。のちに前川守康とのユニット「ワタブーショー」を結成しその存在感とともに人気を博す。彼の提唱するまぜこぜ精神「チャンプラリズム」も広く伝わり浸透した。その芸風は沖縄芸能に多大な影響を与え、いまの沖縄芸能の独自性にも繋がっている。息子にりんけんバンドの照屋林賢がいる。(映画『ファニーズ』パンフレットより)
(注8)笑築過激団
1983年に玉城満を座長として結成された喜劇・コントを主とした劇団。沖縄コンプレックスを笑い飛ばしたその表現は1990年代に一世を風靡し、メンバーが出演するテレビ番組「お笑いポーポー」は一大ブームを巻き起こし伝説のお笑い番組として語り継がれている。メンバーの藤木勇人、新垣正弘、普久原明、川満聡、津波信一、ゆうりきやー、泉&やよいの面々は現在も活躍しており、年代的には中堅に位置していて沖縄芸能において欠かせない存在となっている(現在はみなさんフリーとして活動)。主宰の玉城満さんは、現在は国立劇場おきなわの理事に就任しており沖縄芸能の発展に努めている。(映画『ファニーズ』パンフレットより)
(注9)ゆうりきや~プロフィール – エンターサポート (yurikiya.com)
「ゆうりきや~」の城間祐司と山田力也の2人は「ファニーズ」の幼馴染で同級生でもあり、映画『ファニーズ』では幼馴染かつ同じ時期に沖縄のお笑い界で活躍した同志としてインタビューに答えて山城達樹との小学生の頃の思い出などを語っています。
(注10)ナビィの恋 – Wikipedia
Wayback Machine (archive.org)
(注11)ちゅらさん – Wikipedia
(注12)平良とみ – Wikipedia
(注13)登川誠仁 – Wikipedia
(注14)本質は「人を喜ばせるための笑い」――知られざるお笑い激戦地、沖縄芸人地帯を行く – Yahoo!ニュース
(注15)及び(注16)ファスト風土化する日本―郊外化とその病理 (新書y) | 三浦 展 |本 | 通販 | Amazon
(注17)ロードサイドは”地元”になった――「ファスト風土」を改めて考える|三浦展|光文社新書 (kobunsha.com)
(注18)NHK制作『笑う沖縄 百年の物語』(2011年)
笑う沖縄 百年の物語 | NHKティーチャーズ・ライブラリー
笑う沖縄 100年の物語 お笑い米軍基地 – 動画 Dailymotion
(注19)ロードサイドは”地元”になった――「ファスト風土」を改めて考える|三浦展|光文社新書 (kobunsha.com)
(藤原昌樹)
《編集部より》
「お笑いの島」沖縄について考える(2) は10月27日配信予定です。
(2)では「お笑い米軍基地」が表現する「悲しみ」と「笑い」の沖縄文化についてのご論考になります。
乞うご期待!
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10月16日発売!最新号『表現者クライテリオン2023年11月号』の特集タイトルは、
本誌編集長の藤井聡先生による「巻頭言」と目次を公開しています。
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