古い悪魔がふたたび目覚めつつある。
そう、第一次世界大戦終戦100年を記念する式典でのマクロン仏大統領による演説の一節です。「古い悪魔」とは、第一次大戦後のヨーロッパを席巻し、第二次大戦勃発の引き金となったとされるナショナリズムのこと。そのナショナリズムが、いままた各国で高揚しているというのです。
「パトリオティズムはナショナリズムの対極にある(Patriotism is the exact opposite of nationalism.)」。そのようにマクロン大統領は言います。自国の利益を第一に考え、他国を顧みることのないナショナリズムは、国家のもっとも大切な道徳的な価値を踏みにじる、だから、「ナショナリズムは愛国心への裏切りである「Nationalism is a betrayal of patriotism. 」とも。
この演説については、11/21のメールマガジンで柴山さんも取りあげていました。パトリオティズム(愛国心)とナショナリズムは、たしかにすっきりと分けられるものではありません。それゆえに、マクロン大統領にもみられる「パトリオティズムは良いが、ナショナリズムは悪い」という二分法についても、柴山さんが言うように、簡単に受け入れることはできないでしょう。
パトリオティズムとナショナリズムの違いが論争を呼ぶのも、どちらも多義的な概念であると捉えられているせいだと言われます。近代日本政治思想史の研究者として知られる橋川文三[1922-1983]は、その著書『ナショナリズムその神話と論理』(ちくま学芸文庫)において、パトリオティズムは多義的な意味を含んでいると述べたうえで、次のように言います。「日本語ではそれは、「愛国心」とか「祖国愛」という言葉で訳されるのが普通であるが、「愛国」とか「祖国」というと、ナショナリズムとの区別がかなり紛らわしくなるきらいがある」。
では、パトリオティズムは日本語で何と訳すのが適当なものなのでしょうか。橋川は、パトリオティズムはもともと、「自分の郷土、もしくはその所属する原始的集団への愛情」であると言います。それは、特定の歴史的段階ではじめて登場するナショナリズムのような新しい理念ではなく、いついかなる時代にも人間をとらえてきた普遍的で強力な感情です。橋川も引いているドイツの政治学者ミヘルスが言うような、子どものころに夕暮れまで遊びほうけた路地、石油ランプの光に柔らかに照らし出された食卓のほこり、町から郊外へ、郊外から町へと野原を通っていた小路を歩いた思い出、このような幼年時代のふとした折のなつかしい記憶が呼び覚まされることによって自然と湧きあがってくる郷土への愛、愛郷心、それがパトリオティズムということなのでしょう。
このように言われると、おそらくパトリオティズムは、多くの人が「自然の感情」として抱いていることになるのかもしれません。たしかに、そのような幼年時代の記憶と結びついた素朴な感情は、トランプ大統領が勇ましく米国第一主義を吠えたてるナショナリズムとはかけ離れているように思われます。ナショナリズムは、幼いころに希望に満ちて未来を思い描いたころの思い出を裏切るもの、そう言われれば、誰もが納得してしまうでしょう。
ですが、郷土愛や愛郷心といった故郷への思慕は「自然の感情」だなんて本当に言えるでしょうか。「何ものにもかえがたい多くの思い出によって私たちの心の中にもっとも慕わしいものとなった土地」への愛着などというものを、私たちは自然にもっているなんて言えるでしょうか。
少なくともこの日本において、どうしようもなく懐かしみを覚える「故郷」などというものが、いったいどこにあるというのでしょう。経済成長を専らにしてきた戦後日本は、故郷をことごとく破壊することに努めてきたではありませんか。「故郷」はいまや、自明のものとしてそこにある自然の実在などではありません。とすると、人びとに自然の感情を与えることもないでしょう。
故郷はすでに「失われたもの」です。現前には存在しないからこそ、何かを頼りに、どうにかして「故郷」を記憶の中に留め置こうとする。だから郷土愛や愛郷心は、けっして「自然の感情」ではありません。むしろ、故郷への思慕はきわめて意志的な行為です。慣れ親しんで安らいでいられる風土や文化、歴史に囲まれているなら、何も郷土愛を感じる必要はないからです。
ナショナリズムは「人為的」で国家による教育などによって教えこまれたもの、パトリオティズムは誰もが抱く素朴で「自然の感情」。だから、ナショナリズムは悪いもので、パトリオティズムは良いもの。これは大いなる錯誤です。
自国第一主義が高揚しているのはなぜか。それを「ナショナリズムという古い悪魔」と呼び、その現前に警鐘を鳴らす前に、同じ様相を呈しているとされる前世紀初頭、真の問題は何であったかを思い出すべきです。自由や民主主義の普遍化と物的幸福の世界化をめざす進歩主義、今日ではグローバリズムと呼ばれるそれによって、「自分がそのなかにいて安らいでいられる場所」が見失われてしまった。すなわち「故郷喪失」こそが前世紀初頭の中心的課題であったのです。
それはいまも変わりません。とすると、私たちが警戒すべきはナショナリズムでないことは明らかでしょう。「故郷」をことごとく破壊したグローバリズム、それにこそ、私たちはもっと懐疑の目を差し向けなければならないはずです。
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