【橋本由美】『カッサンドラの日記』50 日本は「履修主義の社会」でいいのだろうか

橋本 由美

橋本 由美

 アメリカで「文化大革命」「天安門事件」「Civil War」が一度に起きたような混乱が続いているが、どうも内政も外交も制度疲労を起こしているように見える。ルーズベルト大統領が作った「戦争と大恐慌」のための制度は冷戦時代にも通用したが、さすがに戦後80年も経てば、現実に合わなくなっている。アメリカは、変革のために破壊力が必要になったのだろう。アメリカが制度疲労を起こしているのだから、その制度下にがっちり抑え込まれていた日本の戦後体制も経年劣化で制度疲労を起こして当然だ。戦後の教育もそのひとつではないだろうか。

こんなに違う大学助成金 

 

 ところで、リベラルの総本山として目の敵にされたハーバード大学への助成金差し止めという報道で、その差し止め額が90億ドル(約1兆3500億円)だというのには、驚いた。「うわぁ~!そんなにもらっていたの?!」である。「だって、日本では、2025年度の政府予算案で、国立大学運営交付金の総額が1兆1145億円ですよ!」 すべての国立大学への助成金を全部集めても、ハーバード大学一校の助成金より少ないのだ!(凍結される助成金や契約金については、日本経済新聞2025.4.16による。)学問はお金じゃない、高邁な精神が大切だ、やる気だ根性だ、などという言い訳や慰めなんかが吹っ飛んでしまう額だ。いくら、お金がすべてではないと言っても、これでは、近年の世界大学ランキングでどんどん評価が下がっているのもやむを得ない。研究者の資質や努力を責めるばかりでは「いじめ」のようなもので、研究にもお金がかかる時代なのだ。

 とくに理系学部にとっては深刻だろう。もう随分前に、世界のジャーナルやトランザクションを定期購読できない、とか、研究室の電気代を節約しているなどという嘆きを聞いた。まるで終戦直後の苦学生のようで涙を誘う。実験機器は凄まじい勢いで高度化していて、お値段も卒倒しそうなくらい高額だ。少ない予算では何も買えない。人件費だってままならない。日本の研究者は、戦車に向かって竹槍で挑まねばならなくなる。

 理系学部の研究者は、資金を出してくれそうな企業と契約を結んで、なんとか研究費をひねり出す。しかし、実験室や機材や学生を使う以上、大学にピンハネされて、半分くらいに減額される。日本の研究開発費の70パーセントは企業からのもので、産学協同なんて聞こえはいいが、出資者の企業の目的に沿った研究になる。製品や開発上でのトラブルの解決は、共同研究や研究指導という形で、大学の研究室に出来高払いでアウトソーシングされる。指導の一環として人件費のかからない学生を使える大学の研究室は、体のいい企業の下請けになってしまっている。それでも、学生の卒論や修論にはなるし、研究者も論文数を稼げるが、研究者が本当にやりたい研究ではない。世界で競争する基礎研究の分野では、短期で成果を求める企業の研究費に頼るわけにはいかない。

四則演算を教える大学 

 

 アメリカでハーバード大学の騒ぎがあったころ、日本では泣きたくなるような次元のニュースがあった。財政制度審議会で、財務省が定員割れに陥っている私立大学に対して「四則演算や、英語の現在形と過去形の違い」を「授業」で行っているとクレームをつけたというのである。私学助成金を出しているのに、「義務教育のレベルの授業」をやっているのはけしからんということで、大学の認証評価の見直しに言及した。

 教育現場で、実際に四則演算や英語の過去形を教えている大学の教員たちの心情と努力を考えると、ちょっと胸が痛む。彼らだって四則演算を教えたくて教えているわけではない。そこをクリアしないと本来の講義が理解できないから、仕方なく義務教育のレベルから丁寧に面倒を見て教えているのである。寧ろ、無駄な努力と知りながら、学生に真摯に立ち向かっているのだ。財務省の官僚は、子供のころから進学校で勉強し一流大学を出ているのだろう。まわりには「四則演算」ができない友達などいなかったと思う。大学生にもなって四則演算ができないはずはないと思っていて、助成金を出すからには、大学ではもっと「高尚」なことを教えるべきだと考えている。

 財務省の指摘は正しい。常識から言って、大学で義務教育並みの内容を教えているというのが「普通」だと思う人はいない。しかし、「お金を出しているのだから、改善しろ」と言われても、どうにもならない。この問題は大学の問題でも、助成金の問題でもないからだ。義務教育から大学まで、日本の教育全体を根本から見直さなくてはならないような深刻な問題なのだ。

