この度の悲しい事故は、たとえ事故を起こしたダンプカーの運転手や誘導していた警備員に多少なりとも何らかの過失があったとしても、「牛歩」戦術という無謀で危険な抗議活動が行われていることによって引き起こされた事故であることは明らかです。
しかしながら、抗議活動をする市民団体やその周辺からは「警備員による無理な誘導」や「反対する声や抗議があるにもかかわらず、強硬に工事が推し進められていること」に事故原因を求めて政府の責任を追及する声は上がるものの、危険なやり方で抗議活動をしてきたことによって人命が失われる事態を招いたことを悔いたり、自らを省みたりする様子は見られず、自己弁護に終始しているように見受けられます(注7)。
抗議活動をしている市民有志らは、事故発生の翌日29日に追悼式を開き、「絶対に起こしてはいけない事故だった。亡くなった男性やご家族、ダンプカーの運転手のことを思うと本当につらい。工事をストップすれば、私たちが抗議をする必要もなくなるのに」「当たり前だが、安全に気を付けて抗議してきた。本当に残念だ」と語っています。
「牛歩」戦術による抗議活動をしている市民団体のメンバーは、産経新聞の取材に応じて「(牛歩による抗議活動は)危険な行為ではないという認識だ」「現場では、牛歩で抗議者が道路を横断し終わると、警備員がダンプカーに合図を送り、1台だけ出すという『暗黙のルール』があった」「その『暗黙のルール』に従わず、安全確認もされないうちに2台続けてダンプカーが発進することもあった」と語り、「警備員の合図に問題があったのは明らかだ」との認識を示して「(抗議活動をしている)これまで6年間、事故はなかった」と強調し、「十分な安全確認をせずに(警備員が)合図を出し、それに従って(運転手が)発進した」として、ダンプカーの運転手や警備員に非難の矛先を向けて責任を押し付けています。
この度の事故と県内で相次ぐ米兵による性的暴行事件を受けて、7月4日には「沖縄を再び戦場にさせない県民の会」が那覇市の県庁前で緊急抗議集会を開催しましたが、その会場では「許せない!」「新基地建設を急ぐ防衛省の責任だ」などと書かれたプラカードを掲げる人の姿も見受けられました。
集会では今回の事故で重傷を負った女性が所属する市民団体のメンバーが登壇し、「私たちは小学生のように手を挙げ、(ダンプ)トラックの運転手と目を合わせながら確認して毎回(道路を)渡っている。だから事故は起こりようがない」と強調し、「ちゃんと安全確認しない限りは絶対に(ダンプカーを)出しちゃいけない」「(『暗黙のルール』に反して)安全が確認されないうちにダンプカーが発進したことが原因で事故が起こった」との見解を示して、危険なやり方で抗議活動をする自分たちの非や責任を認めて反省することはなく、あくまでも事故原因は安全確認を怠った警備員とダンプカーの運転手にあるとして、強引に工事を推し進める政府の責任を訴えていました。
『沖縄タイムス』は7月3日付の社説で、今回の事故について「尊い命を奪う重大な事故だ。あってはならないことであり、このまま危険な状態を放置することは許されない」と論じています(注8)。
「牛歩」戦術による抗議行動については「現場では、抗議する市民が毎日のように港の出入り口をゆっくり歩き、ダンプの行く手を一時的に妨げてきた」「作業を少しずつ遅らせ、工事全体を長引かせるためだ。その間に政治や国際情勢が変化すれば、政府は新基地建設を断念するのではないかと期待した行動である」「(選挙や県民投票で)新基地建設反対の民意が示されてきた。それでも政府は工事を止めない」「市民は直接行動するしかないのだ」として、危険な抗議活動を諫めるのではなく、それどころか肯定する主張を展開しています。
そして、「抗議が長期にわたるのは、県民の理解や納得を得ずに工事を強行してきた政府に責任がある」「この2ヵ所(現在作業を中断している安和桟橋と本部港塩川地区)に限らず、辺野古のキャンプ・シュワブゲート前でも抗議する市民と警備員の衝突は続いている。事故は再び起きる恐れがある」として政府の責任を追及し、全ての作業を中断して工事の在り方そのものを見直すことを求めています。
