日本が外国人労働者という事実上の移民を受け入れるようになって随分長い時間が経ちました。技能実習生がどうだの特定技能が何だのと色々と理由を並べ立てていますが、やってくる外国人労働者は基本、介護・清掃・建設・飲食・農業・漁業といった肉体労働に従事する者が多い。
経済学の理論で言えば、需要が供給を大幅に上回る場合には、不足する財やサービスの価格は高騰する筈ですが、実際には彼等の提供する財やサービスは低い金額で買いたたかれてしまっています。
当然、同じ業務に従事している日本人労働者も、運命を共にしている。
私自身も肉体労働に従事する身ですが、どうやら世の人々は肉体労働というものは、その気になれば誰にでもできる簡単な仕事だと思っているらしく、仕事中にそれをひしひしと感じる事がある。福沢諭吉が学問のススメで「力役はやすし」などと言った所為だろうか、それとももっと以前からの偏見があるのだろうか、肉体労働者たちの現場をちっと真剣に考えてくれない人が多すぎる。
壊れた機材の買い替えや設備の更新をはじめ、職務の遂行に不可欠な出費を上司や顧客に訴えても「金は出せないが何とかしろ」と駄々をこねられ、このままでは事故が起きると忠告し、資料付きで訴えても無視される。数か月から1~2年経った頃にそれが実際に大事故につながれば「どうして何の対策もしなかったのか?」と、まるで此方に非があるかのような態度を取られる……なんてのはザラです。そして前述資料付きの訴えを証拠として残しておかなければ、事の責任は現場に擦り付けられる。
世の人々の目につく所で言えば、最近クルド人の解体業者の杜撰な工事がニュースで取り上げられ問題視されていましたが、そもそも日本の業者にまともな報酬を支払い、事業の継続が可能な状況を保っていれば「誰にでもできる簡単な仕事」で大問題が発生するという様な訳の分からない事態は起こらなかったでしょう。
実際にはこれらの肉体労働は誰にでもできる事ではなく、幾らか質が落ちる外国人労働者のそれでさえ、今の日本人には遂行出来ない。「遂行できない」が言い過ぎだとしても、少なくとも需要を満たすだけのサービスの供給は出来ないでしょう。
肉体労働の現場で働いていた日本人達は、こうした結末を予見しえなかったでしょうか。
私は肉体労働者として「当然予見していただろう。」と断言します。予見できない筈が無い。
しかし、彼らはその解り切った未来をどうにも出来なかった。訴えは聞き入れられる事無く、静かに消えていった。己の職務の価値を上手に説得できなかったのか、或いは買い手側の偏見がそれを一切受け入れる気が無かったのか。恐らく、その両方が正解でしょう。
何にせよ、肉体労働者は現実の働きに対してあまりに低く見られ、その働きが顧みられる事は稀です。どうも現代社会には「兎も角良い学校を出て豊富な知識と高い知性を証明した者達こそがエライのであり、豊かな生活にありつく権利がある。」といった謎の思い込みがあるようです。
実際、私などは一応建築設備関係の技術作業員として働いていますが、前職はほぼ経理事務員であり、単に設備管理員として幾らか高度な資格試験に合格していた以上の評価点は無いにも関わらず、それだけを根拠に、熟練工ではあるが無資格の同僚より幾らか良い待遇で採用されています。
専門業者の採用担当ですらこんな調子ですから、一般の人々の価値判断基準などあてになりません。そして前述の熟練工は、同世代の平均年収をやや下回っている私より更に悪い待遇にもかかわらず、前職よりは高い給料で採用されているそうです。
広く教育が行き届いた筈の現代社会で、何故こんなにも理不尽・非効率な状況がまかり通っているのか。
それは「現代人は何故、義務教育を受けなければならないのか」という点が理解されていないからではないでしょうか。
我々がその利益を享受している文明社会は、雨水の如く自然に天から降り注いできたものではなく、先人の凄まじいまでの努力の結晶としてそこにあります。それ故、単に科学文明の利益についてだけでも、その先人の知恵を引き継ぐ努力をしなければ維持する事が出来ません。また、我が国は民主主義国家ですから、一般の民衆が政治に関与します。政治に関わる人間が無知のままで良い筈が無く、その社会生活に関わる最低限の知識と計算・識字能力くらいは無ければお話にならない。
要するに天下国家の現状を台無しにしない為の知識を得る事、そしてそれをより良い形に発展させる事が教育……というか学問の本懐であり、特定個人が私欲を満たす為ではありません。