 高校教師をしている知人が何人もいる。そのうちの一人の公立高校の教員が、よく「分数の計算が出来ない生徒が多くて、課外授業で教えなくてはならない」と言っていた。街では、堂々と「100円 割引!」と書いたチラシを見かけることがある。「割引」と「値引き」の違いがわからないのだ。分数の計算や割合がわからない高校生は、かなり多いと思ったほうがいい。私も、以前、学校から頼まれて授業について行けない中学生や高校生の家庭教師をしたことがある。三単現のSやBE動詞がわからない高校生がいた。過去形は勿論、助動詞なんかが出て来ると、もうパニックになる。それでも、その子たちは高校に入学できたから「高校生」なのだし、卒業もできて、どこかの私大に進学した。だから、そういう学生が在籍する大学では、四則演算を教えなくてはならないという現実がよくわかる。そして、その数がかなり多いということも、なんとなく感じている。

教育の質の保証 

 

 子供たちは、小学校・中学校・高校を順次卒業して、卒業証書をもらう。卒業証書は、それぞれの段階の「品質保証書」である。けれども、大学で義務教育をやり直しているということは、それまでの卒業証書が、工業製品なら「品質偽装」ということになる。そうでなければ、品質基準に問題があるということだ。そして、その大学さえも「卒業」できて、品質が保証されないまま社会に「出荷」される。「教育の質」とは何かがわからなければ、「質の保証」はできない。けれども、「質」の客観性とは何なのかが、そもそも難しい。

 平成以降(1990年代以降)、大学設置基準は緩和の方向に進んだ。時代の変化に伴って基準が見直されるのは当然としても、18歳人口が減っているのに、設置基準が緩和され新設校が次々に認可されて来た。大学としての「質」を認めることが認可なら、そこで義務教育を行うという想定はないはずだ。

 教育だけでなく、どんなことにも当てはまるが、「質」の判断が難しいから、定量的な基準を設けて一応のガイドラインを作成する。大学ならば、卒業に必要な単位数、その単位を認定する条件、授業時間、定員、キャンパスや建物の面積、専任教員数などが決められる。けれども、定量的尺度で「質」は測れない。定量的基準は「大学教育には、最低限これだけの準備は必要です」ということだろう。卒業証書で保証されているのは、「必要単位を取りました」ということだけである。

 いくら「質」の客観評価が難しいと言っても、国から助成金をもらって、足し算や引き算を教えるというのは、大学ではない。そういう学生しか入学しない大学は廃業すべきで、助成金をもらって生き延びる価値はない。更に、義務教育の内容すら修得できなかった者が、高校や大学に進学して、卒業までしてしまうという「異常」が当たり前になっている現実を見直さなければ、教育問題など解決しないだろう。そんな「異常」がまかり通るから、親は爪に火を点して「大学くらいは出してやらなくちゃ」と、子供の学費を捻出し、学生は学業に支障をきたすほどアルバイトをして学費を稼ぐ。その結果、何の「品質保証」もされない社会人が量産される。

戦後の履修主義教育 

 

 戦前と戦後の義務教育で大きく変わった考え方のひとつに「課程主義・修得主義から年齢主義・履修主義へ」ということがある。昭和22年の教育基本法で、何を以って義務教育の目的達成とするかが変わった。戦前の「課程主義」は、教科を終了したときをもって就学の終期とするということで、年齢ではなく、教科を終えた時点で目的達成とされた。教科の終了は、成績評価・評定で一定の成果を上げることが必要な「修得主義」であった。これに対して、戦後の「年齢主義」は、その年齢に達したときに義務教育が終了したと認めるもので、「履修主義」は、児童生徒が所定の教育課程を一定年限の間履修すればよいことになった。学習内容の修得を評価して「終了」の合否を決めるための試験は行われない。

 平成18年の第一次安倍内閣で教育基本法が改正されたとき、「履修主義・年齢主義」の是非についても議論されたようだが、結局そのまま引き継がれている。当時の議論では、「入試が厳しいのに卒業が簡単で、入学後は勉強しなくてもいいような現状ではなく、入試はもっと緩和して、入学後にしっかり勉強させる仕組みにすべきだ」「進級を、個人に合わせて柔軟にできないか。達成できない者は学習期間を延ばし、達成できれば年度に関係なく早く進級させるべきである」などの意見があり、十分な学力を保証されずに卒業している「履修主義」の現状を問題視している。