これまでにも何度か論じてきましたが、私自身は「普天間飛行場の名護市辺野古への移設」について反対しています。その理由は、いわゆる平和主義者たちが唱える「全ての軍事基地がなくなりさえすれば、平和が実現する」といった「夢物語」に基づいてのことではありません。現在政府が推し進めようとしている「辺野古移設の計画」が、「我が国が独立国に相応しい防衛・安全保障体制を確立すること」に寄与するものではなく、防衛・安全保障の面でアメリカに依存している現在の「半独立」の状態を永続化することに繋がってしまうと考えているからであり、「我が国の自衛隊を中心とする防衛・安全保障体制の確立を目指すべきである」と考えてのことです。
私自身は、決して「平和主義」に基づく「夢物語」に与することはできませんが、「普天間飛行場の名護市辺野古への移設」に反対するという一点においてのみ、「平和主義者たちと共同戦線を張ることができるのではないか」と妄想したり、淡い期待を抱いたりしたことが、これまで全くなかったと言えば嘘になってしまいます。
しかしながら、現在、「平和主義」の名の下に沖縄で行われている抗議活動において、たとえ現行の法律に抵触しておらず、罪に問われることがないのだとしても、「牛歩」戦術といった非常識で危険な方法を採用し、(抗議活動の参加者ではない)警備員を巻き込んで死に至らしめてしまったにもかかわらず、自らの非と責任を何ら認めることなく自己保身に奔走し、恬として恥じることがない彼らの姿勢には共感することも賛同することもできるはずがありません。彼らと共闘することなど、とても無理な話です。
現時点では事故に関する検証が終わっておらず、事故を起こしてしまったダンプカーの運転手と誘導していた警備員、そして「牛歩」を止めようとして亡くなられてしまった警備員に何らかの過失があったかどうかについて予断や軽率な発言は差し控えなければなりませんが、今後、(過失・無過失をも含めて)何らかの形で彼らに対して法的な責任が問われることになる可能性を否定することはできません。
また、たとえ法的な責任がないと認定されて罪に問われることがなかったとしても、業務上の出来事であるとはいえ、亡くなられた警備員の死の場面に直接関わってしまったことについて、運転手と誘導した警備員が少なからず罪責感を抱いてしまうかもしれないということは想像に難くありません。
亡くなられた警備員の方が、今回の事故の被害者であることは論を俟ちませんが、事故を起こしてしまったダンプカーの運転手と誘導していた警備員も、無謀な抗議活動によって引き起こされた悲劇の被害者の一人であると言えるのではないでしょうか。
「牛歩」戦術といった無謀な方法で抗議活動を行ってきた人たちが自らの非と責任を認めることなく、あくまでも事故原因は安全確認を怠った警備員とダンプカーの運転手にある―亡くなられた警備員にも何らかの過失があったということを暗に含んでいる―と主張し続けることは、不幸にして事故の当事者となってしまった運転手と警備員の苦悩に追い打ちをかけ、被害者である亡くなられた警備員、そして大切な家族を失い、深い悲しみに苛まれているご遺族の方々をさらに鞭打つかのような極めて酷薄な行為であるように思えます。
事故が起こってしまった後に、抗議活動を行っている市民団体や組織によって行なわれた追悼の集いや緊急抗議集会などでは、亡くなられた警備員の方の冥福を祈る言葉が語られ、黙祷が捧げられていましたが、自らの非と責任から目を背けて自己保身に奔走する輩によって捧げられる祈りの言葉は空疎に響くばかりです。
「普天間飛行場の名護市辺野古への移設」に反対して抗議活動をしている人々が事故後に語っている言葉に耳を傾けていると、彼らは今回の事故の原因が無謀な抗議活動のやり方にあることを否定して「政府が強硬に工事を推し進めようとしていること」に事故原因を求めて、不幸にして起こってしまった今回の事故そのものを「政府の責任を追及すること」や「辺野古移設に反対する運動」「平和主義に基づく非現実的な理想を追い求める運動」に利用しようとしているかのように思えてなりません。
