コロナ私感

名取(31歳・会社員・茨城県)

 

 はじめにコロナに感染して亡くなられた方、経済苦により亡くなられた方、このほかコロナの犠牲になられた全ての方に心より哀悼の意を表明させていただきたい。

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 コロナにまつわる数々の政策が杜撰であったとて、憎むべきは一義的には感染症それ自体であり、このことを見誤ってはならないだろう。しかし、人間の感情はウイルスを憎めるほど上等にはできてはおらず、この度の騒動は厄介なものとなった。我が国ではこの5月からコロナの感染症法上の分類が5類に引き下げられることとなり、賛否はあろうが、日本社会のコロナへの向き合い方にようやく一区切りがついた感がある。ここに至る3年余り、我が国ではコロナに関する様々な言説が表出し、いよいよ出尽くしたのだろう。これがつまりは我が国の言論空間の広がりに相当するのだろうが、狭隘な言論空間のもとで良い政治が行われることは望みがたく、コロナに関わるスッタモンダを見ていると果たしてその広がりが十分なものであったのか、大なる疑義が残されたといえる。

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 コロナは人間性を暴き出した。建前や社交辞令やあるいはペルソナに普段覆われている人間の本性が、コロナ禍という危機により、ハイデッガー的現象学の方法により炙り出されたが、それは結局私たちの人間関係の心許なさであった。コロナは、針小棒大に騒ぎ立てる自粛派の臆病を露呈させた一方で、高を括る反自粛派の傲慢さをも暴き出した。しかし裏を返せば、生命尊重以上の価値の所存が自粛しないことにあったのだろうし、家族を守るための大儀が自粛することにあったのだろう。

 私のような感染症の素人にはコロナの毒性を正確に見抜き判断することには限界があるように感じた。医者たちには多様な意見が見られた。私個人としては、メディアで叫ばれたほどの恐怖は感じなかったが(もちろんコロナの犠牲になられた方の命を軽視するつもりは微塵もないことを、野暮ながら言い添えておく)、一方、身近に入院手前まで重症化した人や後遺症に苦しむ人を目にしたので、最後まで私は自粛、反自粛のどちらにも振り切ることができないでいた。しかし、コロナに犯された社会は人々に態度を取ることを強制したので、私は消極的ながら人並みにマスクを着け店員の指示に従い手指のアルコール消毒を行っていた。

 俯瞰して社会に目を向けると、「ソーシャルディスタンスの確保」とか「三密防止」とか「黙食」といったスローガンが掲げられ社会の中から会話が失われていった。そして、お酒の力も借りながら面と向かって腹を割るという「いつものやり方」を奪われた多くの日本人が、実は拙いコミュニケーション能力しか持っていなかったことが丸裸にされた。コロナによるディスコミュニケーションが全世界的なものだったのか私は知らないが、少なくとも私たち日本人のコミュニケーション能力の貧弱はどうやら疑いのないものであり、コロナの話題に限らず「私たちは結局何も分かり合えていなかったのではないか」ということすら予感させられた。しかし、分かり合えないことが人間たちの真実だとしても、私たちは自分を表現することを止めるわけにもいかないだろう。理解されることを夢見ず表現を続けられるほど人間の精神は頑強ではない。

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 「現代は広告の時代であり、なんでもかでも広告せずにはすまない宣伝の時代である。なにごとも起こってはいないのに、たちまち宣伝が行われる。」(『不安の概念』)

 メディアは人々の欲望に従い、騒ぎを求めていた。しかし騒ぎを求める精神が事態を見誤らせたのではないか。コロナに関する報道は明らかに過熱していた。感染者数は連日センセーショナルに報じられ初めは人々の恐怖を煽ったが、人間は慣れるもので、次第にいかに大きな数字が刻まれるかに関心が寄せられるエンタメと化していった。また、今回の感染症が個々の著名人に悲劇をもたらすことがあり、感染症の脅威が例えば「こんなに苦しい死に方をする」といった形で強調されることもあった。しかし、報道の加熱に反比例するように、元来アマノジャクな私にはこの感染症が人類を滅ぼすような脅威とはどうしても思えないという感情が強まっていった。振り返っても、仮にコロナによって世界が滅ぶシナリオが存在していたとしたら、それは人類の自滅だけだったと思う。しかし、全人類の生存より身近な人間を大切に思うのが多くの人間の本性であろうから、メディア報道の仕方の是非はともかく、自粛か反自粛かといったコロナ禍への社会としての処し方についての論争はあってしかるべきであったと思う。しかし、私たちは実のところ拙いコミュニケーション能力しか持ち合わせていなかった。

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 「天候が冬だというのに、暖かく、乾燥していた、ところが僕たちに、医者にとって必要なのは、湿気と寒気だ。流行病もなかった。要するに不都合な、できそこないの季節」(『夜の果てへの旅』)