 一方、「修得主義」についても、「知力に偏って、知・徳・体のバランスの取れた教育ができない」「明治のキャッチアップ・ポリシーによるものだ」「学習内容が身に付いていない子供には、補修を行って責任を持てばいい」などの反対意見があり、結局変更されなかった。しかし、その結果として、四則演算を教えなくてはならない大学が出てきている。「補修で責任を持てばいい」と言いながら、結局、誰も、学習が身に付かない子供に「責任」をもっていない。成果の出ない「補修」は教員の負担を増すだけだ。

驚いたのは、改正に当たっての議論の中に、「日本は履修主義の社会であり、修得主義を強引に持ち込むことには無理がある」という意見があったことである。教育だけでなく、履修主義を「社会の在り方」として受け入れてしまっているのは何故なのか。

強い国にしないための教育 

 

 昭和22年はGHQの占領下である。教育基本法の前文にも戦後憲法の前文の匂いが強く漂っていた。明治憲法下の教育理念は、国民を強くした。それを否定するのが戦後のGHQの平和教育で、日本を二度と強い国にしないための教育を目指したのだろう。「履修主義」というのは、カルチャーセンターである。頭脳が柔軟な年齢を、学校の机の前に座っていれば何も身につけることがなくても「終了」したことになる。義務教育期間を無為に過ごしても進級できる「履修主義」が、「子供を差別しないよい教育」として根付いた。学習の達成度を測る卒業試験を実施して生徒を「差別」してはいけないのである。その結果、有識者が「日本は履修主義の社会である」と、堂々と定義して疑わないほど当たり前になってしまった。

 修得主義に反対する意見に、「知力に偏る」という理由があった。確かに修得主義はメリトクラシーを招く恐れがある。しかし、現実には「公的な履修主義」のために、「受験のためだけの修得」を担った塾が繁盛している。受験に偏ることの方が、余程メリトクラシーを助長させる。知力に偏らないために、「知」だけでなく多彩な進路を提供し、それぞれの適性に即した技能や知識をしっかり身につけさせる公的な教育が望まれる。学校で「何も」修得しないまま卒業するよりも、「何か」を身につけさせることが、子供の将来に必要なのではないだろうか。「修得」すべきことは、「知」だけとは限らない。

 義務教育だけではなく、大学の公的助成金の少なさも、国立大学の独立行政法人化も、大学設置基準の緩和も、日本を弱くするためだったのかもしれない。大学で四則演算を教えるために助成金を出す必要はないが、財務省は、研究のための助成金はケチケチしないでほしい。ハーバード大学が特別だとしても、アメリカの名門校はどこも日本とは比較にならないほど政府の援助を受けている。桁違いの金額だけで、もう、負けが見えている、文科省も、財務省からお金を出してもらえるように、そろそろ「履修主義」を考え直してみてはどうだろうか。戦後80年で、「履修主義」も制度疲労を起こしている。アメリカが戦後制度を破壊している「いま」が、日本も疲弊した戦後制度を変革するよい機会である。

(参考)履修主義と修得主義、年齢主義と課程主義:文部科学省

義務教育に係る諸制度の在り方について(初等中等教育分科会の審議のまとめ) [3]-1


<編集部よりお知らせ>

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 会費:一般 4,000円/塾生・サポーター 3,000円
 講師:矢野義昭(軍事評論家/元陸将補)

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書籍『日本の真の国防4条件』の内容紹介はこちら

 

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以下に開催概要を記します。ぜひご参加ください。(※予約優先とのことです。)

 ━━━━━━━開催概要 ━━━━━━━

■講師:藤井聡 (京都大学大学院教授/元内閣官房参与)
■演題:「天下布道〜国土を巡る国民国家の現象学」
■日時:7月1日(火)17:00〜18:30(開場16:30)
■会場:早稲田大学 小野記念講堂(東京都新宿区戸塚町1丁目103-18)  
地図:https://maps.app.goo.gl/Aa9zarQCcR8iCHfv7
参加費:無料・一般公開(学生に限らず、どなたでも無料でご参加いただけます。)
■予約:予約優先(当日参加も可)
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※座席数に限りがございますため、「予約優先」とさせていただきます。ご予約のない方も、座席に余裕がある場合は飛び入り参加が可能ですので、当日直接お越しいただいても構いません。事前質問も受け付けておりますので、ぜひこちらからお寄せください。

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