残念ながら、今回の事故では警備員の方が亡くなられてしまいましたが、警備員の男性ではなく抗議活動をする女性が亡くなられていた、もしくは2人とも亡くなられていたとしても何ら不思議ではない状況にあったのであり、女性が(足を骨折してしまったものの)命に別状なく助かったというのは、まさに「不幸中の幸いであった」と思います。
もし抗議活動をしていた女性が亡くなってしまっていたとしたら、裁判でも敗訴が続いて低迷し始めている「辺野古移設に反対する運動」の殉教者の如くに祀り上げられてシンボルとなり、「沖縄における基地反対運動」を再び盛り上がることに寄与することになっていたに違いありません。今回の事故を巡って、沖縄で基地に対する抗議活動を展開している活動家たちが発する酷い言葉を聞いていると、あくまでも私の想像でしかないのですが、彼らの中には「亡くなられたのが警備員の男性であり、抗議運動をする女性ではなかった」ことを残念に思っている輩が少なからず存在しているのではないかと思えてなりません。
私たちが「法を犯し、罪に問われることを厭わずに行動しなければならない場面」や「自らの生命を賭して行動しなければならない場面」―例えば、愛する家族や友人を守るために犯罪者に立ち向かう、自分の祖国や故郷を守るために侵略者に立ち向かうなどといった「危急存亡の場面」に遭遇してしまう可能性は決して高くはないのかもしれませんが、完全に否定してしまうことができるものではありません。
しかしながら、現在の沖縄は、基地問題を巡って誰かが生命を賭して行動しなければならない情況にあるという訳ではなく、ましてや「自らの生命ではなく他者の生命を犠牲に供する」などといったことは決して許されるものではないことは明らかであるように思えます。
「命どぅ宝(ぬちどぅたから)=命こそ宝」という言葉を信条に掲げる沖縄の「平和主義者」たちが、その信条に従うのであれば、自分たちの無謀な抗議活動が一人の人間の生命を奪ってしまったという事実に真摯に向き合わなければならないはずなのですが、事故後の彼らの言動からは、彼らが必死にその事実から目を背けようとしているとしか受けとめることができません。
自らの非と責任を省みることなく、自己弁護に努めて奔走し、さらにはこの度の悲劇を自らの政治的主張を訴えるための道具として利用しようとする彼らの姿は醜悪そのものであり、その醜悪さに嫌悪感を抱くなということが、どだい無理な話です。
彼らの無責任で醜悪な振る舞いに強い憤りを覚えずにはいられません。
沖縄を舞台に活動する「平和主義者」たちが、自らの醜悪な振る舞いに無自覚のままで居続けるのであれば、たとえ彼らが美辞麗句を並べ立てて高邁な「平和主義」の理想を語ったところで、その言葉は誰にも届かないのではないでしょうか。
この度の事故でお亡くなりになられた男性のご冥福と怪我をされた女性の一日でも早い回復を祈りつつ、筆を置きたいと思います。
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(注7) 「絶対に起こしてはいけない事故だった」 警備員の男性を追悼 辺野古新基地建設ダンプ死傷事故受け 名護市安和 – 琉球新報デジタル (ryukyushimpo.jp)
・牛歩の市民団体「警備員の合図に問題」「飛び出したわけではない」 辺野古ダンプ事故 – 産経ニュース (sankei.com)
・辺野古ダンプカー事故抗議集会 手を挙げて横断「事故起こりようがない」「防衛省の責任」 – 産経ニュース (sankei.com)
・過熱する沖縄の抗議活動…危険な牛歩、首相に「死ね」も許されるのか 那覇支局長・大竹直樹 沖縄考(46) – 産経ニュース (sankei.com)
(注8)[社説]辺野古土砂搬出で事故 全工事中断し見直しを | 社説 | 沖縄タイムス+プラス (okinawatimes.co.jp)
(藤原昌樹)
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