当然、人々が学習の過程で得た知識はそのままでは意味が無く、天下国家の役に立って初めて評価に値するわけですが、逆に言えば学問の道を歩まずとも、何かしらの手段で天下国家に貢献し、その活動の過程で世の中の道理を理解しているのなら、学校での教育に固執する理由はないでしょう。重要なのは「何の為に」「何を成し遂げるか」です。
この点について無自覚なまま、何となく豊かさや単なる興味本意で学問に励んだ挙句、むやみに精神が開発されてしまった人間は、自分達同様の努力をせずに素直に現実を生きただけの労働者達の価値を認めたがらない。故に自分達の知的な活動による財やサービスが供給過多となり無価値化しても、肉体労働者達と肩を並べてはくれない。
そうして我が国をはじめとした幾らかの先進国では高学歴ニートのような奇妙な存在が量産され、屡々人生を台無しにする一方、人員不足の肉体労働は外国人頼りという馬鹿馬鹿しい状況が生まれている。
まず、私たちが当たり前の様に享受している政治的社会的環境を作り出した人々、それを維持している人々に素直な感謝を。そして我々自身がそれを引き継ぐ意思を持つべきでしょう。私的な欲望はそれを果たした後です。
これを理解しなかった者達こそが、オルテガが言う所の「大衆」であり、表現者の始祖たる西部先生が再三とりあげた、現代社会のあらゆる問題の根底にあるものでしょう。
また、肉体労働者も自分の得意な事だけで満足してはいられません。自分達の仕事が社会の中でどんな位置づけであり、如何に重要なものであるかを論理的に説明出来なければならない。少なくともそういう人材が必要だと思います。
確かイギリスの小説家・チェスタトンだったか、労働者が思想哲学なんてのを学ぶのは自慰行為的なもので、本業の知識を深められない事で資本家に安く買いたたかれる原因になるだけだといった主張をしていましたが、私からすればとんでもない。今や下らぬ大衆的知識人によって業界ごと買いたたかれてしまうケースも頻発しており、高い技術だけでは正当な扱いを受けられなくなっています。
私は別に、大した学もない肉体労働者みんなが外国車を乗り回し庭付き一戸建てに住めるような待遇をすべきだなどと言う気はありませんが、少なくとも努力次第ではそんな未来も拓けるだろう人が「まあやむを得まい」とその職に付く事を納得できる程度の待遇を、肉体労働者たちにも用意すべきだと思います。
そんな事もしないまま人手が足りないだの日本は滅ぶだのと寝言を言う人間の学歴など何の価値もない。少なくとも、メディアでこの手の寝言を吐き散らす言論人・知識人よりも、精々偏差値40ちょいの工業高校しか出てないだろう私の同僚や先輩たちの方が、余程理性的で誠実な人間だと日々感じています。
彼等が所謂ブルシットジョブや中抜き業者なんぞより良い待遇だったとして、何の問題があるでしょうか?
むしろそんな必要かどうかもわからない見せかけだけの知的労働を放棄して、社会の足元を支える人々の価値を認め、教えを乞い、その仕事を引き継ぐべきです。
その時、人々は過去の学び舎での知的研鑽が決して無駄というわけではない事と同時に、それを持たない労働者たちの思いもよらない知的な側面や偉大さを知る事になると思います。
それらが成し遂げられた時はじめて、様々な知的研鑽が本当の価値を発揮し、性質の悪い不穏分子としての外国人も少なくなるでしょう。
藤井先生が良く語っているゲーテのファウスト最終版の台詞、干拓事業に一丸となって働く労働者達に向って「とどまれ、そなたは如何にも美しい。」これは伊達や酔狂の代物ではありません。
自然の中で歴史と向き合って生きる人々の総力戦、その輝かしい一場面であり、その主要構成員たる肉体労働者が愚か者ばかりの筈がない。
真の愚か者とは、著しく身体性を欠いた無駄な知識をつまらぬ奢侈や承認欲求の為に溜め込み・射出し続け、己の生命の根本と全く向き合わない者達です。
我々の社会が遠い未来まで存続できるようにする為に、その社会がお互いを大切にする善きものであるために、教育の意味や人々の役割、その果たすべき目的について今一度考えてみるべきです。その過程を経ずして、我々は物質的にも精神的にも、個人的にも社会的にも、本当に必要なものを見つける事が出来ないでしょう。
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髙平伸暁(37歳・会社員・大阪府)
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田尻潤子(翻訳業・東京支部)
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