 誤解を恐れずに言えば、医者にとってコロナは「書き入れ時」だった。コロナの毒性が私たちにとってどれほど危険だったのか、私は未だに判然としていない。仮に致死率7割のウイルスであれば私は断固とした自粛論者になっていただろうし、そのような死病を気にせず出歩く命知らずな輩には悪罵の限りを尽くしたであろうが、現実のコロナがそこまで怖いものとはどうしても思えなかった。確かに、流行初期に繰り返し報じられた肺が真っ白になるというあの恐ろしい病例に印象的であったし、高齢者や肥満や高血圧が特に重篤化しやすく後遺症も重くなると聞いた私は祖母や父母の感染を心から憂いていたが、昨年7月祖母と母親はコロナに感染し、しかし未だにピンピンしている。

 医師会ははじめから医療崩壊を懸念していたと言われており、彼らの危機感の表明を商魂ゆえのものと見なすのはゲスの勘ぐりというものであろう。もちろんコロナで利益を追求したあくどい医者もいたであろうが、それ以上に人命を救うために不眠不休の努力を続けた医者が大勢いたのだと私は信じたい。そのような医師の努力もむなしく、局所的に医療崩壊は現実に起きていたはずで、トリアージによりこぼれ落ちた命もあったであろうことを思えば残念でならない。

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 しかし、併せて告白せねばならないのは、コロナの感染を食い止めようとする社会のダイナミズムの不気味さである。人間の営みを強制停止するような政策にはたしかに小さくない反動が伴うことを私たちは経験した。その象徴が経済苦であり中には不幸にも命を絶たざるを得なかった人も居たはずであり大変痛ましく思う。また、自粛により青春を奪われた人たちのことを思うと不憫である。自粛が引き金の喧嘩、失恋、離婚もあっただろうし、人と顔を合わさないことにより精神の不調に陥る者や認知症が進行した者もいたであろう。ただし80年前の我が国にも同じかそれより過酷な状況が広がっていたはずで、そこから立ち直った日本国民をとりあえずは信じたいと思う。

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 自粛の悪い面ばかりを捉えるのも偏っている気がする。複雑な社会制度に縛られ権力者の思惑が錯綜し、如何ともし難かった事態のいくつかは自粛の強制によりひとまずの解消を見せた。観光地の文化財は本来の落ち着きを取り戻し、延々上司の昔話や自慢話を披瀝され最後に「だからお前はダメだ」と締め括られる飲み会はなくなり、長年人々を苦しめていた満員電車はとうとう姿を消すこととなった。私は感染症流行の最中、世間一般でいわれるところの感染リスクを冒して京都の嵐山を訪れたが、人のいない渡月橋を渡ったときには胸のすく思いがした。他にも8時、9時台の電車に乗り人と肩が触れ合わず自分の空間を確保でき悠々と文庫本を広げられた際にはこの状態がいつまでも続いてほしいとさえ願ってしまった。自粛した社会を維持したいと願う人間がいることは例えば『ペスト』の中で描かれているし、移ろう社会の様々な断面に居心地の良さを覚え寄りかかる者が現れるのことも人間の抗いがたい性質であろう。しかし、社会活動の再駆動に伴い、外国人でごった返す観光地、職場の飲み会、すし詰めの電車が私たちの日常に返ってきた。日本社会は3年間とりあえず自粛の方向に進みはしたが、小さくクルリと翻り、結局あの騒々しい問題山積の日常に戻ってきた。

 私たちはこの3年間何をしていたのだろうか。テレビでは朝から晩まで神妙な面持ちで未知の感染症が語られ、その予防策が語られ、それに飽きると自粛の中を賢く過ごす「新しい生活様式」が紹介され、先日まで疫学の素人だったお隣さんまでもが感染症についての一家言を持ち、マスクや果てはフェイスシールドをも身にまとい、店にはアクリル板が設置され、大急ぎで作られた怪しいワクチンを多くの人が摂取するようになった。一方で、巣ごもりで勉強が捗ったとか、オンライン会議が増え便利になったとか、予てより進めたかったデジタル化が進展したとか、これらがコロナ禍に臨む人間のあるべき姿だったのだろうか。突発的な感染症の流行により社会は容易に動乱することをスペイン風邪以来の100年ぶりに私たちは思い出し、身近な者の命が失われたことでその存在の儚さに気付かされ、あるいは「天災は忘れた頃にやってくる」という寺田寅彦的格言を再認識したりしたのだろうか。私たちはコロナ禍から何を学んだのだろうか。

 コロナは厄介なウイルスである。数万幾人の同胞の命を奪ったこのウイルスの毒性が疫学上どれほど重大な問題であったかは専門家が議論して決めれば良いと思うが、コロナ禍にまつわる日本社会の惑乱ぶりは事実として記録され、私たちの“静かな”騒ぎぶりも経験として刻まれた。大事というには些か密やかで小事というには激しすぎる、人間の恐怖心の揺蕩う閾値をなぞるようなこの意地の悪いウイルスは、私たちの人間関係の間隙にくさびを打ち込んでいった。